廻れ、
- 廻 れ 、 廻 れ 。 時 空 よ 、 廻 れ -
-- 077 --
言っていた通りに、ともすれば簡単に岸に船を寄せられる位置でユラユラと船を漂わせていた。
「どうするの?」
そう問いかける悠希に、紅は無言で虎吉に結わえていた小さめの弓を手に取った。
あの時に使った立派なそれよりは少し小ぶりだけれど、この程度の距離ならば問題はないだろう。
3本だけ用意していたうちの1本をその弓に番え、漂う船を視界に捉える。
虎吉が不用意に暴れないようにと太股でしっかりと挟み込む。
だが、そんな事をせずとも頭の良い彼は弓を番えるなり大人しくその場に佇んだ。
「え゛。ちょ…!」
何するつもり!と声を上げる悠希を無視して、弦を弾く。
ヒュゥンと風を切る音と共に、矢が真っ直ぐに船の方へと向かった。
目を見開いてその行く先を凝視した彼女の目にも、それが船の主となる柱に突き立ったのが見えただろう。
「な、何て無茶を…!」
青褪めた表情で頬を挟み込む彼女を横目に、紅は船の上の動きを見続ける。
見慣れた影が動き、柱に立った矢を見て、それからこちらを振り向いた。
流石に表情までは分からないけれど、近くに居た部下に何かを指示している様子が窺える。
程なくして、船がゆっくりと岸へと動き出した。
またお会いしましたね、そう言って爽やかな笑顔で迎えてくれたのは、信親だ。
すでに馬を下りて彼らを待っていた紅は、彼に対してクスリと笑ってから、そうですね、と答える。
「そちらは?」
「佐倉悠希と言って…私の古い友人です」
「紅殿のご友人でしたか。紹介が遅れました長曾我部信親と申します」
どうぞよろしく、と言った彼に、悠希は目をまん丸にして紅を見た。
言いたい事は分かる。
どう見ても似てないじゃないか、と言いたいのだ、彼女は。
その目がありありとそれを告げている。
何とかその驚きを押さえ込んで「こちらこそ」と答えた彼女は、それ以降口を閉ざしてしまう。
そんな彼女に苦笑を浮かべ、紅は彼へと向き直った。
「文もなく突然に申し訳ありません。元親殿にお会いする事は出来ますか?」
「父上に?どう言ったご用件なのか…お尋ねしても?」
そう言って首を傾げた彼。
紅は答える前に悠希を振り向いた。
彼女は躊躇いながらも首を縦に振る。
「彼女が、元親殿へのお目通りを希望しておりまして…よろしければ、信親殿からお取次ぎ願えないものかと」
「………まぁ、いいでしょう。父上に話してみましょう」
「それで構いません。ありがとうございます」
「今は自棄酒の最中ですからね。会ってもまともな返事はないと思ってください」
苦笑いを浮かべながらそう言った彼に、紅は申し訳なさそうに眉尻を下げた。
自分が原因と言うわけではないけれど、自分の主が原因ならば同じようなものだ。
命があってこその人生と言うものだが…自棄酒程度は、致し方ないのだろう。
「船へどうぞ。大した持て成しは出来ませんが…それでもよろしければ」
そうして、二人は促されるままに彼らの船へと足を踏み入れた。
岸に寄せているとは言え、時折波に船底を取られる所為か僅かに揺れる。
独特の揺れは、慣れない者には不快感すら覚えさせるものだ。
陸では至って元気な紅だが、実を言うと彼女はあまり船が得意ではない。
それを全く表情に出さず、信親との談笑に励む彼女は感服に値する。
「信親さん!お頭が連れて来いって言ってやすぜ!」
いくらか時間が過ぎた頃、部下の一人がそう言って声を掛けてきた。
信親は彼に頷きを返すと、二人を振り向く。
「先に独眼竜のとこの女を連れて来いって事なんですが…」
「それならば、私が先に伺います」
にっこりと笑みを浮かべて一歩進み出れば、彼は頬を赤くして目を逸らす。
こんな男くさい船の上で多くの時を過ごす彼らだ。
紅のような見目麗しい女性の笑みを真正面から見る機会など、本当に限られている。
直視できないらしい、彼にクスクスと笑いながら、案内を頼んだ。
彼が二つ返事でそれを了承してくれると、紅は悠希に少し待っているように告げて彼に続く。
「こんにちは、元親殿。お怪我の方は如何ですか?」
「こんなの怪我のうちにゃ入らねぇぜ。で、どうしたよ?船に乗る気になったか?」
「それが言えるならば十分ですね」
上座にどっしりと構える元親の前へと案内され、紅は和やかに笑う。
彼は紅の答えに豪快な笑みを返すと、部下の一人に彼女への酒を持ってこさせる。
だが、部下が動く前に紅がそれを断った。
「申し訳ありませんが、自軍以外での酒は控えるようにとの主からのご命令がありますので」
そんな事を言われた事は一度だってないが、嘘も方便。
酒を勧めることを諦めたらしい元親は、ニッとその口角を持ち上げた。
「何だ、弱ぇのか?」
「さぁ、どうでしょうね。酔った勢いで刀を振り回し、船を沈めてはいけませんから」
腹の探りあいとは少し違うけれど、真実は見せない遣り取りだ。
のらりくらりとかわす彼女に、彼は「そりゃ危ねぇな」なんて笑い、機嫌麗しく酒を呷る。
どうやら、自棄酒と言ってもただの飲み会のような物らしい。
「で、結局用は何だ?戦の後すぐに敵船に乗り込んでくるとは、ただ事じゃねぇよな」
「今回の事は伊達とは一切係わり合いはありません」
個人的なことなのだと、そこを強調する。
彼女の気持ちを悟ったのか、元親はすぐに深く頷いた。
「私の友人が一人、この船にお邪魔しています。その者が元親殿へのお目通りを希望しておりまして…」
「女か」
「ええ。西海で名高き鬼を一目拝見したいと申しております」
「ほぉー…随分と目が高ぇじゃねぇか。そいつ、酒は飲めるか?」
「…それはもう、男と見違えるほどに」
記憶の中のそれを思い出したのか、どこか遠い目をして答える。
そんな彼女に、彼は一頻り笑ってから膝をパンッと叩いた。
「いいぜ、連れてきな。丁度酒の相手が欲しかった所だ」
紅が呼びに行こうと腰を上げるも、それを元親自身に止められる。
彼の目配せ一つで壁際に控えていた部下がその場を去った。
その数分後、悠希や信親を連れて戻ってくる彼。
肝心の悠希はと言えば、紅の向かいに座っている元親に、半ば放心状態だ。
「悠希」
やや咎めるような声色でそう呼ばれ、彼女はハッと我に返る。
「佐倉悠希と申しますっ。この度は―――」
「あー…別にいい。堅苦しい挨拶は抜きにしようぜ」
緊張…とは少し違うが、似たような状況の彼女を見かねたのか。
それともただ単に本心からそう言っているのかは分からない。
元親は悠希の言葉を遮ると、彼女に杯を差し出した。
「飲めるんだろう?」
「…いただきます」
杯を受け取った彼女は、そこに注がれた透明のそれをグイッと呷った。
07.08.14