廻れ、

- 廻 れ 、 廻 れ 。  時 空 よ 、 廻 れ -

-- 111 --

悠希とのひと時を過ごしていた紅。
そんな彼女の自室に、足音が近づいてきた。
障子の前で音が止まり、代わりに「紅様」と控えめな声が掛かる。

「ご一行が到着されたようです。筆頭が悠希様の具合がよろしいのでしたら、紅様をお呼びするようにと」
「わかったわ。悠希…」
「私は構わないわ。行って来て」

振り向いて何かを紡ごうとした紅を遮り、悠希がそう笑う。
顔色も随分と良くなっていて、声もかすれていない。
先ほど薬湯を飲んだばかりだし、ここに居てしてもらえることと言えば話し相手くらい。
それならば、別の客への挨拶に行ってほしいと思う。
一国の奥さんを自分のところにばかりいてもらうわけにはいかないのだから。
ごめんね、と言って紅が立ち上がる。
そして、襖で区切られた隣の部屋へと歩いていった。
紅は先ほどの遠乗りの時の格好のままだ。
実に簡素な着物で、流石にその姿のまま客人と会うわけには行かない。
紅を追うようにして廊下の足音が遠ざかる。
それを見送り、悠希はすることもないので布団に寝転んだ。











筆頭の奥方なのですから、と意気込む楓を「時間がないから」と宥め、派手過ぎない着物に身を包んだ。

「紅様のお召し替えをと意気込んでまいりましたのに…」
「はは…あのね、楓。あんなにも派手に着飾る意味も時間もないから」

乾いた笑い声を零しつつ、廊下を歩いていく。
そうして、楓から聞いていた部屋の前へと辿り着く。

「筆頭。紅様をお連れいたしました」

閉じられていない襖の前でそう声を掛けると、入れ、と言う短い返事が聞こえた。
楓に目配せして後ろに下がらせると、紅が部屋の中へと入る。
上座となる奥に政宗、入り口に近い位置に居るのが―――
紅は入ったその場に腰を下ろそうとするが、政宗の手招きにより彼の近くへと移動する事になった。
彼と同じ向きに腰を下ろすことにより、客人と真正面から対峙する事になる。

「話には聞いてると思うが…。俺の妻、紅だ」
「紅と申します。遠路遥々ようこそお越しくださいました」

政宗からの紹介を受け、紅は頭を低くする。
彼女が頭を上げるのと同時に、彼は紅を見て口を開いた。

「紅。愛姫だ。俺が餓鬼の頃から家の付き合いがある」
「紅様にはお初お目にかかります。この度は、急な事にも拘らず、お迎え頂きましたこと、感謝いたします」

紅よりも更に低姿勢を取る様に深く頭を下げる客人――愛姫。
顔を上げた彼女と視線が絡む。
彼女は同性の紅から見ても、美しい女性だった。
少し下がり気味の目元も、柔らかい印象を与える事を手伝っている。
鮮やかな色の着物に身を包んだ彼女は、凛と背筋を伸ばし、そこに佇んでいた。
そんな彼女の視線が、ふと何かを探すように紅の周囲を巡る。
それはほんの一瞬の事で、ともすれば気づく事のない仕草。
けれど、紅には何故かその仕草が気になった。

「挨拶も済んだ所で…悪いが、本題に入る。愛姫、今回は何で米沢城に来たんだ?」
「先の勝ち戦も無事落ち着いたとの報せにより、父より政宗様のご正室にご挨拶をするようにと…」
「………清顕公か…」
「はい。私も…政宗様にお会いしとうございました。この城に入らせていただくのも、随分と久しぶりですもの」

そう言って控えめに微笑む彼女。
紅は自分の心の中に僅かな淀みを感じた。
こんなもの、気付きたくは無かったのだが―――分かっていたことだ。
自分の居ない過去の政宗を知る女性に、自分が浅ましくも嫉妬してしまう事くらい。

「片倉様はお元気で?」
「あぁ、あいつなら今は兵を見てる」
「息災のようで何よりです。でも、政宗様がお一人と言うのは些か危ないのでは?」
「そんな心配はしたこともねぇな。ここには紅が居る。それに…守りを固めてるのは見える所ばかりじゃねぇからな」

ハ、と鼻で笑うようにしてそう答えた政宗。
彼の言う見えない守りと言うのが、氷景の事であると紅には分かっている。
この部屋に入った時から、彼の気配を感じているのだ。
政宗の言葉に、愛姫は「そうですか」と穏やかに呟く。

「紅様は武道に長けたお方だとお聞きします。先の戦でもご活躍なされたとか…。いつから武道を始められたのですか?」
「幼少の頃より続けています。始まりは…三つの頃でしょうか」

昔を思い出すようにそう答える。
気がついた時には、木刀を扱えるようになっていた。
今となってはそのお蔭で政宗の傍に居られるのだから感謝したいものだ。
しかし、あの頃は何故こんな時代遅れな事を…と思った日も、少なくは無かった。

「まぁ…そんなに幼い頃から…。さぞかしお辛い思いをされたのでは?」
「辛くもありましたが…そのお蔭で今があるのだと思えば、悪くはありませんよ」

寧ろ、過去の頑張った自分を褒めてやりたい。
痛さや悔しさや…訳のわからないままに流した涙も、無駄ではなかったのだ。
苦笑いにも似た、けれどどこか満足げな表情で答える紅を見て、政宗は自然と口角を持ち上げた。

「そうですか。…紅様はお強いのですね」

後半部分はあまりにも小さい声だったため、彼女以外には聞こえなかっただろう。
愛姫は話題を変えるかのようににこりと微笑んだ。

「政宗様。あの木はまだ元気ですか?」
「あの木?」
「もう8年ほど前の…」

昔を懐かしむような愛姫の言葉に、紅はどこか冷静な自分が居る事に気づいた。
心の中では不愉快な感情が徐々にその面積を増やしてきている。
それに反するように、彼女の頭は静かに冴えていく。
何とも不思議な感覚だった。


不意に、屋根裏の気配が動く。
一瞬消えたかと思えば、紅の後ろに降り立つ姿が一つ。
言うまでもなく、屋根裏で待機していた氷景だった。

「氷景?」

どうしたの?と驚いたように瞬きをする紅。
このタイミングで彼がこの場に姿を見せる理由が分からない。
楽しげに昔話を話していた愛姫が「あ、」と声を上げた。

「雪耶の家臣が城に到着しています」
「え…?」

確認するように政宗へと視線を向ければ、彼は氷景の方を見ている。
二人のアイコンタクトはほんの一瞬の事だった。

「何か用があるんだろう。行ってこいよ」
「あ、はい。では、愛姫。私はこれで失礼します」
「…っ、いいえ、お気になさらず…」

紅はそう言うと部屋を去るべく立ち上がる。
それに続くようにして氷景も彼女に倣った。












廊下を少し歩いた所で、紅は小十郎と出会った。
その手には湯飲みの乗った盆がある。

「紅様?今茶を運んでいたのですが…」
「あぁ、ごめんなさい。雪耶の者が来ているらしいので、行ってきます」

紅はそう答え、申し訳なさそうな表情を見せる。
そんな彼女に、小十郎は不思議そうに首を傾げた。

「雪耶の…?そんな話は聞いておりませんが…」
「ええ、そうでしょうね」

クスリと笑う。
その笑みの意味も、言葉の意味も分からない彼は、ただ疑問符を積み重ねていく。
そんな二人の後ろに控えていた氷景が声を上げた。

「姫さん。俺は筆頭の所に戻るが…問題ないよな?」
「ええ。“ありがとう”、氷景」
「…これも、俺の仕事だ」

含みのある礼に、氷景はそう答えて姿を消す。
彼の消えた場所を見つめ、それから紅を見る小十郎。

「紅様?」
「氷景は優しいんです」
「はぁ…」
「あ、お茶…一ついただいていきますね」

そう言って盆の上から一つの湯飲みを持ち上げ、紅は自室へと足を向ける。
去っていく彼女を見送り、小十郎は首を傾げた。
だが、思い出したように政宗の待つ部屋へと急ぐ。

「氷景に気を使わせるほど酷い表情だったかなぁ…」

自室までの道中、空いた手で自分の頬を摘みながら、紅は苦笑を零す。
その日、雪耶の家臣が米沢城を尋ねる事などなかった。

08.01.24