廻れ、
- 廻 れ 、 廻 れ 。 時 空 よ 、 廻 れ -
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悠希の元を離れた後、自室へと戻ろうとした紅。
その途中、侍女を連れていない愛姫に会った。
彼女が紅を待っていた事は明白で、紅もまた、それを問う事はない。
「部屋にお入りください。外ではお身体が冷えます」
何も問わず、紅は愛姫を迎え入れた。
彼女はそれを拒む事もなく紅に続く。
豪華とは到底言えないほど、必要最低限のものしか置かれていない紅の自室。
寝所は別に構えているのだから、ここが質素になるのも無理のある話ではないのだろう。
「お茶を用意しますか?」
「いいえ。すぐに済みますから」
愛姫の答えに、紅はただ一度頷いてから席へと促す。
向かい合うように座った彼女は、何かを探すように視線を彷徨わせた。
「先ほどは侍女が失礼いたしました」
「その話はもう済んだことです。回りくどい事は省き、本題に入っていただいて構いませんよ」
形だけの謝罪をいくら重ねても意味はない。
元々、紅は彼女の侍女の行いを咎めるつもりはないのだ。
これ以上は時間の無駄…と言う事になる。
「紅様は、私が政宗様の正室に上がる予定であったとご存知ですか?」
「…ええ。その様な話があった事は前から聞いていました」
「父が決めた事でした。けれど、私自身もそうなるものだと思い、今まで過ごしてきました。
けれど、一年前のあの日…」
屋敷にやって来たのは、使者ではなく政宗本人だった。
いつものように小十郎と共に現れた彼を、父は驚きつつも喜んで出迎える。
「この縁談を白紙に戻したい」
開口一番、彼は父と自分に向かってそう言った。
何を言われたのか分からなかったのは、父も同じだったのだろう。
「奥州を共に治めるべき女を見付けた」
「しかし、政宗殿…!この縁談は政宗殿のお父上も賛成なされた事であって…!」
「父は関係ない。…愛姫には、すまないと思う」
彼はそう言って頭を下げた。
一国を治める者のすべき行動ではなかったのだろう。
しかし、愛姫はそれが彼の誠意だと受け止めた。
「お父様、政宗様とお話がしとうございます。どうか…」
初めは渋った父も、3度繰り返せば仕方なく席を立った。
それに続くように、小十郎も部屋を出る。
きっと、襖のすぐ外で待機しているのだろうけれど。
「すまない。天下を統一するためと待たせておいて…もっと早くに解放するべきだった」
「…いいえ。政宗様が私との結婚を望まれていない事は、ずっと分かっていました」
「愛姫…」
「政略結婚ばかりのこのご時世、ご自身の意思を尊重なさる政宗様は素晴らしいと思います。
その方を………愛していらっしゃるのでしょう?」
「――――あぁ。俺は、この先の人生で、あいつ以外を愛する事はないだろう」
目線を逃がす事もなく、彼は真っ直ぐにそう答えてくれた。
あぁ、自分では駄目なのか。
素直に納得できるほどに、その思いは純粋だった。
「側室でも構いません、と言っても無駄ですね」
これだけたった一人の女性を思っている、彼のことだ。
その女性のためにも、側室を取らないと決めているのだろう。
政宗は予想通り、すまないと繰り返した。
紅は愛姫の語った内容に、驚いたように言葉を失っていた。
知らなかった。
彼が、愛姫の元を訪れ、そんな内容の言葉を交わしていたなんて。
「私は幼い頃から政宗様の奥方になるようにと育てられました」
人生の全てを、そうして過ごしてきた。
今更それを白紙に戻したいと言われても、本当はどう受け入れればいいのわからなかったのだ。
けれど、彼の意思も思いも、あまりにも強いものだった。
「役目も…あの方のお心も…どうして、全てあなたに奪われねばならないのですか!?」
「愛姫様…」
「あなたは、私から全てを奪うっ!
愛し続けることすら許されなくて、せめて己の役目を果たそうと決めていたのに…それすらも!」
そこに居たのは、田村清顕の娘ではなく、ただ一人の女性だった。
その悲痛な叫びが紅の心に突き刺さる。
不確実だったものが、確信へと変わった。
やはり、彼女は―――
愛姫は、紅が何かを言う前に部屋を去っていった。
足音が遠ざかり、やがて聞こえなくなる。
紅は彼女が居なくなってから、静かに溜め息を吐き出した。
「本人同士の問題とは言え…遣る瀬無いわね…」
なんて醜い事をしてしまったのだろうか。
足早に廊下を進みながら、愛姫は自身の目元を拭う。
あんな風に取り乱して声を荒らげるなど…父が聞いていたらと思うと、眩暈がしそうだ。
「それでも…止められなかった…」
彼女は分かっているだろう。
これが、嫉妬以外の何物でもないのだと。
それでも、彼女はそれを咎める事もなく、正面から受け止めようとしてくれている。
同情ではなく、本心から申し訳ないと思っている。
それが、より一層愛姫を惨めにさせた。
いっそ、彼女が憎みたくなるほどに酷い性格の持ち主だったなら。
そうしたら、自分の抱いている醜い感情を見なかった事にできたのに。
「私の恋は…紅様のように報われる事はない…」
ずっとこの思いを胸に抱いたまま、生きていかなければならない。
何故、自分だけが…。
彼女はあんなにも自由に生きているではないか。
何故―――
他人と比べる事など、愚かしいと分かっているのに、それを止めることができないでいる。
「何故、あの方のものになってしまったのですか…」
誰のものでもなければ、諦める事もできていた。
遠くから心の中で想っているだけで十分だったのに。
零れ落ちた涙が着物の袖を濡らした。
08.02.15