廻れ、
- 廻 れ 、 廻 れ 。 時 空 よ 、 廻 れ -
-- 098 --
ザリ、と小石を踏む音がした。
静けさに身を任せるように目を閉じていた政宗は、無言のままそれを開く。
気配を読み取っている彼にとって、突然の来訪者が敵ではない事はすでに分かっていた。
「夏とは言え川原ではお身体に障ります」
「…あぁ、わかってる」
第一声がこの身を案じる言葉とは…何とも、彼らしい。
政宗は口元に笑みを携え、そう答えた。
それから、己の膝元で静かに寝息を立てている紅を見下ろす。
「…本当に…政宗様のお傍では心から安心出来るようですな」
紅が反応を示さない事により、小十郎は背後からでも彼女が眠っている事に気付いたようだ。
人一倍気配に敏感な彼女が起きないという事は、そう言う事なのだろう。
「泣き疲れたんだろう」
小さくそう言うと、政宗は指先を水に浸して濡れた手で彼女の瞼を撫でる。
肌の上に降りた水滴が、涙の跡を伝って耳の方へと流れた。
「なぁ、小十郎」
「は」
「今度俺が真田幸村との一騎討ちを望んだら…殴ってもいい。止めてくれ」
小十郎に背中を向けたまま、彼はそう言った。
一瞬、何を言われたのか理解できない。
―――幸村との一騎討ちを止めろ?
あれほどにそれを望んだ政宗が、それを止めろと言っている。
自分に止める事を頼む以上、彼は自分の意思でそれを止めるだけの自信は無いと言うことなのだろう。
急速な心境の変化が、彼には理解できなかった。
「こいつを泣かせたくないんだ」
声が一段と小さく、そして優しくなった。
恐らく、その表情も声の感情を表したようなものになっているのだろう。
そこで、小十郎は漸く納得した。
昼間の彼女の様子と、今の政宗の言葉を考えれば、自然と結論に達する。
「…紅様には感謝せねばなりませんな」
「小十郎?」
「真田幸村との戦いを望まれるお気持ちはわかります。あれほどの手練…腕に自身のある者ならば無理はありません。
しかし、政宗様には奥州を背負う者であると言う自覚をお持ちいただきたい」
盲目的になることが悪いとは言わない。
けれど、彼には忘れてはいけないものがあるのだと、その自覚を持ってもらわなければならないのだ。
他の誰でもない、政宗自身が天下統一を為すために。
「今回の戦で、兵にもいくらか犠牲が出ています。
それを減らす為に紅様が戦場を駆け回ったことに気付いておられますか?」
「…あぁ。わかってる。こいつには無理をさせた」
そうでなければ、こんな所で眠ってしまう事などありえない。
泣き疲れた、と言うことが手伝っているにしても、だ。
「肉体的な疲労も関係しているでしょうが、最大の要因は…精神的なものでしょう」
必死で、自分を押し留めていたようですから。
そう言った小十郎に、政宗は紅を見下ろした。
一撃、一撃。
確実に増えていく傷と、それをどこか楽しんでいた自分。
それを見て、彼女はどれほどに心を痛めていたのだろうか。
「…ごめん、な」
謝って済む問題ではないだろう。
今日の事は、紅の中に深く刻まれたはずだ。
恐らく、彼女は自分が再び同じことをしても、頭からそれを止めたりはしないだろう。
本当に危険になれば声を張り上げるのかもしれないが…基本的に、彼女は政宗を制限しない。
自由でこそ彼、と言う認識を持ち、彼が動き回れるようにと周囲を正している。
その結果、自分が苦しむ事になろうとも。
「小十郎。さっき言った通りだ。
真田幸村が俺の天下取りの邪魔をするなら戦う。だが…それ以外で一騎討ちを望んだら…止めろ」
天下統一と言う流れの中で彼と刀を交える事はある筈だ。
同じものを目指す以上、必ずぶつかり合う時が来る。
しかし、その大義を持たない一騎討ちは、ただの喧嘩に過ぎない。
今日まさにその状況であったことを考えれば…自分は、まだまだ青かったようだ。
「…その役、承知いたしました」
腰を折る小十郎の姿は見えない。
けれど、彼がそうしている姿は、自然と頭の中に浮かんだ。
政宗は一度口角を持ち上げてから、派手に動かさないようにと気を配りつつ彼女を抱き上げる。
こうして触れても起きないほどに、彼女の疲労は深いらしい。
そして小十郎の方を振り向いた所で、政宗は腕の傷に痛みを感じて眉を顰めた。
その表情に気付いた小十郎が慌てた様子で駆け寄ってくる。
「政宗様。僭越ながら、私が…」
「断る」
「しかし…!」
スタスタと歩き出してしまう政宗の後を追いながら、その続きの言葉を飲み込む。
傷に障る、と言いたいが、一度断られた以上食い下がって良いものか。
「傷の治りが遅くなります!」
「そんなに大差はないだろ」
「…紅様を落としては危険でしょう」
「誰が落とすか。この程度の傷でこいつを落とすほど柔じゃねぇよ」
徐々に面倒になってきたらしいと言うのは、彼の返事の声で何となく理解できた。
しかし、小十郎とて、ここは引くべきか否かを判断しかねている。
とりあえず食い下がる事にしたらしい彼は、言っては何だが少々しつこかった。
「政宗様!」
「…気に入らねぇんだよ」
やや声を張り上げた小十郎に、政宗は諦めたように小さくそう言った。
小十郎が何の事かと意味を問う前に、それに続ける。
「他の男が紅に触れるのは気に入らねぇ。わかったら納得しろ」
ぶっきら棒にそう言うと、彼は更に足の速度を速めた。
呆気に取られて思わず足を止めてしまった小十郎との距離が瞬く間に開いていく。
それが5メートルほどになった所で我に返った小十郎は、慌てて政宗を追った。
「政宗様は変わられましたな」
「…そうか?」
自分では変化など自覚できるものではない。
政宗も例に漏れる者ではなかったらしく、少しだけ首を傾げて見せた。
この主人は、恐らく心の奥底では気付いている。
奥州を一番に考え、その為にと己を高めてきた政宗。
彼は、奥州以外にそれと並ぶほど大切だと思える人を見つけたのだ。
天下統一の為にその全てを捧げる必要はない。
そう思っていた小十郎は、いつかこうして彼が別の大切な者を得られる事を密かに望んでいた。
だからこそ、紅という存在には本当に感謝したい。
自分の帰る場所を得た竜を見つめ、彼はその表情を和らげた。
07.11.18