廻れ、

- 廻 れ 、 廻 れ 。  時 空 よ 、 廻 れ -

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日も暮れ、定番の月見を楽しんでいた紅の元に、政宗が近づいてくる。
そうは言っても彼の姿はまだ見えず、慣れた気配が近づいてくるだけだ。
この時代に来て原因不明に発達した気配察知能力。
もう何年もの付き合いの如く、紅はそれを使いこなしている。
足音が聞こえるようになり、襖が開いて…漸く、彼が姿を見せる。
紅がそこに居る事も分かっていたのだろう。
そのまま部屋を横切り、窓の傍まで歩いてくる政宗。
バサッと布の音がして、視界が真っ暗になった。

「湯冷めするっていつも言ってるだろうが」

どこか呆れた風な声が降って来る。
布の海から抜け出した紅は、そのまますぐ傍に立つ彼を見上げた。
頭に被せられたのは、彼の上着だったようだ。
ふわりと鼻を突く慣れた匂いに、思わず頬が熱くなる。
幸い、月はその変化が彼に伝わらないように、一時的に雲の向こうに隠れてくれた。

「今日はあんまりよく見えねぇな」

雲の後ろに隠れてしまった月のことを話しているのだろう。
彼は、そうですね、と同意した紅の隣に腰を下ろす。
風呂上りで、少し着崩された着物は何と言うか…ある意味では目の保養なのだが、紅にとっては目に毒だ。
どこを見ていいか分からなくなって、彼に倣うようにして空を仰ぐ。
何度も見ているはずなのに、一向に慣れる気配のない自身にはほとほと呆れるばかりだ。

「雪耶の奴らはどうなった?」

ふと、彼の悪戯めいた視線が紅に向けられる。
彼女は軽く肩を竦め、口を開いた。

「何の問題もなく」

あっさりとした返答に、声を上げて笑う。
元々、彼が分かっていない筈はないのだ。

「しかし…氷景があんな細かい配慮のできる忍だとは知らなかったな」

意外だ、と呟く彼に、紅は少し驚いたようだ。
彼女にとって氷景と言う忍は、それこそ彼女の不足を補うように動いてくれる良く出来た忍だ。
精神面でカバーされる事も多く、それが普通になってしまっている部分もある。

「俺についてた時のあいつは、結構大雑把だったからな」

政宗の精神面をカバーするのは小十郎の役目だと言う認識も少なからずあったのだろう。
それを考慮したとしても、今の方が細やかに動いているように思えてならない。
それは、紅が…彼がずっと求めていた、唯一の主と認めたからに他ならない。

「まぁ、もっと意外だったのは…お前も妬くんだって事だな」

どこかからかいを含ませた声色。
紅はいよいよ頬を染め、あれは…と声を上げる。

「妬いたつもりは、更々ない…んですけれど、その…」

結果としてそうなっている事に変わりはない。
嫉妬と言うのは、意識して抱く感情ではないのだから、この場合はどうしようもないのだ。
ただ、何と言うか…彼に、こんな嫌な感情を気付かれたくは無かった、と言うのもまた本音だ。
どう伝えていいのか分からず、紅は俯いた。
政宗の腕が紅の頬へと伸び、親指が目元を擽る。

「嫌な思いをさせたな」

悪かった、と告げる彼。
紅はゆっくりと首を振った。

「政宗様の過去に私が居ない事くらいは、理解していますから…」

感情が絡めば、理解と納得は別問題だ。
微笑む彼女の笑顔に力はなく、申し訳なさばかりが目立っているように思えてならない。
そんな彼女の反応を、自分の感情を持て余しているのだと、政宗はそう思った。

「お前は…色んな顔を見せるようになったな」
「え?」

唐突な言葉に、紅は俯く事を忘れて彼を見た。
紅の視線を受け、政宗は笑う。

「主人と家臣、って枠から抜けてきたって言ってんだよ」

頬をなぞる指先がなんともくすぐったい。
けれど、それから逃げたいと言う気持ちにはならなかった。

「そんな…感じでしたか?」

自分では意識していなかったのだけれど、実際はそうなのだろうか。
首を傾げた紅に、彼は喉で笑いながら肯定の返事を返した。
彼の言葉を受け、自身の様子を思い出してみる紅。

…そう言えば、初めの頃は主という意識が強かったように思う。

今はその意識が弱いというわけではないのだ。
ただ、彼は…主である前に―――彼女の夫となった。
主よりもずっと近い存在になったのだといっても、決して過言ではないだろう。
そんな事を考えた自分が少しだけ照れくさくて、それを隠すように政宗の肩にもたれかかった。
彼は何も言わず、ひんやりとしている彼女の髪に自身の指を差し込む。

「甘えるようになったな」

いい変化だ、と笑う。
その低い声が心地よく、紅は静かに瞼を伏せた。
こうすれば、他の何物にも邪魔される事なく、彼の声だけに集中できる。
そんな彼女の思いを知っているのだろうか。
彼は、彼女を抱き寄せて耳元に唇を寄せた。

「明日からも嫌な思いをさせるかもしれないからな。今夜は思いっきり甘やかしてやろうか?」
「…普段から甘やかしていただいていますけれど…」
「それ以上に、だ」
「ご冗談を。心臓がもちませんよ」

軽口を叩いているようにも思えるけれど、彼女の頬は赤く染まっている。
この姿勢が気になるのか、低く耳障りの良い彼の声が気になるのか。
恐らくは、その両方なのだろう。
そんな反応に、彼は心中で口角を持ち上げる。

「―――…お前なら気付くだろうな」
「政宗様?」
「いや、何でもない。何を言われても、何を見ても、何を聞いても…俺の言葉を、あの誓いを信じろ」

政宗の大きな手が紅のそれを拾い上げる。
掌に落とされた口付けは神聖なる儀式にも似た行動だ。
その光景と、伝わる熱に浮かされた様に動けない彼女。
彼女の脳裏で、彼の言葉がぐるぐると回った。
信じろ、と言う強い言葉を、迷いなく信じられると思う自分が居る。
感情を持つ人間なのだから、揺れる事があるのは当然だ。
それでも、彼の言葉だけは疑わないと心に誓う事ができる。

「私も…誓います」

そう言って、紅は己の手を包む彼のそれを、逆に包み込んでしまう。
そうして体温を分け合ってから、彼女は彼と同じように、その掌に口付けた。

「何があろうと…この命の続く限り、政宗様だけを慕い、そして信じています」

いつか、彼が天下を治めるその時を、彼の隣で迎える。
その覚悟も願いも、今も全く変わっていない。
瞼を伏せ、まるで祈るようにそう告げた彼女。
政宗はそんな彼女を見下ろしつつ、空いた手で髪を掻き揚げた。

「紅」

彼は紅の手を解いて顔を上げさせる。
視線が絡むのと同時に、その唇を重ね合わせた。

「あんまり煽るなよ」
「…煽る?」
「止まらなくなるだろうが」

どこか呆れた風に笑いながら、彼はひょいと紅を抱き上げた。
そのまま部屋の中へと歩き出す彼に、彼女も漸く言葉の意味を理解する。
けれど、逃げる理由はどこにもない。
首筋まで赤くしながらも、彼女は無言のまま彼の首に腕を回した。

08.01.29