廻れ、
- 廻 れ 、 廻 れ 。 時 空 よ 、 廻 れ -
-- 081 --
城下を一望できる部屋へと呼ばれた紅は、政宗の向かいに腰を下ろして彼の言葉を待つ。
一風呂浴びてさっぱりした身体を撫でていく風が心地よい。
自分から何かを話す必要はないだろう。
話があるといったのは彼の方なのだから。
そうして静かな時を過ごす事5分程度。
「うちの奴らには戦前に話していたんだが…」
政宗はゆっくりと話し出した。
彼の言う「うちの奴ら」とは、十中八九伊達の家臣らのことだろう。
ついでに言うならば、紅が先ほど20人抜きした連中の9割が、彼の家臣だったりする。
「だから、だな…」
「はい」
「…………………」
「…………………?」
何をそんなにも躊躇っているのだろうか。
よく分からないけれど、昨日と同じ状況になっているような気がする。
そう思いながらも急かす気持ちは微塵もなく、ただ彼が再び口を開くのを待つ。
「あー!やっぱ細かい事をあれこれと言うのは性に合わねぇ!」
そう言って前髪を掻き揚げると、彼は「よく聞けよ!」と勢いよく紅を指差した。
そんな彼に対し、きょとんと目を瞬かせてから、はい、と答える紅。
あまりにも落ち着いた反応に、彼は軽く肩を落とす。
しかし、これ以上引っ張るつもりはないのか、視線を紅へと固定する。
「お前を嫁に貰いたいと思ってる」
「…………………はい?」
そんな間抜けな声が零れてしまった。
本当に、意図せずにポロリと。
彼の言葉の意味を理解するように、紅は二・三度瞬きをする。
嫁、に関連する様々な言葉が脳裏に浮かんでは溜まり、飽和状態となった思考回路はすでに停止寸前。
ただ、多くの情報は彼の言葉を理解させるには十分だった。
理解するなり、ボンと音がしそうなほどに赤面する。
「や、よ、嫁って…っ!ちょっと待ってください!どうしてそんなに話が発展しているんですか!?」
「嫌なのか?」
「嫌、以前の問題です!第一、嫁と言うのは…!」
「正室や側室の事だな」
正室、と言う言葉が出た所で、紅はピタリと動きを止めた。
同時に脳内が酷く唐突に落ち着きを取り戻す。
寧ろ冷静すぎるほどに頭が冷めた。
先ほどの一時の興奮を吐き出すように息を吐き、吸ってから彼に向き直る。
「ひとときの火遊びの相手には、不向きですよ」
「…紅」
低く名を呼ばれ、紅は思わず動きを止める。
本気でそう思うのか?
何も言わないけれど、その視線がそう問いかける。
彼の目を見て、その思いを理解した。
「…本気…なんですね…」
どこか哀しげに苦く微笑む彼女に、政宗は自然とその眉を顰める。
彼女はそんな彼の反応にすら、困ったような表情を作った。
「政宗様が本気だと仰るならば、私は頷く事は出来ません」
「理由を言え」
「…あなたは…政宗様は一国の領主。
いずれは国にとって…政宗様にとって、支えとなる姫君を正室にお迎えしなければならない」
戦場で名を上げるのに身分は関係ない。
強ささえあれば、彼の傍に在り、そして護る事も出来る。
許されるならば自分だって、常に彼の傍にあり、そして支えたい。
けれど―――
「私は…あなたの隣で、あなたが別の女性に笑いかける姿を見ることなど…できません」
そんな物を見たら、狂ってしまいそうだ。
いや、もしかすると、すでに戦場の空気に狂ってしまっているのかもしれない。
これほどに、誰かに恋焦がれるなど…況してや、彼は本来自分とは出会うべき人ではなかったというのに。
この関係が主従であると思い込まなければ、ここに居る事すら出来なくなってしまいそうだ。
「戦場でお役に立てるだけで本望なんです…。もうこれ以上…愚かな女だと思わせないで…」
この時点で、すでに愚かだと言う認識はある。
どうしても手の届かない人に焦がれ、こうして涙を流してしまっているのだから。
零れ落ちたそれを指先で拭い、紅は彼の視線から逃れるように走り出した。
背中に焦ったような声で呼ぶ名前が聞こえたけれど、それでも足を止めたりはしない。
走って走って、戦場でもこれほどに全力で走ったことなどないと言う位に、ひたすら走る。
そうして、紅は馬屋にたどり着いていた。
「紅様!?」
只ならぬ彼女の様子に、馬の世話をしていた兵士が慌てた様子で声を掛けてくる。
そんな彼を腕一つ持ち上げる事で制し、彼女はすでに自分に気付いていた虎吉の元へと歩く。
「少し、走ってくるわ」
「え、あの…。随分息が上がっていますし、休まれた方が…」
そう言っている間にも、紅はガシャンと金具を外してしまう。
そして自由になった虎吉は逃げる事もなく、寧ろごく自然に紅へと擦り寄った。
壁に掛けてあった手綱一式を素早く結わえると、さっとその背に跨る。
鐙も鞍もないが、それが存在するかのような違和感のない動作に、兵士は言葉を忘れていた。
ハッと我に返ったのは、彼女が虎吉の腹を蹴って駆け出してしまってから。
紅様!と必死で声を張り上げるも、すでに背中は米粒大。
いくら叫ぼうとも、それが小さくなっていく事を止める事などできなかった。
突然走らされているにも拘らず、運動好きの虎吉は上機嫌だ。
いくらも速度を落とさず、寧ろそれを上げるようにして草原を駆け抜けていく。
小高い丘に辿り着いた所で、紅は徐々に速度を落とさせた。
そうして完全に止まると虎吉の背を降りる。
ストンと地面に足をつけるなり、まるで崩れ落ちるようにしてその場に座り込んだ。
ボロボロと、子供のように大粒の涙が頬を流れていく。
「もう…嫌だ…っ。悠希…私には無理だよ…」
彼女は自分の恋する人と共に、見知らぬ地へと旅立った。
後悔して欲しくないとその背中を押したのは自分だ。
そうして、彼女は何もかも捨てて、自分で彼の元を選んだ。
その強さが自分にもあるのだと錯覚していたのかもしれない。
実際に言葉として傍に居る事を望まれ、それを受け入れる事ができなかった。
嬉しかった筈なのに、自分ひとりのものにはならない彼を拒んでしまう。
雪耶と言う家が伊達と並ぶ良家であったとしても、紅の脳裏には史実が深く刻み込まれている。
彼には、多くの妻があった。
「…帰りたい…っ…」
帰りたい。
自分達が生きた、あの時代に。
あの場所で彼と出会えていたならば、きっとこの思いを受け止める事ができたから。
07.08.31