廻れ、

- 廻 れ 、 廻 れ 。  時 空 よ 、 廻 れ -

-- 103 --

何やら思いつめた様子の妻を横目に、政宗はくい、と杯を傾ける。
喉を通ってくる酒はほんのりと甘く、少し肌寒い今晩に適したものだった。
長曾我部の一行を招いた宴会は遅くまで続いたのだが、つい半刻ほど前にお開きになっている。
すでに城内も本来の静けさを取り戻しつつあった。
宴会で飲んだ後に部屋に戻って酒を煽ると、いつもは紅の制止の声が飛ぶ。
しかし、今日に限ってはその様子もなく、彼女は庭の木を見つめてぼんやりとしていた。

「……………紅」
「…、はい?お酒が足りませんか?」

政宗が呼べば、彼女は一瞬の間を置いてから返事をした。
空の杯を持っていたからなのだろう。
足りないかと問うた後は、飲みすぎはよくないと言ういつもの言葉が聞こえた。
いつもよりは、かなり覇気のない声ではあったけれど。

「どうした?今日はちゃんと悠希と話せたんだろ?」
「…ええ、その節は政宗様にもご迷惑を…」
「そこは気にするな。寧ろ、今のお前の様子が気がかりだ」

今度は何を抱えてる?と杯を徳利の横に置き、身体を乗り出す。
まったく酔った様子のない彼の独眼が紅を射抜いた。
居心地悪そうに肩を揺らし、1分ほどどことなく視線を彷徨わせる。
それから、彼女は漸く口を開いた。

「政宗様は、子供は好きですか?」
「子供?別に、嫌いじゃねぇよ」
「…そうですか」

政宗の返事を聞いた紅は、そのまま視線を庭へと戻してしまう。
どうにも、二人して庭と向き合っているこの位置関係が悪いような気がした。
けれど、今それを追及する事は、話の腰を折ることに繋がる。
視線がこちらへと向けられない事にどこか寂しさに似た感情を覚えつつ、政宗は続きを待った。

「…伊達家には、跡取りが必要ですよね」

紡がれた声はまるで空気に溶け込んでしまいそうなほどに小さい。
聞き逃さなかったのが奇跡とも思えるようなそれに、彼は軽く眉間に皺を刻んだ。

「家臣に何か言われたのか」
「…………………」

沈黙は肯定だ。
誰だ、そんな事を言った奴は―――呆れを含ませた表情で、それを言ったであろう家臣を探る。
小十郎を一番に除外し、次、次と家臣の顔を浮かべては消していく。

「…政宗様」
「ん?」
「ご側室を、お迎えになりますか?」

何を言われたのか分からなかった。
だが、それを理解すると同時に、彼の身体は意思とは無関係に動く。
グイッと強すぎる力で彼女の腕を引き、縁側から部屋の中へと戻る。
途中で足が徳利やら杯やらを撥ねたけれど、そんな事は片隅にも過ぎらなかった。
やや乱暴に紅を布団の上に投げ出し、後ろ手スパンッと障子を閉ざす。

「政宗さ…」
「もう一度、俺の目を見て言え」

見下ろす彼の目を見て、怒っているのだと気付く。
こんな目を見せたのは初めてだ。
今更に、紅は自分が口にした事の愚かさを認識する。

「…っご、めんなさ…っ」
「謝るな」

短くそう告げられ、紅は俯いた。
言葉に出来ない思いがこみ上げ、それが涙となって頬を伝う。
ポタリと落ちたそれが、膝の上で小さなシミを作った。
小さく肩を揺らす彼女に気付いたのだろう。
政宗は、やり場のない憤りを抑えるようにガシガシと髪を掻いた。
それから、紅のすぐ前に乱暴に腰を下ろす。

「何があった、紅。何がお前をそこまで悩ませてるんだ?」

俯く紅に、彼の表情は見えない。
ただ、その声は先ほど声を発したのと同じ人物のものとは思えないほどに、優しかった。

「俺には言えないのか?」

優しくそう問いかければ、彼女は何度も首を横に振った。
その様子が、数ヶ月前の求婚した時の彼女を思い出させる。

―――紅に泣かれるのは困る。

どうしてやればいいのかがわからず、政宗は前髪を掻き揚げてから手を伸ばした。
今度はそっと割れ物に触れるように彼女の肩に触れる。
そして、あの日と同じようにその身体を抱き寄せた。
その行動に躊躇いも迷いもない。
隙間なく抱きしめられた紅は、その腕の力に新たな涙を溢れさせた。
政宗にこんな表情をさせてしまったことが辛い。
こんな考えしか浮かばなかった自分が情けない。
出口のない迷宮に放り込まれたような錯覚すら覚えた。
全身で感じる事のできる彼の熱だけが、紅をその場に繋ぎとめている。











知らなかったわけではない。
全ての人に受け入れてもらえるのだと、高望みしていたわけではない。
けれど…実際に耳にするのと、心の片隅で理解しているのとでは、訳が違っていた。

「元々伊達家には正当なる血筋が必要なのだ」

進む先からそんな声が聞こえ、紅は足を止める。
それ以上近づいてはならないと、本能がそう告げていた。

「あのような、成り上がりの小娘を娶るなど…筆頭は気でも違えたか」
「そなたは己が娘を嫁にと推しておりましたな。思惑通りに事が進まなんだのが悔しいか」
「儂は伊達家の行く末を案じておるだけだ!友人だか何だか知らんが、そちらはすでに懐妊と聞く」
「まだ1年も経ってはおらぬ。そう急く事もあるまい」
「天下を目指す筆頭の命など、いつ散ってもおかしくはない。
伊達家に必要なのは戦姫などではなく、正当な流れを引き継ぐ事の出来る者に他はあるまい」

紅は愕然とした。
筆頭の…政宗の命が散ってもおかしくない―――躊躇いすらなく、そう言ったことが。
そんな事を言うような家臣が彼の下についていることが、信じられなかった。
彼についていくと決めた自分達が、そんな事を考えてはいけない。
何があっても…この命に代えても彼を守るのだと、それくらいの覚悟を持っていなければならないのだ。

「大体、筆頭はあの小娘に執着しすぎておるのだ。長く時を共にすれば、情も冷める」
「紅様はご正室であられる。あまり無礼な事を申されるな。その首、まだ胴体には必要であろう?」
「いや、しかし―――」

声が去り、気配すらも感じ取れなくなった所で、紅は柱に背中を預けた。
彼らに、筆頭への不信感を抱かせる原因となっているのは自分―――それがただ、情けなくて仕方がない。
彼らの話した内容の中には、確かに正しいものもあった。
しかし、自分は―――












「何を言われた?」

やはり、政宗は状況を正しく見極めていた。
何もなく紅がこんな事を言うわけがない。
そう思ってくれているだけでも、彼女にとっては救い以外の何物でもなかった。

「誰かに急かされたか?」

紅はゆるく頭を振った。
政宗に彼らの事を伝えるつもりはない。
恐らく、伝えれば彼らの首が飛ぶとまでは行かずとも、それ相応の処罰が下される。
正室と言う位置にいる彼女は政宗に次ぐ地位を持っているのだ。
彼らよりも遥かに高い地位にいる彼女への無礼は、本来ならば許される事ではない。
しかし、それを政宗に伝え、彼が処罰を下しても何の解決にもならないのだ。

「………俺に誓いを違えさせるつもりか」

問いかけではなく、まるで自嘲のような色を含ませた言葉だった。
顔を上げる事のできない紅は、政宗の着物を視界に捉えたまま、目を見開く。

「俺はお前以外を妻に迎えるつもりはない」

頬から顎と指先でなぞられ、誘われるようにして顔を上げる。
目に入り込んできたのは、真剣な独眼。

「あれは、ただの言葉じゃない―――お前への、誓いだ」

なんて、真っ直ぐな想いを向けてくれるのだろうか。
心が歓喜に震える。
嬉しい―――その感情が紅の涙を内側から押し上げてくる。
頬を流れたそれを、彼の指先が拭った。

「跡取りの話か?」

政宗にそう問われ、紅は小さく頷いた。
悠希との話にも出てきたけれど、紅は政宗と夫婦の契りを交わしている。
もちろん、それだって一度きりの事ではない。
可能性はあるのに、妻としての役目を果たせない事に不安を抱いていた矢先、彼らの会話を聞いてしまった。
その結果、紅の中だけで消化しきれないドロドロとした感情が一気に膨らんでしまったのだ。
子宝と言うのは、天の采配と言っても過言ではない。
こればかりはどうする事もできないのだが―――紅には、他に伝えなければならない事があった。

「私は…あなたの跡取りを産めません…っ」

07.12.11