廻れ、
- 廻 れ 、 廻 れ 。 時 空 よ 、 廻 れ -
-- 095 --
少し小高くなった丘の上、紅は自身の後ろに雪耶の軍を従えて馬上でその時を過ごしていた。
人が親指の爪ほどの大きさに見える程度に離れていても、戦場の熱気が伝わってくる。
地面を振るわせるほどの怒号、爆音、そして―――煙に混じる、人の血の臭い。
じわりと掌が汗ばんできて、ともすれば手綱を滑らせてしまいそうだ。
「紅様」
「―――まだ」
暁斗の声に短く答える。
眼前に広がる戦は、武田と上杉の軍勢によるものだ。
その中に常識はずれな武装をした一軍―――伊達の兵が乱入しているという状況。
三者が入り乱れた戦場は、予想以上の混乱を招いているようだ。
始めから乱入すると分かっていた伊達はともかく、上杉と武田は戸惑いを隠せていない。
徐々に陣形が乱れてきているのが、離れている紅の目に映った。
戦況を読み取る事ができるほどに戦に慣れてきているということなのだろうか。
「私達の役目は退路の確保。真田幸村様率いる別働隊が合流してから動くわ」
今すぐにでも虎吉の腹を蹴って政宗の元へと急ぎたい。
けれど、彼女には政宗から与えられた任を全うする義務があった。
幸村が戦場に居ないと知った彼は、紅に伊達兵の退路の確保を命じたのだ。
彼の目的が幸村のみである以上、彼が現れれば戦場に用はない。
恐らく、幸村の方も政宗を見れば追わずに居られないだろう、と言う確信と共に立てられた策でもあった。
追って来た彼と、戦場から離れた場所で一騎討ちを―――それが、政宗の望み。
紅は彼の望みが叶う様にと動くだけだ。
彼女は脳内で悠希からの手紙を思い出していた。
―――川中島って言ったら「啄木鳥戦法」でしょ。私が知っている通りなら、別働隊は幸村が率いる筈よ。
川中島に出兵する事になりそうだ、と書いたところ、返事の手紙にこのように書かれていたのだ。
恐らく、彼女が言っていたのはゲーム関連の記憶なのだろう。
それが正しいとは限らないけれど、見た限り幸村と思しき武将は見当たらない。
そこから考えても、別働隊を率いているのは彼なのだろう。
すでに開戦状態にあるという事は、「啄木鳥戦法」は失敗に終わったと見て間違いは無い。
そう言う状況から察するに、幸村の登場はもう間もなく―――
「真田幸村率いる別働隊、間もなく到着」
バサッと鳥の羽ばたく音がしたかと思えば、そんな声が降って来る。
馬上の紅のすぐ脇に降り立った氷景は、そのまま膝を着いて報告の内容を口にした。
それを聞くと、紅はコクリと一度頷く。
「氷景。先に政宗様の元へ同じ報告を」
「は!」
地面を蹴った彼が上空を旋回していた凍雲に捕まり、戦場の方へと飛んでいく。
紅はそれを見送ると、右手で小太刀を抜き取った。
「伊達軍の退路を確保!怪我人を優先して退陣地点まで退きなさい!」
いくら声を張り上げようとも、全員には届かないだろう。
しかし、紅の声が届かずとも、意思は伝わる。
いきり立つ彼らの声に背中を押されるようにして、紅は虎吉の腹を蹴った。
今か今かと待ちかねていた彼は、一度大きく嘶いてから丘を駆け下りる。
上杉軍の背後に武田の軍勢が現れたのは、紅の率いる一軍がその場に着いたのとほぼ同時だった。
「小十郎さん!」
グッと虎吉の手綱を引けば、彼は僅かに速度を落とす。
それを見た上杉の兵の一人が紅に向けて槍を突き出してくる。
向こうで彼女の声に反応した小十郎が「紅様!」と声を上げた。
肩を貫く位置に突き出されたそれを難なく避け、手綱を解いた手で槍を引く。
それに引かれる様にして体勢を崩した兵を刀で斬り、主を失った槍をそのまま自分の後ろへと投げる。
背後を突こうとした兵士がまた一人、その槍によって命を落とした。
こうして何人の命を奪ったのか。
もう、その数を数える事は出来そうに無い。
初めの頃こそ動けなくすれば、と思い行動の要となる足ばかりを狙うようにしていた。
けれど、何度目の出陣の時だったか、そうして命を助けた兵が動けぬ身体を引きずって政宗を狙ったのだ。
それ以降、戦場では心を鬼にして相手の命を奪い続けている。
「紅様!」
「政宗様は?」
「甲斐の虎を見つけたと言って向こうへ…!」
そうして小十郎が指した方角に、奇妙な砂塵を見る。
恐らくは武田信玄の、あの豪腕による攻撃が不自然な状況をもたらしているのだろう。
舌を打ちたくなる状況に眉を顰め、一旦は離した手綱を指先で拾い上げる。
「政宗様は私が行きます!小十郎さんは撤退の指示を!」
「は!」
こうして紅が政宗の元へ行き、小十郎が軍を任される。
小十郎がその状況を甘んじて受け入れるようになるまでに、随分とかかったものだ。
何となくその事を思い出してしまった事に苦笑し、虎吉を急がせる。
途中、小太刀を関節剣に切り替えて攻撃範囲を広め、政宗の姿を探した。
そうして数分が経過した頃、漸く見覚えのある青い着衣を発見する。
「政宗様!」
恐らく声は届いただろう。
しかし、刀を交えている最中にこちらを向くほど彼は愚かではない。
寧ろ、自分も彼に倣って声を止めるべきだっただろう。
自身の失態に舌を打ちつつ、彼の元へと走る。
ガキィン、と鈍い音がして、政宗が信玄の軍配斧を弾く。
流石に斧を手放す事は無かったけれど、鋭い一撃に彼の巨体もたじろいだ。
それを好機と見て、政宗は彼との距離を取る。
「撤退です!」
「OK!少し待ってな!適当に切り上げ―――」
彼の言葉は最後まで紡がれなかった。
紅は咄嗟に、彼の背後から迫った刀との間に関節剣を伸ばす。
伸ばしたままのそれを上空へと捻るが、刀を弾き飛ばすまでには至らなかった。
「中々やりますね」
「…軍神、上杉謙信殿とお見受けいたします」
「左様。そなたは…」
「…紅、と申します。信玄様におかれましては…お久しゅうございます」
カシャン、と関節剣を戻し、彼らと対峙する。
信玄の表情に驚きは見られず、紅が伊達軍に居る事は幸村の口から伝わっているのだと悟る。
探るような目を向ける謙信に、彼女は心中で首を傾げた。
「…紅…伊達の戦姫ですね」
いかにも、とでも答えるべきなのだろうか。
その二つ名を甘んじて受け入れた覚えはない。
いつの間にか名前だけが一人歩きしている現状に、紅は何とも言えない心境だった。
「そなたの事は、慶次から聞いていますよ」
「…慶次…前田慶次?」
そう問い返す彼女に、謙信は是の答えを返す。
ここで彼の名を聞くとは思わなかった。
随分と久しく聞かなかった名前だ。
どこか懐かしささえ感じさせる彼に、紅は僅かに表情を緩めた。
「慶次殿はお元気ですか?」
「ええ。そなたの事を気にしているようでしたよ」
「慶次殿とはまたいずれ…縁があれば、お会いする事になりましょう」
それよりも、と紅は頭を切り替える。
どうやら、伊達の兵も大方引き上げたようだ。
兵を動かす事に慣れている小十郎に任せたのは正解だった、と心中で少しだけ自身を褒める。
「政宗様。兵は退いたようです」
「…らしいな。行くぞ」
政宗が指笛を鳴らせば、どこからともなく彼の愛馬が姿を見せる。
いつも思うことなのだが、よく躾された馬だと思う。
この戦場の混乱の中、別の乗り手を見つけることも怪我を負うこともなく、確実に政宗の元へと帰ってくるのだ。
まったく、よく出来た馬だ。
彼が馬に跨るのを見届け、紅は関節剣を構えた。
同時に、彼女よりも遥かに戦慣れしている二人の武将が各々の得物を構える。
「乱入失礼いたしました。伊達兵は退却しますので、後は存分にお楽しみください」
にっこりと作った笑顔を貼り付け、紅は勢いよく関節剣を振るう。
川原の小石を弾き上げるように動かしたそれは、川の水を纏って視界を悪くする。
残像すら見えそうなほどに素早く動かした所為で、二人と紅の間には水による壁が出来上がった。
見たことも無い武器の動きに目を奪われている隙に、紅は虎吉を走らせて政宗を追う。
水飛沫が落ち着いた時には、すでに彼女の背中は遥か彼方にあった。
07.11.01