廻れ、

- 廻 れ 、 廻 れ 。  時 空 よ 、 廻 れ -

-- 094 --

「―――もう用はない。紅、行くぞ」

キン、と音を立てて納刀し、政宗は踵を返した。
深手を負って血の中に伏す佐助を見下ろす紅の目は、思ったよりも冷静だ。
気にかけている忍なのだから、少しくらいは行動を止めるかもしれないと思っていたが。
予想以上に覚悟は強かったらしいな、と政宗は思う。
これならば戦場に出ても、相手への情により機を逸し、こちらの身を危うくする事はあるまい。
歩き出す政宗の背中を見てから、紅はもう一度佐助を見下ろした。
すでにかすがは気配すら残っていない。
佐助が、彼女を庇ってこの怪我を負い、そして逃がしたのだ。

「…どこまでも優しい人…」

心中に留まる筈だった言葉は、予想外に唇から零れ落ちてしまった。
そこに含まれるのは呆れや嘲りではない。
苦笑にも似た、複雑な思いだった。
紅は無言のまま懐へと手を差し入れる。
短く浅い息を繰り返しつつ、佐助は細目で彼女の行動を見つめていた。
彼女が取り出すものがたとえ凶器であったとしても、自分はそれを避ける事は出来ない。
彼は、すでに死を間近に意識していた。
紅はそんな彼の心情を知ってか知らずか、何も言わずに懐から取り出した巾着を落とす。
トサッと佐助の顔のすぐ脇に落ちたそれは、さほど大きく形を変えることもなく地面に沈黙した。

「紅」

もう一度呼ばれ、紅は「はい」と返事をして歩き出す。
途中、意図してどこかを見上げ、足の動きを再開させた。
彼に何かを言い残す事はなかった。
紅の足音が遠ざかって行き、やがて気配が感じ取れなくなる。
恐らく、彼女の方からはまだ感じ取れているだろうけれど。
己の血の臭いの中に、嗅ぎ慣れた薬草の匂いが交ざりこんでいる。
その匂いの元は、恐らく彼女が残していった巾着の中身だ。
自分の予想通りだとすれば、それは止血剤。

「…はは…。あんたも十分…優しいよ、紅、さん…」

自分に向けて何も言わなかったのは、あくまで「落としてしまった」事にするつもりなのか。
それとも、別の理由があるのか―――今の佐助の頭では、その答えを見つけ出す事は出来そうに無い。
目の前に用意された止血剤すら、自分で扱えるかどうかが難しい状況だ。
すでに巾着を映す視界すら霞んできている。

「(くそ…こんなとこで…終わるわけには…っ)」

独眼竜からの言伝も伝えていない。
こんな所で野垂れ死にだけは御免だった。
グッと握った拳に力を込める。
そうする事で、少しだけ視界が開けたような気がした。

「…馬鹿な奴だな、お前も」

開けたけれど、まだ薄く霞みがかった視界に、何かが降り立つ。
いや、自分はこの足と声の持ち主を知っていた。

「ま、止血くらいはしてやるよ。それが主の望みだからな」
「ひ、かげ…」
「喋んな。今から酷くなる傷には処置してやらねぇぞ」

そう言った氷景は、紅が落としていった巾着を拾い上げてから処置し易いよう佐助を転がす。
やや乱暴な扱いではあるが、ちゃんと傷口を避けて動かしている。
邪魔な着衣を切り裂き、その傷を見下ろした。
氷景は出血量の割には、綺麗な傷口だと思う。
怪我の治りが遅くなるように捻ってあるわけでもなければ、臓器を傷つける事を目的としているわけでもない。
あくまで、その時は動けなくなるほどの怪我、と言う程度だ。
流石は筆頭、声には出さず、そう呟いた。
尤も、このまま血を流し続ければ向かう所は死以外にはないだろうけれど。

「―――お前もこいつが心配なら降りてきたらどうだ」

不意に、氷景は視線を佐助に落としたままで木の上に向けてそう声を掛ける。
すでに彼の意識はない。
ややあって、一つの影が彼らの傍らに音もなく降り立った。

「…お前、何者だ」
「伊達の忍。…おっと、その物騒なのは仕舞っとけよ。俺の主はお前らを生かしたいみたいだからな」

苦無が反射させた月明かりを目の端に捉え、間髪容れずにそう告げる。
警戒心は解かないながらも、かすがは腕を下ろした。

「そいつ…どうなんだ?」
「あぁ、佐助か?死ぬ事はないだろ。止血してやってんだし。それより…お前、里の奴だろ」
「…お前など知らない」
「そう思い込みたいのか、忘れてるのか…。俺としてはどっちでもいいけどな。お前の忍鳥に覚えがあっただけだ」

綺麗な白梟だろ?と問いかけると、彼女はふい、と顔を逸らした。
恐らくは、それが彼女なりの答えなのだろ。

「…逃げたと思ったが、戻ってきたんだな」
「………人を庇うような馬鹿な忍の末路を見に来ただけ」
「そうか。残念だが、それは叶いそうにないぞ」

死なせないからな、と笑う。
そんな彼に、それ以上何も言わずに黙って作業を見守るかすが。

―――まったく、あの里出身の忍は、どいつもこいつも忍らしくねぇな。

自分も含め、そう思う。
人間らしすぎる…とでも言うのだろうか。
氷景は心中で苦笑した。
自分の主である紅にこんな事を言えば「人間なんだから当たり前だ」と言われるだろう。
彼女はそう言う人だ。

「さて、と。俺は帰る。出血も何とか落ち着いたみたいだから…後は好きにしろよ」
「な…こんな状態で放っていくつもりか!?」
「お前が居るなら平気だろ。じゃあな」

そう言うと彼はそのまま地面を蹴って木の枝へと飛び上がり、そこから枝を飛んで移動する。
すぐに見えなくなった彼に、残されたかすがは暫くの間目を瞬かせた。















一方、あれから自軍の陣へと引き返した紅と政宗。
道中、徐に政宗が口を開いた。

「氷景が来てないな」
「彼は…残っているんでしょう」
「…どいつもこいつも、お人好しだな、まったく…」

どこか呆れた風に笑うけれど、それが本心からだとは思わない。
嘘をつかずに静かに微笑みを浮かべた彼女は、ゆっくり口を開く。

「幸村様に伝わると思いますか?」
「…さぁな。あの忍が伝えられるかどうかだろ。どっかの誰かさんが止血剤を落としてきたみたいだしな」

運が良ければ生き残るだろう、と彼は答えた。
こちらに背中を向けていたはずなのに、よく見ている。
気付いていないとは思っていなかったけれど、はっきりと自分の行動を言い当てられた紅は苦笑した。

「使える状態かどうかは別ですけれどね」
「その為に氷景を置いてきた奴がよく言うぜ」
「さぁ…何の事でしょう」

正直に話したとしても、彼は何も咎めないだろう。
それでも、紅は笑って言葉を暈す。
嘘偽りだけは紡ぎたくないが故に。

「そう言えば…そろそろ小十郎さんが戻ってるでしょうね」
「…………………」
「絶対怒られますね、私まで」
「おい、一人で逃げる気か?」
「まさか。一蓮托生、でしょう?」

クスリと笑えば、彼の大きな手が紅の髪を掻き混ぜる。
氷景が近づいてくるのを感じ取りながら、紅はもうすぐ見えてくるであろう陣を脳裏に浮かべた。
きっと、険しい表情の小十郎が、腹を空かせた熊のようにイライラと右へ左へと歩いているのだろう。
怒らせてばかりだな、と思う反面、それが楽しくて仕方がないと思うのは失礼だろうか。
怒ってくれるのは、自分を心配してくれるからに他ならないから。

今回のお説教はどれくらい続くのかな…そんな事を考えながら、紅は木の隙間から夜空を見上げた。

07.10.29