廻れ、

- 廻 れ 、 廻 れ 。  時 空 よ 、 廻 れ -

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城へと戻ってからは、政宗とは別の行動を取った。
すぐに愛姫を迎える準備に入る彼とは対照的に、紅は自室へと足を向ける。
そして、布団の中で上体を起こし、何かを読んでいるらしい悠希に声を掛けた。

「身体の調子はどう?」
「数時間ぶりに帰って来たと思ったらそれ?大丈夫だってば」
「それなら安心したわ。薬湯の時間だから、用意するわね」

そう言って部屋の端に纏めておいてあったそれの用具の元へと近づく。
慣れた手つきで準備を進める彼女を見ながら、悠希は思い出したように「そう言えば」と声を上げた。

「忙しそうだった原因は?」
「あぁ…。どこかの姫様がいらっしゃるんですって。政宗様ともお付き合いがある方みたい」
「ふぅん…お客か。私の事は気にしなくていいからね。喉の調子も随分戻ってきたんだし」
「そう言ってもらえると助かるわ」

正式な客人となれば、紅も出迎えないわけには行かないだろう。
悠希に掛かりきりになるのは難しい。
声も随分と楽そうなので、この分だと約束の日には元親と共に四国に戻れるはずだ。
その時を思うと少し寂しいけれど…これが、自分達の進んだ道だ。
それに、彼女は愛する人と離れている。
その人の元へと帰してあげなければならない。

「どこの姫さんが来るの?」
「愛姫と仰るみたい。田村清顕様のご息女だそうよ」

湯気立つ薬湯の準備が整った。
それを手に答えれば、悠希が驚いたように目を見開く。
そんな彼女に、紅はそれを差し出しながら首を傾げる。

「悠希?」
「愛姫?本当に、そう言っていたの?」
「え、ええ…そう聞いているけれど…知っているの?」

彼女の手を取って湯飲みを渡す。
悠希の様子に首を傾げたまま、紅はそれを飲むよう促した。
しかし、悠希はまだそれを飲んでいないにも関わらず苦い表情を見せる。

「悠希、その表情は飲んでからすべきよ」
「誰が薬湯の話をしてるのよ。愛姫って言ったら、あんた―――伊達政宗の正室の名前よ」

最後の部分を紡ぐのに、少し躊躇ったようだ。
やや短い沈黙の後、彼女は少しだけ声を潜めてそう言った。
その言葉に、今度は紅が動きを止めて驚いたように目を見開く。

「政宗様の…」
「正しく言うと、あんたの政宗様じゃなくて、史実上の伊達政宗。あの人とは全くの別人」
「大丈夫よ。その辺りの違いは、ちゃんと認識できているから」

明らかに自分を気遣ってそう言ってくれる悠希に、紅はそう答えた。
それから、彼との遣り取りを思い出して苦笑する。

「そっか。だから…か」

ややこしい事に巻き込むかもしれない。
そう言った彼の言葉は、これを指していたのだろう。
史実上の伊達政宗の正室が城に来るならば、ややこしい事にならないと言う事はまず考えられない。
政宗と彼女の関係を疑ったりはしないけれど、複雑な事情があることもまた事実なのだろう。

「大丈夫…なの?」
「それを聞かれるなら、私だって聞かなくちゃいけないわよ。悠希は平気?」

紅の場合、政宗と愛姫が関係しているのは史実のみ。
しかし、彼女の場合は違うのだ。
信親と言う息子がすでに存在すると言う事は、彼女の前に元親と関係を持った女性がいると言う事。
政宗が女性と関係を持たなかったとは言わないが、子供が居るのと居ないのとでは訳が違う。

「信親のこと?気にしてないわよ。あの子、私の事を大事にしてくれるから」
「それならいいけれど…。…私も、同じ事よ」

そう言って笑い、もう一度薬湯を飲むように促す。
飲まないことには話が進まないと理解したのか、悠希は少し冷めたそれを一気に飲み干した。
途端に、苦虫を噛み潰したような表情を見せる彼女。
紅はクスクスと笑いながら、彼女に苦味を緩和する砂糖菓子を手渡した。

「政宗様は、ちゃんとその辺りの事を気にかけてくれたわ。だから…大丈夫なの」

言葉だけが全てではない。
彼が全身で自分を守ろうとしてくれている事、ちゃんと分かっている。

「まぁ、それなら…。とにかく、無理はしないこと。私だって居るんだから、抱え込んだら許さないわ」

わかった?と確認するように首を傾げた彼女に、紅はしっかりと頷いて見せた。
それから、どちらともなく笑いあう。

「私も挨拶した方がいいのかしら」
「そうね…体調がよかったら、ね。でも、きっと必要ないと思うわ」
「どうして?」
「同盟を結んだ長曾我部の奥方が態々出向く必要はないだろうから」
「あぁ、そっか…客人としては、同じ立場だしね…」

納得した様子を見せる悠希に、そう言う事、と答える。
薬湯を作るのに使った用具を片付ける紅。
そんな彼女の動きを眺めていた悠希は、不意にその口を開いた。

「ねぇ、紅」
「なぁに?」
「相談…したんだけど、いいかな」

いつになく神妙な様子の彼女に、紅は作業の手を止めた。
紅の動きが止まった事に気付くと、悠希は苦笑して「作業しながらでいいよ」と付け足す。
やや緩慢に作業を再開した紅を見ながら、彼女は再度口を開いた。

「信親がね。呼び方を悩んでいるみたいなの」
「呼び方っていうと…」
「うん。母上って呼んでいいのか、わからないみたい」
「そう言われたの?」

紅の問いかけに悠希はただ一度頷いた。
なるほど、彼も中々真っ直ぐな青年のようだ。
どう呼べばいいのか、自分で結論を出せず、最終的に悠希にその判断を任せたわけだ。
しかし、と思う。

「(なんだ…ちゃんと、認められてるってことじゃない)」

どこか安心したようにそう思った。
悠希に判断を委ねると言う事は、彼女が呼べと言ったもので呼ぶということだ。
母親として、父親の妻として認めていないならば、そんな事は言えない。
認めているからこそこのままでいいのかと悩み、悠希に助けを求めたのだ。

「どっちでもいいんだと思うよ」
「それはそうだけど…だから、困ってるの」
「それなら…呼ばせてあげればいいじゃない。信親殿が言っていたわ。
産みの母親を母とは呼べないって。心の底で、そう呼べる人を求めているのかもしれない」

寂しくはなかったか、と問いかけた紅に、彼はそんな余裕はなかったと答えた。
それは本心であり、しかし本心を隠した言葉でもあったように思う。
もしかすると、母親と言うものを知らないが故に、それを本心と思い込んでいるのかもしれない。

「そ、っか…。じゃあ、そう言ってあげればいいのかな…」
「うん」
「私に、母親が出来ると思う?」
「何を今更。あなた、今はもう母親なの。行き成り赤ん坊の母親になるよりも、出来た息子の母親になる方が楽よ」

きっとね、と紅は悪戯に笑う。
その笑みを見て漸く決心がついたようだ。
悠希は頼りない表情を捨てて頷いてくれた。

「ありがとう、紅。決心がついたわ」
「どういたしまして」

08.01.17