廻れ、
- 廻 れ 、 廻 れ 。 時 空 よ 、 廻 れ -
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同盟の兼ね合いもあり、元親が奥州に留まっているのは限界だった。
潮風は身重で風邪を引いている悠希には良い影響を与えない。
海で生きる元親は、それをよくよく理解していた。
しかし、自分は四国に戻らねば。
少しだけ悩んだ末、彼は紅に悠希を預かってもらえないかと問う。
大事な親友のことだ。
彼女が首を横に振る筈もなく、悠希は奥州に残ることになった。
「2週間後に迎えに来る。それまでに風邪を治しておけよ」
「…ん。わかったわ。気をつけてね」
悠希は手を振って元親を送り出す。
小さくなる船を見つめる彼女に、紅はいつまでも付き合った。
その翌日のことだ。
早くに起きて、朝の鍛錬を済ませた紅は、悠希の看病をしていた。
風邪、と言っても、まだ喉をやられた程度らしく、声が出にくいこと以外はあまり症状はない。
医者も、薬湯を飲んで身体をあたたかくしていればすぐに治る、と診断した。
身重の身体にも影響を与えない薬湯だと説明され、紅もほっと安堵してそれを受け取る。
「悠希。調子はどう?」
「もう平気よ。少し声が掠れる程度だから」
この分なら、彼と一緒に帰ることもできた。
少し口を尖らせる彼女に、紅はくすくすと笑う。
「昨日、無理をしなかったからすぐに治ったんでしょ?ほら、朝の薬湯よ」
「…それも、そうね」
湯飲みにたっぷりと注がれたそれを受け取り、ふぅふぅと飲めるように冷ます悠希。
随分と熱いものを用意してくれたものだ。
そんな思いを込めて紅を見上げるが、彼女は苦笑を返すだけ。
紅自身が用意しているわけではないのだから、彼女に言っても仕方のないことなのだろう。
少しずつ冷ましながら飲んでいく悠希を見ていた紅だが、不意に部屋の外の騒がしさが気になった。
「何か、今日は慌しいわね」
「さっきまではこんな調子じゃなかったわよ」
「…急な来客でもあったかしら」
忙しなく動き回っているのは、どうやら侍女の類のようだ。
時折聞こえてくる女性の声が、それを物語っている。
「話を聞いてくるわ」
「ん。ちゃんと休んでるから、私のことは気にしないで」
行ってらっしゃい、と送り出され、紅は振り返ることもなく客間を出た。
少し廊下を進めば、向こうから小走りに移動してくる女性を見つける。
悠希の世話を頼んでいる女中だと気づくのと同時に、彼女が紅の前に膝をついた。
「おはようございます、紅様。悠希様のお風邪の様子ですが…」
「おはよう。それなら、もう会ってきた後だから気にしないで。それより…何事なの?」
「実は…早馬の知らせにより、愛姫が城に向かっていると」
「…愛、姫?」
どちら様?と言う思いを込めてしまった。
それに気づいたのか、彼女が説明してくれる。
「田村清顕様のご息女で、筆頭とは幼少の頃より馴染みの深い方にございます」
「政宗様の…。このこと、政宗様にはお伝えしたの?確か、今日は朝早くから国境の視察に向かわれているはずよ」
「急ぎ早馬を出すよう伝えておりますが、手の空いた者がおらず…」
申し訳なさそうに頭を垂れる彼女に、それでは仕方がない、と納得する。
早馬は速さがなければ意味がない。
適当な部下を向かわせても、無意味ではないが、政宗が戻る方が早いかもしれないのだ。
「なら、私が行くわ。馬屋の泰久に虎吉の準備を頼んでおいて」
「承りました」
そう言えば、虎吉と共に外へ出るのは久しぶりかもしれない。
ふと、紅はそんな事を思った。
悠希が来てからと言うもの、彼女に合わせて近場ばかりに出ていた。
その所為で彼をほったらかしにしていたかと思うと、少し申し訳なく思えてくる。
「ごめんね、虎吉」
そう言って彼の鬣を撫でる。
手の動きを感じたのか、彼は嬉しそうに嘶き、蹄を鳴らした。
「今日は頑張って走ってね」
紅の言葉に答えるように、虎吉はもう一度高く啼いた。
国境までの道は一つではない。
当然の事だが、行き違う可能性もあった。
しかし、紅はこの類に関しては類を見ない運の持ち主である。
勘と今までの経験に基づき、彼女はその道を進んでいた。
そして、前方に一行を見つけ、今日もまた勘が正しかった事を悟る。
向こうもこちらに気付いたようだ。
表情までは見えないけれど、先頭を走る「彼」が後ろの部下に指示を出しているのが見えた。
どちらも足を止めてはおらず、いくらも進まないうちに言葉を交わすことの出来る距離まで近づく。
「紅!どうした?悠希の看病に残ってた筈だろ?」
手綱を引いて馬を止め、政宗がそう声を上げる。
朝自分を送り出した時には、後ろ髪引かれる様にすぐに自室へと戻ったのだ。
そんなに心配している彼女を置いて、何故この場に来ているのか。
不思議そうに首を傾げるのにあわせ、彼の手甲がカチャリと鳴った。
「政宗様にお伝えすべき急用がありましたので。早馬は全員出払ってしまっていて…」
「あぁ、今日は各地の使いに出してたな。悪い。どこか攻めてきたか?」
「そんな物騒な報せではありませんよ。城に客人です」
そう言えば、彼は「客?」と首を傾げた。
彼の反応にコクリと頷き、ブルル、と首を振った虎吉にあわせて姿勢を整える。
「愛姫と仰る方です」
紅がそう告げるや否や、政宗は怪訝そうに表情を歪めた。
彼の表情の意味が分からず、今度は紅が首を傾げる。
そんな彼女に馬を寄せると、小十郎が静かに問いかけた。
「愛姫はお一人で?」
「ええ、恐らくは。詳しい話は聞いておりませんが、今日中に輿が到着すると伺っています」
「…それならまだマシだな」
小十郎と紅の遣り取りをちゃんと聞いていたらしい政宗が頷く。
何がマシなのか?と言いたげな彼女の視線に、彼は軽く溜め息を吐きながら答えた。
「…帰ってからゆっくり話す。お前が伝えに来たって事は、できるだけ早く戻った方がいいんだろ」
「あ、はい」
「小十郎。お前は先に帰って指示を出しておけ。後ろに合わせる必要はねぇ」
今までは馬を疲れさせないような速度で走らせてきた。
政宗の言葉に、小十郎は「は!」と短く答えると、そのまま馬の腹を蹴る。
走り去るその速度は、先ほどとは比べ物にならなかった。
彼らについてきていた数名の部下は、必死に小十郎の後を追いかけていく。
「―――…紅」
「はい?」
すぐに出発するのだろうと思っていた紅は、虎吉の馬首を返す。
その途中で政宗に呼ばれ、上半身を捻りながら答えた。
彼の目はいつになく真剣なものだ。
「また、ややこしい事に巻き込むかもしれねぇが…」
「大丈夫です」
彼の言葉が最後まで紡がれるのを待たず、紅はそう言った。
そして、柔らかくも強い表情で微笑む。
「政宗様のお傍に居る為なら。あなたが必要としてくれるならば、私は大丈夫ですから」
そう告げる彼女は、それでもなお表情を崩そうとしない政宗に苦笑した。
そして、柔らかく微笑む。
「それでも心配してくれるのであれば…ただ一度、強く抱きしめてください」
はっきりとそう言った彼女に、政宗が軽く目を見開く。
そして、漸くその表情にいつもの笑みを零した。
彼は馬上から彼女の方へと手を伸ばし、その背中を引き寄せる。
呼吸を忘れるほどの抱擁の後、彼は僅かにその腕を緩めた。
「抱きしめるだけで十分か?」
悪戯な表情に、紅が少し頬を染める。
それだけで返事としては十分だ。
掠めるようにして触れた唇から愛しさが溢れるようだった。
「行くぞ」
彼女を解放した彼は、そう言って馬を駆る。
「はい」と小さく答え、紅もまた彼に続いた。
08.01.10