廻れ、
- 廻 れ 、 廻 れ 。 時 空 よ 、 廻 れ -
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翌日、執務を放っておく事は出来ず、政宗は再び前線へと向かった。
紅は朝早くに出かける彼を見送り、鍛錬の後は己の領地からの報告書に目を通す。
そうして時間を過ごしていた紅の元に、愛姫が姿を見せたのは、昼餉の前のことだ。
「紅様、少しよろしくて?」
そう声を掛けられ、紅は顔を上げる。
そこにいたのは、微笑みを絶やさない愛姫。
侍女を連れ、態々紅が仕事部屋として使っているここまでやってきた彼女に少し驚きつつも、言葉を返す。
「今暫くお待ちいただくことになりますが、それでもよろしければ」
客人として迎えている以上は優先すべきだったのかもしれない。
けれど、紅には先に片付けておかねばならない案件があった。
彼女の話が長引く可能性を考えれば、そちらを先に片付けるのが先決。
「ええ、構いませんわ。こちらで待たせていただいてもよろしゅうございますか?」
にこりと笑い、部屋の隅を指す彼女に、どうぞと頷く。
それから、紅はすぐに執務に戻った。
彼女の登場により部屋の隅に控えていた家臣を近くへと呼びつけ、直接報告を聞く。
「姫様を後回しにするとは、なんと無礼な…」
「……………」
集中しているらしい紅をいい事に、愛姫の侍女が声を潜めて呟いた。
愛姫は彼女の言葉に何も答えを返さない。
ただ、じっと紅の様子を見ていた。
「河川の氾濫の件はどうなったの?」
「特に滞りもなく工事は完了しそうです。ただ…資金が底を尽きそうなのもまた現状」
このままでは民が飢えてしまう。
そんな意味を含ませた家臣の報告に、紅は眉を顰めた。
彼女の指は複数に及ぶ資料を手当たり次第に探り、己の欲している情報を探す。
「…あの地域は、今年は特に豊作だったと聞いているけど……資料がないわね」
「は。その通りです。例年以上に豊作で、それに関しては喜んでいるようで…」
「余った作物を雪耶で買い取りましょうか」
そちらに回す事の出来る金やら食料やらを脳内で計算し、問題はないと判断する。
紅の言葉に、家臣は頷いた。
「では、そのように手を回します」
「ひと月以内に関係者を米沢城へと派遣するよう段取りしておいて」
詳しい話はそこで、と告げると、紅は彼に他に報告がないかを尋ねた。
頷く彼を見て、下がるように指示を出す。
そして、手元の筆を取って資料に先ほどの解決策を記し、それを置いた。
手早くそれらを確認し、他に事を急いている案件がないことを確かめる紅。
それから、漸く愛姫へと向き直った。
「お待たせいたしました。お茶を用意させますので、こちらにどうぞ」
隣へと通じる襖を開き、そちらへと彼女を促す。
外に控えている家臣に茶の用意を伝え、彼女の向かいへと腰を下ろした。
「それで…愛姫様は、どのような趣で?」
仕事ではなくなったからだろう。
紅の後ろには、先ほど茶を運んできた楓が控えている。
自分の仕事もあるだろう、と言うことで、紅が執務をこなしている間は彼女の元を離れるように言ってある。
本来侍女と言うからには、常に主人に付き従うもの。
決して良い顔はしなかったけれど、政宗の「好きにさせろ」と言う言葉に、彼女も渋々頷いた。
「紅様は、女子の役割をどのように思っておられるのですか?」
唐突な質問だ。
前触れも何もなく、そう問いかける彼女に紅は至って冷静に返す。
「どのように、とは?」
「夫の子を産み、跡取りとなるよう立派に育て上げることこそが女子の役目。
政に手を出し、そこを疎かにするようでは、女子である意を見失っているとは思いませんか」
表情や声はそう感じさせないのに、その言葉には攻撃染みた何かを感じる。
紅はそれに対しても表情を変えずに微笑んでいた。
「私は政宗様の妻であり、雪耶家の当主。そのどちらも疎かにしているつもりはありません」
政宗が妻としての役目に全てを注げと言うならば、紅はきっとそうするだろう。
しかし、彼はそうでなく、当主としての役目を果たし、民を守れと言ってくれる。
紅の性格や思いを理解した上でそれを受け入れてくれている。
甘えていると言えばそうなのかもしれないが、これは彼女には譲れないものだった。
だからこそ、その分を雪耶の軍の働きで返すのだと密かながらも胸に誓っている。
「でも、もうすぐ嫁がれて一年でしょう?
それなのに、お子の兆しが見えないとなれば、伊達家にとっては由々しき事態ですわ」
「―――失礼ですが、そのような事は愛姫様にはお関わりのないことかと存じます」
伊達の行く末を案じるのは勝手だが、そこに口を出されては困る。
紅の言葉に表情を変えたのは、愛姫の侍女の方だった。
「なんと!姫様に対して、その物言いはなんです?」
蝶よ花よと育てられ、また自分もその様につき従ってきた姫に対する言葉を許せなかったのだろう。
暴言と思うつもりはないが、それに慣れていない彼女に向けるにはやや乱雑な物言いだったのかもしれない。
「私は誰に言われようとも、今後の行いを改めるつもりはありません。
私は私の出来る全てで政宗様をお支えいたします。妻としても、また雪耶家の当主としても」
伊達の行く末を案じていただく必要はありません。
はっきりとそう告げた彼女に、侍女はいよいよ腰を浮かせた。
いきり立つ侍女を諌めるでもなく、その場に座っている愛姫。
彼女の目が、酷く冷めているように見えた。
「姫様!この様な扱い、許す必要などありません!すぐに―――」
「お控えくださいませ。紅様は奥州筆頭の奥方ですよ」
今まで口を噤んでいた楓が、そこで初めて声を上げる。
冷静な声に、より一層煽られる事になったのか、彼女はカッと頬を赤らめた。
「何を無礼な!本来ならば姫様がご正室に上がられる筈であったと言うのに…っ」
「交わされた口約束がどうであろうと、紅様が筆頭唯一の奥方であることに変わりはありません。
紅様を侮辱するは、筆頭への侮辱と心得なさい」
先ほどまでの静かに佇んでいた様子など垣間見せる事もなく、寧ろ鋭さすら感じさせる。
そんな楓の言葉に、相手は漸くその口を噤んだ。
その様子から見るに、奥州の中での楓自身の立場も割合と高いのかもしれない。
紅は彼女らが一息ついたところで、軽く手を上げて楓を制した。
彼女はそれに忠実に従い、頭を低くして元の位置へと下がる。
「…侍女が失礼いたしました」
「いえ、お互い様と言うべきでしょう」
自然と、流れはこの一件を水に流す方向へと動く。
互いの侍女を責めたところでどうにもならないことを、二人とも分かっているのだろう。
「紅様は…良い家臣に恵まれていますね」
どこか遠い目を見せてそう呟いた彼女の言葉。
紅は、頭の片隅でその違和感の意味を理解した。
だが、確信はない。
言うならば…女の勘が、そう告げている。
「お忙しい所に失礼いたしました。私はこれにて」
にこりと笑ってそう言うと、行きますよ、と侍女に声を掛けて立ち上がる。
着物の裾を翻して去っていく彼女を見送ると、紅は溜め息を吐き出した。
「紅様…申し訳ありませんでした」
「構わないわ」
気にしないで、と微笑んだ紅は、楓に空になった湯飲みを差し出す。
彼女は何も言わずともその行動を理解し、新たな茶をそこに注いだ。
「もし姫様が筆頭に告げられたら、迷わず私の独断とお伝えくださいませ」
「大丈夫よ。あの人はその程度のことが分からないような、曇った眼の持ち主じゃないわ」
「しかし…」
「安心していなさい、楓。私は、あなたが私のためを思ってくれたその行動、とても嬉しかったのよ」
ありがとう。
そう伝えれば、彼女も漸く肩の力を抜いたようだ。
この時代、家柄と言うのは大切なのだが…中々面倒なものだとも思う。
目上の者に対する態度によっては、その命で償う事すらあるのだから、恐ろしいものだ。
少なくとも、紅の目の届く範囲でそんな事をさせるつもりはないけれど。
新たに注がれた茶を飲みながら、そんな事を考えた。
08.02.06