廻れ、

- 廻 れ 、 廻 れ 。  時 空 よ 、 廻 れ -

-- 078 --

「紅殿」

悠希が三杯目のそれを飲み干した所で、控えめに声を掛けられる。
振り向いた先には予想通りに信親がいて、紅は首を傾げて「何か?」と答える。

「甲板を歩かれては如何ですか?酒気にあてられてしまっているようですので」
「…そうですね」

そうします、と密かに席を立つも、いつの間にか盛り上がっているらしい二人は気づかない。
それをいい事に何も言わずにその場を離れ、甲板へと歩く。
後から信親が付いてくる気配がしていたけれど、それも構わないだろうと気にする事はなかった。

「ありがとうございます。悠希に…気を遣っていただいて」
「さぁ、何の事でしょう?」

本気で惚けるつもりなのかは知らないけれど、彼はその礼を受け取るつもりはないようだ。
彼はにこりと微笑んでから、口を開く。

「父上もいい加減身を固めるべきですからね。お相手はよい方に限りますし」
「…え?あの、母君は…?」

自然と零れる疑問符のままに、紅はそう尋ねてしまう。
それが口から零れ落ちてからハッと我に返り、やはり答えなくてもいいと言おうとした。
しかし、それよりも先に信親の方が口を開いてしまう。

「母と呼ぶべき人は…今頃、南の海を漂ってるんじゃないですか?」
「…漂う?」
「俺を生んだ人は、父上と同じ海賊です。
一人の男に縛られる事を良しとせず、1歳ほどの俺を置いて海原へと旅立つような人ですよ」

聞いていると何だか「は?」と問いたくなる言葉だ。
だが、彼自身はそれを気にしている様子はなく、寧ろ御伽噺でも読み聞かせるようなごく普通の語りである。

「あれから2度ほど会いましたけれど…母とは呼べませんね。相手もそれを望んでいませんし」
「でも、元親殿は…」
「跡取りは必要ですから。一度の火遊びが運良く俺を運んできたわけですよ」

現代で言えば、若気の至りによる学生妊娠と言ったところだろうか。
いや、妊娠そのものは例え両者が若くとも拒まれる時代ではないのだから、それも少し違うかもしれない。

「あの二人は、それでいいんですよ。添い遂げるような関係ではないと思います」
「それで、寂しくはありませんか?」
「…そんな事を思う余裕もありませんでしたね。見ての通り、賑やかな船ですから」

そう言って笑った彼の視線の先には、昼間から酒を呷る部下達の姿。
こうしてみていると、海賊と言うものの認識を改めなければならないなと思う。
彼は賑やかな船の甲板を一瞥して、口を開いた。

「ですから、気にしなくても大丈夫ですよ。この船に乗っている女は、皆陸で夫を待つことを拒んだ者ですし」

要するに、女は既婚者ばかりと言うことだ。
はぁ、と答えたところで、紅は彼の言葉を脳内で理解する。

「え、あの…」
「父上はあれでも引く手数多ですから。何を目当てに近づいてくるのかくらいは、見ていれば分かります」
「…すみません。相手の都合も何も考えずに…」
「別にいいと思いますよ?船まで押しかけてきたのはあなた方が初めてですし」

何より、父上は楽しんでいるようですから。
そう笑った彼の目は、大量の酒を運んでいく部下の姿。
どうやら、かなりの速度で酒を空にしていっているらしい。
ここまで酒の進む父も久しぶりだな、と、信親は目を細めた。

「しかし…紅殿は、それで構わないのですか?」
「構わない、とは?」
「悠希殿ですよ。その…お世辞にも、いい夫になるとは言えませんので…」

戦好きの彼を夫にするのは、色々と苦労があるだろう。
それを含ませた彼の言葉に、紅は苦笑を浮かべた。

「決めるのは彼女自身と、元親殿でしょう。私が関与出来るのは、ここまでです」

後は本人達の決める事。
信親はそう答えた彼女の横顔を見つめる。

「私は、彼女が笑っていられる場所ならば、どこだって構わないんです。船の上であろうが、陸であろうが」

誰の傍であったとしても、その笑顔が失われないならば、それでいい。
まるで親みたいな言葉だな、と思いながら、紅は苦笑を浮かべた。

「さて…と。私は、この辺りで失礼します」
「悠希殿はどうされるのです?」

信親にそう尋ねられ、紅は指を唇へと運ぶ。
そして、長く指笛を鳴らした。
程なくして彼女の肩へと舞い降りたのは一羽の烏。

「この子を置いていきます。結論は手紙で、そう彼女に言付けていただけますか?」
「構いませんが…それでよろしいので?」
「ええ。と言っても、彼女の言いそうな事くらいは、予想できますけれどね」

そう言ってクスリと笑う。
自分が席を立って、なおもあの場に止まっているという事は、それなりに仲良くやっているのだろう。
彼女は気に入らなければ酒を飲み交わしたりはしないはずだから。
そうなれば、彼女がとりそうな行動は一つ。

「信親殿には大変お世話になりましたね。このお返しは次に顔を合わせた時にでも」

紅はそう言うなり、船の縁へと足を掛けてトンと飛ぶ。
まさかそんな行動に出るとは思わなかったのか、信親は驚いたように目を見開いて縁へと近づいた。
軽やかに砂地に足跡を残した彼女は、そのまま馬を繋いである方へと歩いていく。
信親は彼女が馬に乗ってそこを去るまで、その背中を見つめていた。










「え。紅、帰っちゃったの?」

今しがた戻ってきた信親に呼ばれ、紅が帰ったことを聞かされた悠希は、そう声を上げた。
それから、まるで子供のように口を尖らせる。

「まぁ、仕方ないか。いつまでも借りてるわけにはいかないし…伊達軍には紅が必要みたいだし」
「この烏に手紙を預けるようにと言っていましたよ。結論は手紙で。紅殿からの言付けです」
「あ、闇雲だ。あんた、久しぶりだねぇ」

信親の頭上を羽ばたく烏を見て、悠希は笑って手を振った。
愛想を返すわけではないけれど、離れていかない所を見れば、よく躾けられているのがわかる。

「――――…良い方ですね」

くるりくるりと円を描いて空を飛ぶ烏を見上げながら、彼はそう呟く。
そんな彼の言葉に、悠希は何となく視線を向ける。
そして、気付いた。

「あー…うん。あの子は諦めた方がいいと思うわ」
「はい?」
「あの子、伊達政宗しか目に入ってないのよ。一途って言うか盲目的って言うか…。
紅は恋愛に慣れてないから…私と違って、その他大勢の一人なんて…きっと壊れちゃう」

信親に向けていたのは、初めの一文だけだったように思う。
後は話しているうちに前の事を思い出してきている風だ。
やや表情を険しくした彼女に、彼はクスリと笑う。

「俺は別に、紅殿を慕っているわけじゃないですよ。ただ…戦を知っているにしては、綺麗な人だと思っただけです」
「ふぅん…。まぁ、どっちでもいいけどね。あの子がもてるのは今に始まった事じゃないし」
「もてる…?」
「慕われるって事。もちろん、異性としてね」

現代では普通に使っていた言葉でも通じない事はよくある。
サラリと簡単な説明をしてから、悠希は「んー」と声を上げながら腕を伸ばした。

「さて、と…。そろそろ戻ろうかなぁ。まだまだ飲ませてくれるって言うし」

そう言ってから船の中へと戻ろうとして、彼女はふと足を止める。
そうして振り向いた彼女に、彼は心中で首を傾げた。
彼女はそんな彼に対しビシッと指を向ける。

「私、決めたから。だから…よろしくね?」

ニッと勝気な笑みを残し、彼女は上機嫌にそこを去る。
何を決めたのかはよく分からないけれど、別にそれでもいいだろうと思う。
彼女の様子を見る限り、紅が心配していたような事にはならないようだ。
どこか安堵したように空を仰いだ信親は、その深さに目を細める。

「本当に、面白い人たちだ」

その呟きは空へと溶け込んでいく。

07.08.18