廻れ、
- 廻 れ 、 廻 れ 。 時 空 よ 、 廻 れ -
-- 082 --
何故、この心を恋だと認識してしまったのだろうか。
主に対する忠節だったならば、こんなに苦しい想いなどしなくてもよかったのに。
―――奥州の領主がどこぞの姫さんを娶るんじゃないかって噂は…本当か?
ふと脳裏に思い出された慶次の言葉に、その苦しさが倍増される。
この戦国乱世、部下として傍に居たいと願う事は出来ないのだろうか。
苦しい、けれども愛しいと叫ぶ心を持て余す。
「帰りたい…」
「どこに帰るって言うんだ?」
呟く声に答えるように、背中から、そう声を掛けられた。
草を踏む音が耳に届き、紅はその身を強張らせる。
どうして、追ってきてしまうの。
「他に、帰る場所があるのか、紅?」
どうして、そんな優しい声で呼びかけてくるの。
どうして―――
「…放っておいてくれないんですか」
そんな声で名前を呼ばれたら、自惚れてしまうではないか。
彼は隣においていてくれるのだと、そこは自分の居場所なのだと、勘違いしてしまう。
それが許されない事くらい、一国の主である彼がわからない筈がないのに。
ひとときの想いならば、忘れさせて欲しい。
そうしなければ、自分はここに居られない。
「惚れた女を泣かせて放っておくような男か、俺は」
自嘲のような声が聞こえ、そんな事はない、と声を張り上げそうになった。
たとえ惚れていなくても、彼は目の前で女性が涙すれば放っておく事など出来ない。
いや、例え出来たとしても、しないのだ。
「…紅」
「……呼ばないで」
「紅」
「呼ばないで!その声で!」
それ以上名前を呼ばれたら、浅ましくも縋り付こうとする身体を止められない。
そう声を荒らげ、紅はいよいよその身を小さく縮めてしまう。
いっそ自分の殻の中に篭ろうとするその姿に、幻滅してくれればいい。
こんな奴だったのかと、背中を向けて去ってくれればいい。
今は辛いだろうけれど、それでも彼への想いを封印して、また明日を迎えることが出来るから。
ふわりと、優しく包み込まれるその時まで、ただ目を閉じて足音が去るのを待っていた。
「馬鹿か、お前は…」
暖かい腕の中に引き寄せられ、紅は思わず目を瞬かせる。
その拍子にポロリと涙の粒が草の上に零れ落ちた。
「放してくださ…」
「少し黙れ」
耳元で短くそう紡がれ、紅は半ば本能的に口を閉ざす。
彼を筆頭としての生活は、彼女の中に忠誠心をしっかりと植えつけていた。
腕の中で強張りつつも口を閉ざした彼女に、政宗は静かに息を吐き出す。
背中から抱きしめている為に彼女の表情は見えないが、きっと戸惑いのそれを浮かべているのだろう。
微かに伝わってくる震えは、恐怖ではなく涙ゆえのもの。
息を吸うことも辛そうなほどに透明のそれを流す彼女を落ち着かせようと、彼の手がゆっくりとその肩へと動く。
そうして、無理の掛からないようにと身体を反転させられると、そのまま隙間なく抱き寄せられた。
大きく暖かい手がゆっくりと背中を撫でていく。
「落ち着け」
その声は落ち着かせるには逆効果だ。
けれど、安心させられると言う矛盾。
様々な感情が入り乱れ、それだけでどうにかなってしまいそうだった。
どうしても誰かに縋りたくて、目の前にあったそれに手を伸ばす。
震える指先が自身の着衣を握り締めたのを見ると、彼は背中に回した腕に力をこめた。
悠希が言っていた事を忘れていたわけではない。
それなのに、こうして泣かせてしまった事は自分の失態だ。
今とは違う時代を生きた彼女は、この時代の風習に慣れてはいないのだ。
出来る事ならば、あの言葉をなかったことにしたい。
けれど、そんな事が出来る筈がない。
こうして涙として彼女の感情を零させてしまった以上、ここからひっくり返すのは困難極まりない。
本当ならば、彼女の望むように、ここで彼女の手を離してやった方が良いのだろう。
だが、それでも―――
「手放せるかよ…」
やっと、見つけたんだ。
隣に置いておきたいと思える、最愛の女性を。
例えそれが戦場という危険な場所であったとしても、常に傍に居てくれる。
いつ、どんな時でも自分の視界に在る事を許せる、そんな女性を―――やっと見つけたのだ。
意地やプライド全てを投げ出したとしても、手放す事など考えられない。
ましてや、他の誰かの妻になるなど、考えたくもなかった。
「伊達の戦姫として…私を望まれるのですか…?」
胸元から震える声が聞こえた。
彼女の背を抱く力を僅かに緩めても、彼女が顔を上げてくる事はない。
「戦姫だからじゃねぇよ。いいから、落ち着くまで何も考えるな」
話はそれからでいい。
そう言って、もう一度彼女の背中を強く抱き寄せる。
隙間なく抱きしめれば、彼女の鼓動が自身の肌を伝って感じ取る事ができた。
「政として必要ならば、命令してください。私は…」
「それじゃ意味がねぇんだ。命令して、それに従ったお前を貰っても仕方がねぇ」
確かにそうする事は簡単だ。
彼女はどんなに自由にしていようとも、己の言葉には忠実。
命令としてそれを望めば、どんなに理不尽であろうとも、己を殺して従うだろう。
しかし、そこには心がない。
政の道具として、彼女の「伊達の戦姫」と言う名が欲しいわけではないのだ。
自分が望むのは、雪耶紅と言う一人の人間そのもの。
それを伝えたいけれど、今の彼女は殻を閉ざす貝の様なものだ。
何を言っても、きっとその耳には真実としては届かない。
開こうとする口を理性で抑え込み、瞼を閉ざす。
「少し、黙ってろ。落ち着いたら…全部、話す」
今は何も考えるな、と続ければ、彼女は開いた口を閉じた。
漸く落ち着こうとする雰囲気が見られ、心中で安堵の息を零す。
こんなの自分らしくない。
そう思うのに、無理強いをしたくはないと考える矛盾。
いや、これは矛盾ではない。
あくまで、自分の中を占める彼女の割合の大きさから来ているものだ。
07.09.02