廻れ、

- 廻 れ 、 廻 れ 。  時 空 よ 、 廻 れ -

-- 083 --

どれくらいの時間、そうしていただろうか。
引っ込みが付かなくなった、と言うのは、こう言う時にも使えるのでは、と思う。
泣き腫らした目はすでに雫を乾かしていて、しゃくりあげるような肩の揺れも今はない。
けれど、顔を上げられない。
どうしようもない羞恥心のようなものがその心の大部分を占めてしまっていて、上げるにあげられないのだ。
違う意味で逸りだした心臓を抑えることもできず、紅はただ握り締めた指先に力をこめる。

「…落ち着いたか?」

低くそう問われ、紅はびくりと肩を揺らした。
恐らくは、それが答えになっただろう。
今の今まで沈黙していた政宗は、彼女の些細な変化からそれを悟ったらしい。

「ちゃんと、焦らずに話すから…最後まで聞くんだ。…わかったな?」

まるで幼子に言い聞かせるようだ、と思う。
けれど、それは自分を思ってのことだと思えば、どこかくすぐったい。
返事の声を上げる代わりにコクリと頷けば、満足げな「よし」と言う声が降って来る。

「まず…悪かった。泣かせるつもりはなかったんだ」

彼女に代わって風が答えるように、その黒曜の髪を遊ばせていく。
視界で緩やかに流れたその髪を撫で、彼は続けた。

「俺はお前を傍に置いておきたい。これはひとときの感情じゃねぇし、二番手としてでもねぇ」

長い髪の毛を指先に絡めては、スルリと解く。
そんな事をして手持ち無沙汰になるそれを補った。

「でも、政宗様には…すでに奥方がおられるでしょう…?」
「俺もそこがわかんねぇんだよ。何でそう思う?」
「だって…」
「城で生活してて、そんな女に会った事があるか?」

どうだ?と問われ、紅はゆっくりと首を振る。
城の中で会う女性と言えば侍女の類ばかりで、そんな政宗の妻と思しき女性に出会った事はない。

「周りは煩かったけどな。嫁を貰うよりも先にやりたい事がある。いや…あったっつーべきか」
「天下…ですか?」
「ああ。守るものがあるってのは、強くなれる。だが、同時にそれを失う恐怖とも付き合わなきゃならねぇ。
俺の代で天下を統一させようと思えば…余計なものは、抱えたくなかった」
「なら、何故…」

自分をその位置に置こうとするのかが分からない。
普段の彼女ならば、その意味を理解できたのだろう。
しかし、今の彼女には冷静と言う言葉はその脳内から抜け落ちてしまっている。
何とか落ち着いてはいるけれど、脳内はまだ状況に追いつけてはいなかったのだ。
それを悟った政宗は、苦笑いに似た表情を浮かべる。

「惚れちまったもんはしかたねぇだろ。失うよりも、他の野郎に嫁がれる方が嫌だったんだ」
「他の方のところになんて…。私はずっと、政宗様に…!」

そこまで口に出してしまってから、ハッと我に返る。
すでに言葉として飛び出したそれをなかったことには出来ず、ただ顔を俯かせた。

「ずっと、政宗様にお仕えするつもりで…」

この恋を成就させようとは思わなかった。
ただ、傍で彼の事を守って生きていけるならばそれでよかったのだ。
彼は無理だから他の男性の所に…など、一度たりとも考えていない。
語尾を濁す彼女に、政宗は己の考えが杞憂であったのだと気付く。
俯いてしまったままの彼女を見ながら、気を落ち着かせるように短く息を吐き出した。

「これから、俺は本格的に天下取りに向けて軍を動かす。
紅、お前には…俺と共に来て欲しい。戦場も―――俺の人生も、な」

彼女の肩が揺れた。
やがて、ゆっくりとその頭が持ち上げられていく。
赤く少し腫れた瞼の中の黒曜石に自身が映りこむ。

「真っ赤だな。こら、擦るな」

目元に指先で触れられ、紅は思わず顔を逸らしてそれを擦ってしまう。
その腕はすぐに彼の手によって捕らえられた。

「それ以上腫れても困るだろうが」
「あの…は、放してください…」

至近距離で手を掴まれているということが恥ずかしいのだろう。
涙によるそれではない赤に目元を染めて、紅は居心地悪げに視線を逸らす。
決して交えようとしないそれに、彼は低く笑った。

「確かに雪耶は良家だが、例の掟の所為で正当な血筋じゃない。だから、お前が頷いてくれるなら…覚悟を決めさせる事になる」

紅は言葉で返事をする事無く、ただ一度こくりと頷く。
彼はその反応に満足そうに二度ほど首を動かし、言った。

「だが、その覚悟さえ決めてくれるなら―――俺が守る。そう言う煩せぇ奴らからも、当然、戦場からもだ」
「政宗様…」
「俺の妻として共に来てくれないか、紅。俺は、お前と共に天下を目指したい」

あの時と、言葉の意味はほぼ同じ。
だけれど、その中に込められた思いが違っていた。
それを肌で感じ取った紅はそれ以上目を逸らす事は出来ず、そっと彼を見上げる。
そして、その唇をゆっくりと動かした。

「…随分と、弱気なお言葉ですね…?」

そう言って、どちらかと言えば苦笑に近いそれを浮かべた。
彼女の返事に政宗は暫し目を瞬かせる。
しかし、その真意を悟り、口元を持ち上げた。

「俺について来い。お前に仇なす全てから守る」

幾度となく見た、その勝気な笑み。
彼と言う人柄を表すようなその自信に満ちた言葉に、紅は笑みを零した。
結局の所、どんなに足掻いたとしても…この、今の一瞬さえも加速する想いを止める事などできないのだ。
涙して言葉すらまともに発する事の出来なかったつい先ほど。
ずっと抱きしめてくれていた彼の想いを、確かに感じていた。
これ以上、自分を誤魔化す事は出来そうに無い。
ならば、自分も彼の言うように覚悟を決めようではないか。

「お供いたします」

たとえ、その先が茨の道であったとしても―――彼とならば、共に歩んで行ける。
紅の答えに柔らかく微笑んだ政宗は、彼女の髪を一筋持ち上げ、そこに唇を落とした。
















城へと戻る道中。
いつもならば斜め後ろへと続く紅は、政宗の言葉により彼の隣で虎吉の手綱を操っていた。

「これからは暫く忙しくなる。ぶっ倒れないように、体調管理を怠るなよ」
「はい」
「それから、言い忘れてたが…」

思い出したように政宗がそう言った。
そこで言葉を区切る彼に、紅は不思議そうに視線を向ける。

「お前の知る伊達政宗がどうであろうと、俺の妻はお前一人だ。今後、お前以外を妻に迎えるつもりはない」

それだけは何があっても忘れるな。
そう続けた彼に、図らずも一時呼吸を失ってしまう。
何故、彼はこんなにも欲しい言葉をくれるのだろう。

「おいおい。また泣くのかよ」

そんな風に言いながら苦笑を浮かべる彼の表情が涙に歪む。
哀しくて苦しくて…それでも涙は流れるけれど、嬉しくても涙は流れるのだという事を知った。
それを見せないようにと顔を俯かせる彼女を前に、政宗は肩を竦める。
泣かせるのは好きじゃない。
けれど、こうして自分の言葉に対して喜びを露にしてもらえる事は、素直に嬉しかった。

「嬉しいなら泣くな。折角の美人が泣いてちゃつまんねぇだろうが」

馬を寄せて縮まった距離。
伸びてきた手を拒みたいわけではないのに反射的に片目を閉じてしまえば、ふわりと目元が撫でられる。
それが涙を拭う仕草だと気付いた時には、目を開いて頬を赤くしてしまっていた。

「城に戻る前に話しておく事がある」

ふと真剣な表情を浮かべる彼に釣られるように、紅も赤い目元のまま姿勢を正す。
いつの間にかカッポカッポというゆっくりな歩みも止まっていて、その場の音は風が木々を揺らすそれのみ。

「…例え俺が命令したとしても、本当に嫌なら反抗しろ。いや―――してくれ。
俺が暴走しそうなら、殴ってでも斬ってでも止めろ」

カッとなっちまうと、小十郎でも止められねぇんだ。
そう言ってバツが悪そうに視線を逸らして頬を掻く彼。

「政宗様に限って、その様な事はありません」

まさか、と首を振ってそう答える紅。
彼はそんな彼女を見てから、僅かに口角を持ち上げた。

「…さぁな。これからはわからねぇぜ。未来なんてのは確約できないもんだ」
「……そうですね。私が頷き、あなたが安心できると言うならば…その大役、お引き受けいたします」

そう言って頷けば、政宗も満足げに一度首を縦に動かす。
そして、その腕を伸ばして彼女の頭を撫でた。

「竜の寝床はお前が作れ。そうすれば、俺は必ずそこに帰る」

真っ直ぐな彼の言葉に、紅はただ一言「はい」と返すだけで精一杯だった。



紅が政宗の正室となるのは、それからひと月後のことだ。

07.08.05