廻れ、
- 廻 れ 、 廻 れ 。 時 空 よ 、 廻 れ -
-- 085 --
「なぁ、姫さん」
「何?」
「言っていいか?」
行儀悪く窓の桟に腰掛けた氷景がそこから部屋の中の紅を見て問う。
奥州の外の情勢を調べに言ってくれていた筈の彼は、先刻その任から戻ってきたばかりだ。
そんな彼の言葉に、紅は肩を竦めつつ「どうぞ」と頷く。
「動きにくいなら着替えたらどうだ?」
膝についた肘の上に顎を乗せた状態で、やや呆れ気味の声が飛ぶ。
あぁ、やっぱりその事か。
何となく分かっていた紅は、軽く笑う。
「楓たちが、ね…」
「普段は意見を通すくらいは訳ない癖に、あいつらには弱いよなぁ、姫さん」
「んー…何か、抵抗しすぎると壊してしまうような錯覚が…」
「…あのな。そんな弱い奴なら、無理やりに着物を着せたりしねぇと思うぞ」
あいつらのどこが弱いんだ、と溜め息と共にそう紡ぐ氷景に、紅は苦笑を返す。
確かに、彼女達はあれで中々強かだ。
最近では紅を着飾ることに目覚めてしまったらしく、政宗が用意した着物をここぞとばかりに着せ替えている。
因みに、今日だけで三度も着物を変えた。
紅様の御髪にはこの色がよくお似合いですわ、やら、少しお化粧もしてみましょうか、などと言う事もある。
そろそろ止めるべきか…とは思っているのだが、あまり害があると感じない為に、有耶無耶にしているのが現状だ。
彼から視線を逸らしてから、動きにくい着物の裾を捌きつつ立ち上がる。
「どこか行くのか?」
「政宗様の部屋に。一刻後に来るように言われていたから」
「その格好でか」
「……………」
何を思ったのか、彼女は氷景の言葉にふいと視線を逃がす。
不思議に思って彼女を見てみれば、その横顔には僅かに朱が走っている。
一体、今の会話のどこにそんな反応を見せるところが?と心中で首を傾げる氷景。
「………贈り甲斐があるって喜ばれるのよ」
誰が、と説明する必要はなかった。
元々飾られる事を好まない紅だが、一度そのまま政宗と会った事がある。
それは、もう一週間も前の事だ。
「紅、居るか―――って、どうした?」
ガラッと襖を開かれたそこに居た彼女は、明らかに今後ろを向きましたといった姿勢でこちらに背を向けている。
いつもとは真逆の反応を返されれば、彼が疑問を抱くのも無理はない。
不思議に思う彼が彼女の傍らに居た侍女に目を向けると、彼女らは微笑ましいと言わんばかりの表情。
よく分からないけれど、悪い事ではないらしいという事は分かった。
「では、紅様。私達はこれで」
彼女に一声かけ、楓ともう一人の侍女が腰を上げる。
政宗の隣を通る際に彼にも声をかけ、しっかりと襖を閉ざして彼女達は去っていった。
その足音が聞こえなくなった所で、彼は止めてしまっていた足を動かして紅の元へと近づく。
「………なるほどな…」
正面に回ったが、彼女はそれ以上逃げようとはしなかった。
真正面から彼女を見たところで、漸くその行動の意味を悟る。
「これは…!楓達があまりに勧めるからで…!」
「あいつらもいい事をするじゃねぇか」
「あ、あんまり見ないでくださいっ」
ただでさえ初めての事でどうすればいいのかわからないんですから、と顔を逸らす。
薄くではあるが化粧まで整えられた彼女。
普段は飾り気も何もなく、自分が贈った着物を少し照れくさそうに着ていた。
もちろん飾り気がないと言っても、彼女はそこに居るだけで十分に人目を惹く。
今目の前にいる彼女が部屋から出たらどうなるのだろう。
そう考えると、楽しいような、それでいて勿体無いような気がした。
「よく似合ってるな」
「そう…でしょうか」
「ああ。色が白い分、青い着物がよく映える。顔立ちもいいから、化粧も似合ってるぜ」
「(…どうしよう、褒め殺し…っ)」
頬を指の背でなぞられ、面白いくらいに身体を緊張させる。
心中は恥ずかしさやら照れくささやらで、どうしようもないほどに忙しかった。
現代で使った化粧とは違った感覚を纏いつつ、紅は顔を俯かせる。
「贈り甲斐のある奴だな、お前は」
そんな言葉と共に頭を撫でられ、そっと目線だけを持ち上げてみる。
視界に映った彼は酷く満足げな表情を浮かべていた。
彼のその表情を見ていると、感情の焦りなどどうでも良くなってしまう。
「…ありがとうございます」
褒め言葉に対するお礼と、着物に対するお礼。
二種類の意味を込めたことを、彼は気付いてくれただろうか。
氷景を後ろに従えて歩くことも、すでに慣れた。
何度言おうとも彼が隣に並ぶ事はなく、諦めたと言った方が正しいのかもしれない。
廊下を歩いていた紅は、ふと庭先に視線を向ける。
燦々と降り注ぐ日差しが庭の松の影を濃くしていた。
「もうすぐ本格的に夏が始まるわね」
その呟きを聞き、氷景も彼女と同じように視線を動かす。
それから、彼女の言葉に対して同意の声を返した。
庭を見つめたまま歩みを止める彼女を見て、彼は沈黙する。
「…夏の戦は体力の消耗が激しいと聞くわ。出来るなら、起こらないに越した事はないけれど…」
「確かに、夏の戦は暑さに体力を奪われるからな。だが…」
「今の情勢を考えれば、それもありえる。そうでしょう?」
そう問いかける彼女に、頷き一つを返す。
すでに、彼から南の方の情勢が変わりつつあると言う報告を受けている。
その報告は政宗の元にも届けられているのだから、今日の呼び出しがその内容である事は予測するに容易い。
「政宗様は武田に…いいえ、幸村様に囚われているわね」
こんな言い方をすると、少々誤解を招くかもしれない。
しかし、それも強ち間違いではないなと氷景は思う。
真田幸村を好敵手と見定めた政宗は、事あるごとに武田の動きに注目していた。
すぐにでも兵を向けそうな彼が止まっているのは、小十郎や紅の努力あってのことだ。
だが、明確な動きが見えれば、もう彼を止める事は出来ないだろう。
そんな結論に至った自身の思考を閉ざすように、瞼を伏せる。
「…考えていても仕方ないわね」
この乱世が続く限り、政宗は戦をやめはしないだろう。
それならば…彼の傍で、一日でも早くそれを終わらせると決めたのだ。
そんな己への誓いは忘れていない。
もうすぐ、二度目の夏が訪れようとしていた。
07.09.14