廻れ、

- 廻 れ 、 廻 れ 。  時 空 よ 、 廻 れ -

-- 092 --

馬上と言うのは馬の高さの分だけ目線が上がる。
その所為で、見える風景もどこか違ってくるような気がするのだ。
それに慣れてしまった今となっては、その風景を新鮮だと感じる初々しさはなくなってしまったけれど。
ふと落としていた視線を上げた時、眼前に見える広さに圧倒される。
それと同時に、いつになっても押し寄せる感動にも似た衝動が胸を込み上げるのだ。
小さい頃から馬の背中が好きだと思えたのは、この感動があったからに違いない。
いつも見ていたその光景に、青い着衣を纏う背中が入り込むようになったのは、ほんの1年と少し前の事。
それなのに、もうそれが当たり前の光景になってしまっている。
何があっても、この背中だけは守りたいと…そう、思うようになってしまっている。
自分はこんなにも惚れっぽかったのだろうかと呆れる反面で、人として自然なことのようにも思えた。

「―――日が暮れるな」

不意に、空を仰いだ政宗がそう呟いた。
紅の位置から見れば斜めを歩く彼の声は、彼女だけにしか届かなかったらしい。
馬の蹄の音や、後に続く兵のざわめきがあるのだから無理はない。

「今日はこの辺りまでにしますか?」
「…そうだな。闇に紛れての移動も悪くはねぇが…そこまで急ぐ必要もないだろ」

闇は兵達に要らぬ不安を抱かせる。
無理に進むよりは、陣を張って夜を過ごすのが得策と言うものだ。
彼の言わんとしていることを察した紅は、虎吉の手綱を引いた。
そして、家臣に指示を出すべく馬首を返そうとしたのだが、そんな彼女の元に馬を駆る蹄の音が近づいてくる。
そちらへと視線を向ければ、殿の一部隊を任せていた小十郎がこちらへと駆けて来るのが見えた。

「政宗様!今日はこの辺りで陣を張っては如何でしょうか。山越えになりましたので兵に疲れも見えます」
「Goodなタイミングだな、小十郎。今丁度紅が指示を出そうとした所だ」

そう答えた政宗に、小十郎は「そうでしたか」と頷く。
彼は、もうすでに紅が戦場に来る事に対して反対していない。
反対しない以上、一秒でも早くその場の空気を読み取れるように経験を積んだ方がいいのは当然のこと。
紅自身が進んでそれをこなそうとしている事を、小十郎は高く評価していた。

「では、最後尾まで戻る道すがら、兵に声を掛けて行きます」
「おう。陣が整ったら戻って来い」

彼の言葉に短く答え、小十郎は来た道を引き返していく。
彼の行動に合わせ、紅が指示を出そうとした家臣はすでに動き出していた。
やる事がなくなったな、と思いつつ、小さくなっていく彼らを見送ってから空を見上げる。
まだ夕焼けが残っている所為か、空は赤い。
これが沈む頃には陣形も整うだろう。
そんな事を考えながら、長時間歩かされた虎吉を労うように、彼の頭をポンポンと撫でた。











僅かに汗ばむような日差しもない夜。
紅は心地よい風に目を細めつつ、明かりのためにつけていた火の傍に腰を下ろしていた。
時折パチ、と薪が爆ぜる音が耳に届く。
それを掻き消すような陽気な声が聞こえてくるのは、兵達が酒盛りしているからだろう。
紅の位置からは見えないけれど、賑やかな声と微かに香る酒気がそれを物語っている。
始まってもいないのに宴会とは…そう思ったのは、初陣の時だっただろうか。
今となっては彼らの行動に慣れてしまっていて、いつもの事と自分のペースを崩したりはしない。

休める時に身体を休める。

現代のような時間で区切られた平和な時代ではないのだから、この一秒後にも自分は襲われるかもしれない。
自分が今存在しているのは、そんな危険意識を持っていなければ、生き残る事は難しい世界だ。
寝ているわけではないが、膝を抱いて目を閉じる。

―――と、不意に紅の纏う空気がピンと張り詰めた。
閉じていた目が開かれた以外は、1ミリたりとも姿勢を変えていない。
ただ、開いた目を周囲に向けて泳がせる。

「…どうした」

閉ざしていた独眼を薄く開き、政宗がそう問いかける。
目で確認できる位置にそれが居ない事を確かめた彼女は、片手で小太刀を引き寄せた。

「………忍が居ますね」

気配の隠し方、その身の置き方。
どれをとっても、一般人であるとは考えにくい。
即ち、紅の警戒網に踏み込んだのは、それ相応の訓練を受けた―――忍。

「近いか?」
「……いいえ。こちらには居ないようです。兵達の方を探っているようですね」
「数は?」
「………1…いや、2人」

二つの気配が寄り添う事無く遠くに位置しているのは、何を意味するのだろうか。
それぞれが別の忍だと考えるべきか、それとも単独行動をとっているのだと考えるべきか。
どちらとも取れる距離に感じる、二つの気配。

「!」

ピクリと紅が片眉を吊り上げた。
それから、顔を右の方へと向け、見えるはずもないのに視線を送り続ける。

「…逃げました」
「気付いたのか?」
「…いえ、不自然に二つの気配が近づいた事を考えれば…仲間の忍ではないようですね。
一人を追うように、もう一人が移動していきました」

過去形の表現になってしまったのは、その二人が紅の警戒網から飛び出してしまったためだ。
流石に、距離が開きすぎれば彼女とてその気配を読み取る事は出来ない。
しかし、二つの気配の速度差を考えれば―――

「…暫くここを離れます」
「まぁ、待て」
「政宗様?」

恐らく近くで対峙しているであろう二人を探すべく、紅が立ち上がる。
しかし、彼女は政宗によって止められた。
不思議に思い彼に視線を向ければ、彼はすでに刀を腰に挿しているではないか。

「…政宗様…」
「んな、呆れたみてぇな声を出すなよ。折角小十郎が見回りで離れてんだ。今を逃す手はねぇだろ?」
「何の為に小十郎さんが見回っていると思ってるんですか…」

これを呆れずにして、何を呆れろというのか。
小十郎は安全の確保のために見回っているというのに、彼が居ないからと言う理由で忍を追おうとしている。
止めるべきだとは分かっているのだが、自分には無理そう―――いや、無理だ。
そう言い切る自信がある。

「…行きましょうか」

こうしている間に逃げられては意味がない。
政宗が折れる筈がないのだから、こちらが折れるしか道は無いのだ。
両側に小太刀を結わえ付け、それを確認してから歩き出す。
刀狩りの南次郎から譲り受けた例の関節剣は、戦の時には虎吉の鞍に直接結わえるようにしている。
そうでなければ、剣と小太刀とは言え刀2本と言う重さは紅の負担になってしまうのだ。
得意のスピードを生かせなければ、力技に持ち込まれてしまう可能性が高くなる。
故に、彼を降りる時にはすぐに腰へと関節剣を戻せるように、解き易い結び目で鞍へと固定するようになった。
尤も、それは政宗や小十郎の助言があってのことなのだが。

「…あっちか?」
「そのようですね。去っていった方角は向こうに間違いありませんし」

進めばより確かに感じ取る事ができるだろう。
それを踏まえた上で、紅は歩く。
迷いなく自分の示した方へと歩いてくれる彼に、少しばかりくすぐったい感情を抱いた。
彼の行動は、自分の察知能力を高く評価し、全く疑っていないという事だ。
自分でも何故こんな能力が抜きん出て成長してきたのかは分からない。
けれど、彼の役に立てるならば…その為に得たものなのだと、そう思えるような気がした。

07.10.19