廻れ、

- 廻 れ 、 廻 れ 。  時 空 よ 、 廻 れ -

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悠希は何故この様な状況になっているのかと首を傾げる。
もう体調も元通り!と自分で勝手にそう決めた彼女は、廊下を歩いていた。
自分でそう決めた筈なのに、いざ向こうからの足音が近づいてくると、思わず逃げるように隠れてしまう。
そんな行動を取ってから、何故こんな事を…と体調不良の所為で小心者になってしまっている自分に溜め息を吐いた。

「姫様!あのような事を言われて、そのまま引き下がってよろしいので!?」
「あの侍女の言っていた事は事実です。紅様は…政宗様の奥方なのですから。失礼があってはなりません」
「ですが…本当ならば、姫様が政宗様のご正室となられる筈だったと言うのに、あのような家の小娘が…」

どんどん小声になっているのは、一応目上の者であると言う認識を忘れ去っているわけではないと言うことだろう。
それにしても、言っている事は随分とまぁ込み入った内容だ。
聞いてよかったのかなぁ、などと思いつつも、しっかり聞き耳を立てる悠希。
親友が関わっていると言うからには、ここで引くわけには行くまい。
息を殺す必要などないけれど、何故かそうしながら耳へと全神経を集中させる。

「姫様…まだ、あの方を忘れられませんか?」
「…………………」

不意に、侍女の声の質が変わった。
不思議に思いつつ愛姫の返事を待つが、彼女は沈黙したままだ。
一体どんな表情でこの会話をしているのだろうか。

「ふた月後には輿入れの日がやってまいります。どうか、それまでにお心の整理をなさいませ」

輿入れ…そうは言っても、歴史と同じように伊達政宗の元に嫁ぐのではないだろう。
それだけは、確信を持っている。
彼は、紅が悲しむようなことはしないだろうから。
そうなると、愛姫は別の男の元へと嫁ぐ事になるのだろうか。

「清顕様も酷い事を仰います…。
今回政宗様と婚姻の約束を取り次ぐ事ができなければ、否応無しに輿入れさせるなど…」
「滅多な事を言うものではありませんよ。
どこで誰が聞いているか分からないのですから…お父様に伝わったら大変です」

お願いだから、と念を押す愛姫に、彼女は口を噤んだようだ。
悠希は「なるほどね…」と心中で納得する。
何故急に彼女がこの城にやってきたのか―――その理由が、今の会話から大体把握できた。
田村清顕は政宗の元へと愛姫を嫁がせようと目論んでいるのだろう。
しかし、紅という思わぬ存在により、その座をいとも簡単に失ってしまった。
結果として栄えられる筈だった家は衰退。
彼女を別の家に嫁がせる事で、その家を守ろうとしているのだ。
恐らく…愛姫はそれを拒否した。
だが、この時代の親と言うのは絶対的な存在だ。
名の通った家の娘など、政のために生まれてきたと言う認識を持っている男親さえ少なくはない。
これは、愛姫に与えられた、最後のチャンスなのだろう。

「婚姻など…無理だと分かっていました」

愛姫は小さくそう言った。
声から察する事ができるほどに、その心は沈んでいる。

「紅様が政宗様のご正室に上がられてからと言うもの、奥州は…伊達家はとても栄えてきています。
小さな村にまで紅様の名声が届いている―――そんな方を迎えているのに、私など必要ありませんもの」

深窓の姫である自分に出来る事など、由緒正しき家柄の血にて子孫を残す事だけだ。
それを重視する人ならば、愛姫にも分があっただろう。
しかし…政宗と言う人は、家柄などで妻を選んだりはしない。
奥州と伊達と、何より彼自身にとって最も必要と思った者を妻として迎えたのだ。
自分の入る隙間など、微塵も残されていなかった。

「姫様…」
「政略結婚ではなく、お二人の間にはしっかりとした絆がありました。私は…それがとても羨ましい」

望まぬ殿方の元へと嫁ぐ事は覚悟していた筈だ。
それなのに、初めて父の言う事を拒絶してしまった。
だからこそ、父も今回の事を許してくれたのだろう。

「望みはないとわかっていても…やはり、浅ましくも願ってしまいます」

もし、隣に立つのが彼であればと。
幾度となくそれを夢に見たのか分からない。
目を覚まし、決してありえる筈のない夢に涙した事もある。
そんな自分を思い出しながら、愛姫はそっと目を伏せた。

「行きましょう」
「…はい、姫様」

二人の足音が遠ざかっていく。
悠希は壁に凭れたままその音を聞いていた。

「何か…結構ややこしい事になってるわね…」

友人がその輪の中に巻き込まれているのだと思うと、少しばかり心配になってくる。
きっと紅ならば上手く解決させるのだろうけれど…未来は誰にも分からないのだ。
そんな風に考えていた彼女は、思い出したように立ち上がる。
そして、部屋から出ようと襖に手を伸ばした。
だが、それよりも早く、まるで自動扉のようにそれが開く。

「悠希?」

何をしているの、と問いたげな紅の眼差しが目の前にあった。
その向こうに愛姫の姿がない事を確認してしまうのは、先ほどの会話を聞いてしまったからだろう。

「いや、ちょっとね…」
「…大方、城の者に見つかりそうだったから隠れたんでしょうけれど…。
病み上がりなんだって事、ちゃんと理解しないと。ぶり返したらどうするの?」

やや怒ったような表情でそう言われ、悠希は苦笑交じりに謝った。
溜め息と共に微妙な視線を向けられる。

「少しは自覚しないと…週末には元親さんが迎えに来てくれるんでしょう?
治ってなかったら、この城から出さないわよ」
「えー」
「“えー”じゃないでしょうが、まったく…」

呆れた、と肩を竦めると、紅はそっと視線を動かす。
彼女が振り向いた方向は、愛姫たちが去っていった方だ。
そんな紅の行動を見て、悠希はふと気付く。

「紅、いつから居たの?」

確信めいた問いかけだ。
紅はそれに対し、軽く微笑んで人差し指を唇に乗せる。

「さぁ…いつからかしらね」

悪戯な微笑みは、その答えを示していると見てまず間違いはない。
悠希は肩を竦めた。

「それで?優秀な奥方様は何を理解したのかしら?私には今一腑に落ちない点もあるんだけど」
「…こればっかりは憶測では話せないし…心の問題だから」

どうやら、話してくれるつもりはないらしい。
尤も、それが彼女らしいと思えるけれど。
誰かから好きな人を聞いても、紅がそれを別の人間に伝える事はなかった。
言わないでね、と言われると話したくなるのが人間だろう。
それは性と言うもので、誰しも一度は体験していると思う。
それでも、その結果誰かが傷つく可能性のある内容は絶対に口外しない。
たとえ、悠希を相手にしていたとしてもそれは変わらなかった。

「まぁ、紅が言わないって決めたなら無理には聞かない。
だけど…あんたが巻き込まれるなら、私も黙っちゃいないわよ」
「…ありがとう」
「…お礼を言う所じゃないわ」

ふん、と視線を逸らし、悠希は用意されている自分の部屋へと歩き出す。
散歩はこの程度で十分だ。
これ以上は確かに風邪をぶり返す可能性もあるのだから、無理は禁物。
旦那に無駄足を踏ませるのもね…そんな事を考えながら、悠希は静かに歩いた。

08.02.12