廻れ、
- 廻 れ 、 廻 れ 。 時 空 よ 、 廻 れ -
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「馬鹿じゃないの?」
開口一番、辛辣な言葉が返される。
ぐっさりと刺さった言葉は、まるで返しでもついているかのように紅の胸に突き刺さったまま抜けようとしない。
確かに、彼女の言う通りだ。
そう思うのだけれど…もう少し、こう…オブラートに包んで欲しいと思うのは、仕方がないことだろう。
「子供が出来ようが何が出来ようが、私が私であることに変わりなんかないでしょ。
で、あんたは私の親友!この世界でたった一人の、大切な親友。それだって、ずっと変わらないわ」
ぐい、と頬を指で摘んで引っ張られる。
じんわりと痛みを伝えてくる己の頬は、きっと赤くなっているのだろう。
「そりゃ、母親になるって言うんだから、色々と覚悟も決意もしなきゃならない。だけど…人が変わるわけじゃないのよ」
「…うん。ごめんね」
「まぁ、今回は急な事だったし…全然未知の世界だから、無理も無いと思う。私だって、実際は…怖いし」
そう言って悠希は視線を落とした。
まだ妊婦と言うよりは、少し太ったと形容できる程度の腹。
明らかに太った体形とは違うけれど、全員が妊婦と分かるほどではない。
しかし、その中には新しい命が息づいているのだ。
「自分の中が、自分の知らないうちに変わっていくって…凄く、怖い」
「悠希…」
「自然の摂理なんて格好の良いことを言ったけど、やっぱり自分には未知の世界だから…」
怖いんだよ、と呟いた。
その声は、いつもの強気な彼女からは想像も出来ないほどに弱弱しい。
そんな彼女を見て、紅は漸く悟った。
だから彼女は何日もかけてまで、ここに来たのか。
「…ごめん。悠希の方が…不安だったよね。誰にもわかってもらえない…ううん、違うね。
親友の私だから、その不安を分かって欲しくて、きてくれたんだよね」
そう言って、紅は悠希を抱きしめた。
腹を圧迫しないように彼女の背中に腕を回すのは少し大変だったけれど、それも苦にはならない。
「いくら好きな人でも…好きな人だから、言えないよね」
「…うん」
「分かってあげられなくてごめん。自分の事ばっかりで…ごめんね、悠希」
ぎゅっと抱きしめれば、始めは躊躇いがちだった悠希もしっかりと抱きしめ返してくれる。
四国がどのような場所なのかは、悠希の手紙から想像することしか出来ない。
皆いい人だよ、と言う言葉に偽りはないだろう。
けれど、腹を割って心の全てを語ることが出来るのは、この世界にただ一人。
そして、それは夫である元親ではない。
現世からこの時代へと飛んだという同じ境遇を持つ、紅だけなのだ。
お互いが居ると分かっているからこそ、何も知らない場所でも頑張れる。
無くてはならない存在を前に、二人はその自覚を深めた。
どちらともなく離れた後は、お互いに苦笑を浮かべる。
何と言うか、小恥ずかしい事をしていたものだ。
そう思うけれど…安心できたと言うのも、また事実。
冷めてしまった茶で喉を潤し、そこからは普段の二人だった。
「そう言えば…紅」
「ん?あ、悠希。これ美味しいでしょ。城下町で有名な老舗のお菓子なの」
「どれ?……………さすが、紅。私の好みを熟知してるわね―――って!そうじゃなくて!」
ひょいと和菓子を口に放り込み、その甘さに思わず頬を緩める。
空気が和んでしまってから、悠希はハッと我に返った。
こんな事が言いたいわけじゃないのだ。
悠希はビシッと紅を指差し、興奮のままに肩を怒らせた。
「あんた、まだ何か悩んでるでしょう!!」
さぁ、吐け。
そう言わんばかりの表情の悠希。
対して、紅は彼女の言葉を冷静に受け流し、新しく用意した茶を啜る。
この和菓子の甘さと茶の苦さが絶妙だ。今度老舗のご夫婦に話しておこう。
そんな事を考える余裕すらある。
明らかに自分の言葉を聞いていないらしい紅に、悠希が肩を震わせる。
「紅!?私、ちゃんとわかってんだから―――」
「その事なら、本人と相談する事にしたから」
茶の温かさが伝わる湯飲みを掌で包み、膝の上に抱く。
そうして、微塵も冷静さを失わず、紅はそう答えた。
あまりにも呆気ない答えに、悠希の勢いが大きく削がれる。
「…本人とって…?」
「政宗様。悠希に相談しようかとも思ってたんだけど…何か、必要ないかと思って」
「そうなの?」
「うん。こればっかりは本当に当人同士の問題でもあるから…まぁ、解決したかしなかったかは、ちゃんと報告する」
それで納得して?と小首を傾げて頼む。
そんな紅に、悠希は深い溜め息を零した。
「…報告しなかったら、許さないんだからね」
「ん。分かってる。それより、怒鳴るのは胎教によくないって聞くから、控えた方がいいわよ」
けろりとした表情でそう言う紅に、悠希は完全に脱力した。
何と言うか…ある意味では、彼女は変わったようだ。
元を辿れば、その本質は変わっていないのだろうけれど…強くなった。
いや、どちらかと言えば、先ほどまでの紅がおかしかったのかもしれない。
本来の彼女はいつだって強い眼差しで未来を見据える、そんな女性だから。
「紅。言うのを忘れてたんだけど…」
「今度は何?」
クスクスと笑いながら、紅はそう問い返す。
悠希は僅かに微笑み、口を開いた。
「結婚おめでとう」
心からの祝福を。
表情にも表れたそんな心に、紅は嬉しそうに微笑んだ。
「ありがとう。悠希も、おめでとう。結婚も…懐妊も」
今度こそ、ちゃんと心から祝う事ができた。
互いに視線を合わせ、計ったように同じタイミングで笑い出す。
「もう数ヶ月も前なのに…変なの」
「本当ね。四国は遠いから…手紙では、祝ったつもりだけど」
「祝いの品も感謝してる。凄く豪華で綺麗な着物だから、中々着れないんだけどね」
「悠希こそ。あの鏡台、役に立ってるわ」
紅は悠希に着物の一式を送った。
政宗に紹介してもらった呉服屋で、彼女自らが選び、作らせた品だ。
対する悠希は、紅に鏡台を送ったのである。
縁には綺麗な彫刻が施されているが、それが派手すぎると言う事はない。
センスの良い贈物に、奥州に四国と場所は違えど、互いに笑顔を浮かべたものだ。
「ねぇ、紅?」
にこにこと笑顔を浮かべて悠希が声を掛ける。
その表情を見て、紅は僅かに口元を引きつらせた。
彼女がこう言う表情を見せる時は、ろくな事がない。
言葉を遮ろうと口を開くが、それよりも先に悠希が声を発してしまった。
「筆頭の正室に上がって大分になるけど。ちゃんと、本当の意味の初夜は迎えてるのよね?」
ごとん。
湯飲みが畳みに落ちた。
中身が入っていなかったのは、幸いと言うべきだろうか。
しかし、紅にはそんな事を気にする余裕は欠片もなかった。
「~~~悠希っ!」
「あら、真田幸村みたいな初心な反応」
「な、何て事を聞くの!」
「だってー…気になるじゃない。まぁ、その反応なら間違いはないみたいだけど」
ケラケラと笑いながらそう言った悠希に、紅は軽い頭痛を覚える。
否応無しにその事が頭に浮かんでしまい、酷く顔が熱い。
「でも―――そっかそっか。そう言う反応が出来るんなら、安心だわ」
「…何がっ」
「ここで顔でも顰められた日には、もっと大事にしろ!って筆頭の所に殴りこみに行かなくちゃ」
あぁ、でも城に押しかけてるんだから、ある意味では殴り込み済みかな。
そんな風に軽い口調で話す悠希。
そこに、からかいの空気はない。
「…政宗様はちゃんと大切にしてくれてるから。悠希がそんな事まで心配しなくてもいいのっ」
フン、と顔を背けながらそう言った。
耳まで真っ赤になっている彼女に、悠希は声を上げて笑う。
―――うん、彼の元なら紅は大丈夫。
紅がたった一人と決めた人は、ちゃんと彼女を大切にし、愛してくれている。
悠希は、心の中で政宗に「ありがとう」とお礼を述べた。
07.12.05