廻れ、
- 廻 れ 、 廻 れ 。 時 空 よ 、 廻 れ -
-- 096 --
「痛っ…」
ピリリとした痛みを感じ、そこを見下ろす。
その後も断続的に痛みを訴えてくる二の腕には、一筋の傷があった。
政宗を迎えに来る時までは覚えが無かった傷だ。
恐らく、あの撤退の際に使った関節剣による斬撃の怪我だろう。
「腕が落ちなかっただけマシかな…」
正直な所、あの技はまだ不安だらけだった。
まだまだ練習不足で実用的ではないのだが、背に腹は変えられない。
自爆覚悟で使ったのだから、この程度で済んでよかったと思うべきなのだろう。
何しろ、扱う者によっては肉塊になるような…そんな危険な武器なのだから。
始めは小さかった痛みも、次第にじわりじわりとその幅を広げてきている。
手綱を取る事に影響するほどではないが、無視できるものでもない。
「……まぁ、いいか」
「良くないだろ」
突然の声にも慣れた。
紅は至って平然としたまま、氷景の方へと向き直る。
政宗に追いつくべく虎吉を走らせている彼女の隣を、その速度にあわせるように隣を飛ぶ氷景。
もちろん彼自身が鳥のように飛んでいるわけではなく、凍雲に掴まっているのだが。
「すぐに治療した方がいい」
「…そうもいかないでしょう。政宗様に追いつかないと…」
「いや、筆頭なら暫く動かないから問題ない」
きっぱりとそう言い切る彼に、どうして、と問う。
そんな彼女に対し、彼が明確な答えを告げる事は無かった。
ただ、視線を彼女から前方へと移動させる。
それに吊られるようにして、紅もまた彼と同じ方を見た。
そして、納得する。
いつの間にか、自分は政宗を視界に捉えられる位置まで来ていたようだ。
そこには彼だけではなく、彼が目的としていた人物―――真田幸村も、確認できた。
別働隊を率いていた筈の彼は、政宗に追いついたらしい。
彼らの乗っていたであろう馬が、所在なさそうに蹄を鳴らしている。
すでに兵を退かせた小十郎も来ていて、彼らを見つめていた。
まだ戦場からはそう離れておらず、その喧騒が小さいながらも耳に届く。
しかし、それは無意味な音として右から左へと流れていった。
数メートルをおいて向かい合った二人は、硬直しているかのように動かない。
やがてどちらとも無く己の得物を構える。
二人の距離が一息につまり、武器同士のぶつかり合いの余波が紅の元まで届いた。
ゾクリと背筋が逆立つ。
政宗と幸村。
二人の戦いは、他の何人にも邪魔をさせない何かがあった。
腕を取られ、傷口に何かを塗られた事がわかった。
けれど、紅はそちらには目を向けない。
向けられない、と言った方が正しいのだろうか。
それが分かっているのか、氷景は何を言うでもなくテキパキと作業を進めていく。
そうして、彼は紅の傷の手当を終えると、さっさとどこかへ消えた。
気配も感じ取れない事から、頼んであった軍の様子見に向かったのだろうと判断する。
的確に治療されたそれを見て感心しつつ、紅は意識の全てを二人の方へと向けた。
一秒、時が刻むごとに、二人の身体に傷が増えていく。
あれほどの手練の二人だ。
どちらも無傷で事を落ち着けるのは不可能だろうと、分かっていた。
しかし、目の前で彼らが怪我を負っていく姿を見るのは辛い。
政宗だけでなく、幸村の怪我も、紅にとっては辛いものだった。
ぐっと唇を噛み締めてしまっている事に気付いて歯を緩める。
しかし、その代わりに強く握った掌を、爪が傷つけた。
痛みはない。
「紅様」
不意に、背中に声を掛けられた。
振り向かなくても誰の声のものであるかを悟った彼女は、静かに掌を広げる。
ポタリ、と一滴の血が地面にしみこんだ。
「無事を祈り、耐えるしか出来ないというのは…辛い事ですね」
背中側の人物にそう声を掛ける。
彼女の言葉に、小十郎は「はい」と声を低く答えた。
「守るべきは誇りなのか、それとも命なのか…」
こう言う場面を見てしまうと、わからなくなってくる。
現世を生きていたならば、間違いなく後者だと答えただろう。
しかし、戦国時代に足を踏み入れ、政宗と言う人を知った今は…それが出来ないでいる。
生きながらえるよりも、名誉ある死を。
それを望んで、勝てる見込みもないのに挑んでくる武将を、何人も斬った。
中には死への恐怖からその場を逃げ出す者も居たけれど。
「それでも、止められない」
彼が、自ら身を退いてくれるまでは、止めてはならない。
紅は掌を傷つけてしまわないように、ぎゅっと肘を抱きしめた。
紅の背中の向こうに見える光景を目にしながらも、小十郎の思考は彼女に攫われている。
多少武装しているとは言え、その身体は細い。
しかし、彼女は強い。
己の身体を傷つけてしまって尚、主人の想いを全うさせようと自身を諌める強さがある。
戦のない時代で育ったと言う彼女には、到底理解できない感情のはずだ。
少なくとも、彼女は理解できていない。
だからこそ、駆け出してしまいそうになる自分を、ギリギリのところで抑えている。
強い精神力だと思った。
同時に、それが切れた時のことを思い、背筋に冷たい何かが伝うのを感じる。
強い精神力と言うのは諸刃の剣だ。
自分を限界まで追い詰め、ギリギリの一線を超えてしまえば後は崩れるだけ。
その崩壊を防ぐのは、人生の中で培う経験だ。
だからこそ、彼は紅を案じた。
彼女はまだ若く、人生的な経験で言えば決して豊富な方ではない。
現世に生きる同年代と比べれば、絶対に体験する事のないことを経験しているけれど。
若いという事はそれだけ不安定だと言う事。
奥州として、政宗に次ぐ逸材を失うわけには行かなかった。
「決着を待つ余裕は…なさそうだな」
呟いた声は低い。
紅の耳に届くほどではなかったらしく、彼女が何かしらの反応を見せる事はなかった。
さて、どうするか。
止めるべきだろうと判断した小十郎がそう考えるのと同時に、空を横断する何か。
それは紅と小十郎の真上を通り抜け、真っ直ぐに二人の元へと向かう。
あ、と声を上げたのは紅だ。
「佐助…」
彼女の呟きと、視界に捉えたその姿により、「何か」が武田の忍であると気付く。
彼は烏に掴まって二人の上を旋回しつつ、何かをその間に放り込んだ。
一瞬を置いてボンと炸裂するそれは、爆発とは思えない規模の煙を吐き出す。
瞬く間に見えなくなった二人の姿に地面を蹴った小十郎の視界で、紅が動いた。
視界が煙に包まれるのは危険であるにも拘らず、彼女は迷い無くその中に走っていく。
紅が飛び込んで3秒ほど後、戻ってきたらしい氷景が凍雲を空へと放つ。
彼は煙の上で留まると、その大きな両翼を激しく動かした。
生み出された風が瞬く間に煙を追い払っていく。
視野が回復した時には、幸村と政宗の間にはとてもではないが瞬時には詰められない距離があった。
幸村の背後にある佐助が彼を移動させたのだと言う事は、想像するに容易い。
「佐助!止めるな!!」
「お館様が待ってる。ここで続けさせるわけにはいかねぇな」
「ぐ…っ!伊達政宗!!この決着はいずれ…」
最後まで紡ぎ終えるや否や、幸村と佐助の姿が消える。
完全に気配までもが遠のいた所で、政宗の身体が傾いだ。
「政宗様…っ!」
すぐ傍らに来ていた紅が身体を支え、衝撃を与えないように膝を着く彼。
その表情は悔しそうだ。
一騎討ちを半ばで中断された事が引っかかっているのだろう。
「……………伊達兵はどうした」
「乱入した際の被害は、どれも負傷のみで死者はありません。すでに暁斗が頭となり奥州への帰路についています。
この先の川原にて、夜を過ごす事になるかと思います」
「…そうか。―――帰るぞ」
どうやら、脇腹の傷が特に酷いらしい。
ぐっと表情を歪め、それでも彼はそのまま歩き出す。
紅が彼を支えようとするも体格差の時点で無理があり、駆けつけた小十郎に任せる。
ゆっくり、ゆっくりと、彼らは馬の元まで足を進めた。
07.11.09