廻れ、
- 廻 れ 、 廻 れ 。 時 空 よ 、 廻 れ -
-- 099 --
闇雲が真っ青な空を丸く飛ぶ。
「―――はい?」
手紙を見下ろした紅が、間の抜けた…と言うよりは信じられないものを見た、と言う表情で呟く。
その声は近くに居た者には聞こえる程度の大きさで、誰もが一時的に作業の手を休めて彼女を見た。
そんな視線にも気付く事無く、紅は呆気に取られたように手元の手紙を見つめ続けた。
「紅、どうかしたか?」
「………!!ま、政宗様!!」
ハッと我に返った彼女は、慌てた様子で政宗の元へと駆け寄る。
そして、彼の着衣をギュッと握り切望にも似た眼差しで彼のそれを見上げた。
「申し訳ありません!陣を離れさせていただいても構いませんか!?と言うかお願いします!!」
「いや、小十郎も居るし、別に問題はないが…」
「ありがとうございます!!」
どうした?と問い返す前に、彼女が礼の声を上げてしまった。
彼女は休ませていた虎吉の元へと駆け寄り、解かれていた轡を噛ませたりと手早く準備を整える。
ひらりと軽やかに虎吉の背に跨ると、彼女は嘶く彼を諌めて政宗を見る。
「そのまま米沢城へと帰ります!道中お気をつけて!」
「あぁ、よく分からんが、お前も気をつけろよ」
「はい!では、失礼します!」
そう言い残し、紅は虎吉の腹を蹴った。
疲れていたはずの彼は、焦る紅の心境を読み取ってくれたのだろう。
即座に速度に乗った彼と彼女の姿は、すぐに見えなくなった。
「…何だったんだ?」
残された者の頭上には疑問符の山。
そんな中、どこか呆れた風に肩を竦めた氷景は、政宗の元へと膝を着く。
「親友殿からの手紙です」
「…あいつ、手紙も置いていったのか」
本当に、何があったと言うのか。
氷景の手元にあったのは、先ほどまで彼女が握り締めていたそれだ。
恐らく、彼はすでに目を通したのだろう。
差し出されるそれを受け取り、ザッとその内容に目を通す。
文中、多少意味の分からない言い回しはあったものの、とりあえず内容は読み取る事ができた。
最後の署名まで目を通し、政宗は深く溜め息を吐く。
「氷景。米沢城に早馬だ。輿をこの海岸に向かわせろ」
「は!」
「距離と虎吉の速さを考えれば…丁度いい頃に着く筈だ」
「護衛は如何致しますか?」
「必要ない。伊達の戦姫直々の護衛があるからな。城まで連れて来いって伝えとけよ」
そう言うと、氷景は僅かに口角を持ち上げ、そしてその場を去る。
それを見送ると、政宗はクルリと身体を反転させた。
「小十郎。帰ったら宴会騒ぎになりそうだぜ」
指先で紅の手紙を折りたたんで懐へと押し込む彼。
よく分からないけれど、何かめでたい事があるらしいと言うのはわかった。
政宗の意図を把握し、休ませていた兵に出発の号令を伝える。
彼が話さない以上、無理には聞くまい。
いずれ…そう、城に帰れば、自ずと理由がわかるだろうから。
道中、逸る心を抑えて虎吉を休ませた以外は、足を止める事はなかった。
そうして三日三晩走り続けた結果、海岸線に船が見えるのとほぼ同時に海岸に到着する事に成功した紅。
流石の虎吉も戦帰りにこの距離を走らされ、随分疲れたようだ。
少なくともあの船が巨大だと確認できる位置に近づくまでは、彼を休ませてあげたい。
鐙に掛けた片足を解き、数時間ぶりの地面を踏みしめる。
持っていた水を与えながら、虎吉の鬣を撫でた。
「ごめんね、疲れさせて。ありがとう」
そう呟いたところで、紅の真上に影が降りる。
大きな両翼を広げた姿には見覚えがあった。
そこから切り離された影が真っ直ぐに紅の元へと降りてきて、音も無く地面に着地する。
「姫さん。間もなく城から輿の一行が着く」
「輿?」
「馬上で過ごさせるわけにはいかないだろ」
「あぁ…すっかり抜け落ちていたわ。政宗様が?」
自分の失態に気付き、やや眉尻を下げる。
当然のことのように頷いた彼に、紅は嬉しそうに微笑んだ。
「お礼は帰ってからお伝えするわ。よく気がついてくれる方で良かった」
表情を崩してそう言う彼女に、氷景は苦笑を零す。
普段は冷静なのに、親友の事となると一気に視野が狭くなる。
それが彼女の良い所でもあるのだろうけれど。
狭まった視野を補う人材が傍に居るのだから、彼女は恵まれている。
政宗が突っ走る時には紅が補助し、またその逆も然り。
中々いい組み合わせじゃないか、と心中で笑った。
政略結婚が多いこのご時勢に、こうして補い合える相手を見つけられたと言うのは奇跡と呼べるかもしれない。
次第に大きくなってくる船を見つめる彼女の横顔を眺めながら、氷景はそんな事を考えていた。
のんびりとした歩調で降りてきた悠希の元へと駆け寄る紅。
虎吉をどこかに結わえる事すら忘れて駆けて行く彼女に、氷景は微笑ましげに目を細めて彼の手綱を取った。
紅が彼の主人となってからは、乗ろうとすれば暴れるが、手綱を引く程度は問題なくなっている。
「悠希…!あの手紙は本当、な…の…?」
語尾が弱まっていくのは、近づくに連れて悠希の姿を正確に捉えられるようになったからだろう。
そんな紅の声に、悠希は明るく手を振った。
「紅!!久しぶりーっ!!」
「は…走るなーっ!!」
パタパタ、と砂地を走ろうとした悠希に、顔面蒼白、とまでは行かずとも、引きつった表情でそう叫ぶ紅。
珍しくも慌てた様子の主人に、あの手紙は本当だったんだな、と思いつつ様子を眺める氷景。
やがて手が届く位置まで近づいた紅と悠希。
「…ほ、んとうに…?」
「うん。ホントホント。嘘じゃないって」
即答する彼女に、紅は軽い眩暈を覚えて絶句する。
ケラケラと楽しげに笑う悠希の腹は、傍目から見ても分かるほどに膨らんでいた。
「妊娠してなくてこの腹だったら、即効でダイエットするわよ」
そう言って軽く自身の腹を叩く悠希。
そんな彼女に、紅は口元を引きつらせた。
現世にいた頃も、現在も、妊婦と触れ合う機会など、本当に少なかった紅。
こうして目の前で親友がそれになってしまい、彼女は反応に困っている。
喜ぶべき事…だろう、たぶん。
それはわかるのだが、何と言うのだろうか。
得体の知れない何か恐ろしいものを腹に抱えてしまったような、そんな言葉に言い表せない独特の怖さがある。
腫れ物に触るような親友の表情や態度に気付いたのだろう。
悠希は苦笑を浮かべて、紅の手を取った。
「いきなり爆発したりしないから、大丈夫よ」
「い、いや…さすがに、そんな風には思ってないんだけど…」
なんか、信じられなくて。
そう呟く紅に、悠希は「確かに」と頷いた。
「自分が妊娠して、初めて分かったわ。妊娠って、ごく自然の摂理なのよ。
この程度なら大丈夫だなって分かるし、これは駄目だってことも分かる」
触れただけで壊れてしまうような、そんな儚い印象もあった。
けれど、それを自分の腹の中に抱えて、初めて知ることになった。
妊娠、出産と言うのは生物としてごく当たり前の摂理で、何も怖がる事はないのだ。
「…悠希」
「うん?」
「遅れたけど…おめでとう」
紅の言葉に一瞬きょとんと目を瞬かせ、それから彼女は微笑む。
ありがとう、と笑った彼女の顔は、すでに母親のそれだと感じた。
07.11.23