廻れ、
- 廻 れ 、 廻 れ 。 時 空 よ 、 廻 れ -
-- 076 --
俯く悠希に、紅は真剣な表情で続ける。
「もう、ブラウン管の中の人じゃない。会おうと思えば、会えるのよ」
「…でも、こんな想いは…許されないわ」
「人の感情に、誰かの許可なんて要らない。手が届くのに、何で躊躇うの?」
そう言っても、彼女ははっきりとした答えを出せずに居た。
そんな悠希に、紅は出来れば言いたくなかった事を口にする。
その背中を押すために。
「ここは戦国時代よ。迷っていれば、明日には死んでしまうかもしれないのよ」
「っ!なんて事を言うのよ!そんな、縁起でもない事を…っ!」
「違う、と。ありえないと、言い切れるの?」
静かな物言いに、悠希は紅の着衣を掴んだ指を解かずにはいられなかった。
自分には、彼の明日を保障する言葉など、言えない。
今回初陣を果たした紅は、戦と言うものをその身で体感してきているのだ。
想像の域を出る事のない自分とは違う。
そんな彼女に向けるには、大丈夫だと言う言葉はあまりに軽すぎた。
「私は…今回の戦で、分かった。やっぱり、政宗様のお傍に居たい。例えそこが戦場であったとしても」
戦を知ってしまった今、それに向かう彼を見送る自信はない。
きっと、泣き縋ってでも共に行く事を望むだろう。
あの恐ろしい場所に彼を送り込み、自分は城に残るなど…考えただけで頭がどうにかなってしまいそうだ。
「…いつか現代に戻らなきゃならないかもしれない。だから、この時代の人と一緒になる事なんて…出来ないよ」
「それを決めるのは自分よ。私は、例え戻る事になったとしても…彼の傍に居た事を後悔はしない。
寧ろ、戻るかもしれないならば…その短い時間だけでも、お傍に居たいわ」
「………私は…嫌だ。離れるくらいなら、会わない方が…」
パン、と乾いた音が響く。
悠希は頬に伝わる痛みを理解する事ができなかった。
ただそこに手を当てて、前で眉間に皺を寄せる紅を見つめ返す。
「だったら、ずっと弱気になってなよ。自分の想像の中の彼に恋して甘えていればいい」
「紅………何で、あんたが泣くのよ」
揺れる双眸から涙が溢れ、頬に一筋の道を残す。
そんな彼女に、悠希は頬の痛みを忘れた。
「向こうに居た時、どんな顔で話していたか知ってる?ゲームの中の人じゃなければって、何度私がそう思ったか…」
この人じゃない。
そう感じてしまうと言って、悠希は長く付き合った彼とも別れてしまう。
彼女の幸せはどこにあるのだろうと思った時、いつも浮かぶのはゲームの中に居る彼だった。
嬉しそうに彼について力説するその表情は、彼氏と一緒の時ですら見せないほどに穏やかだったから。
彼は二次元の世界の人だから…そう溜め息を吐いたのは、一度や二度の事じゃない。
「私だって…悠希には、笑ってて欲しいんだから…っ」
「…紅…」
「認めなさいよ…じゃないと…本当に…」
今回の戦だって、両者が戦を仕掛けるつもりではなかったから穏便に事が済んだのだ。
彼らの一騎討ちで事が終わったからこそ、両軍に不必要な死者もなく。
しかし、一歩間違えば政宗が元親を討つ可能性も、元親が伊達軍の誰かの手に討たれる可能性もあった。
戦の時にはそんな考えは完全に麻痺していたけれど、今思い出せばとても恐ろしい事だ。
彼の相手が政宗でなかったならば…彼は今、生きてはいない。
一騎討ちに負けるという事は、そう言う事だ。
「………ごめん」
「謝って欲しいわけじゃない」
「…うん。でも、ごめん。それから………私、やっぱり元親が好きだわ」
悠希は情けなく笑ってそう言った。
そんな彼女に、紅はもう二粒ほど涙を零して「遅いよ」と答える。
「行動しないなんて、私らしくなかったね。彼に…会いに行くよ」
「…本気で?」
「うん。本気。ちゃんと、彼に会って…これが本気の恋なのか、確かめる」
そう言ってから、もう一度ごめんねと情けなく笑った。
紅はそれに対しては何も言わず、ただ首を横に振る。
「そうと決まったら…行こう」
「行こうって…」
「元親さんのところ。暫くは沖に船を浮かべてるって言ってたから…間に合わないと」
四国まで追いかける羽目になるよ。
そう言う紅に、悠希はきょとんと目を瞬かせた。
「随分と詳しく知ってるのね」
「うん?信親さんと話したのよ」
「信親って…元親の息子よね。へぇ…一緒に出陣してきてるんだ」
「そうよ。って…あ…」
今更だけれど、信親は嫡男だといった。
と言う事は、彼は元親の息子で…息子と言う事は、母親が居るという事だ。
それに気付いた紅は、やや顔色を悪くして悠希を見る。
恐らく、彼女も同じ結論に至ったのだろう。
「信親が居る事は、ゲームで知ってる。今更よ」
「だけど…」
「いいのよ。この世界は一夫多妻制!裏を返せば、いくらでもチャンスはあるって事!」
ぐっと拳を握る彼女に、紅の方が呆気にとられてしまう。
何と言うか…思わぬところで、強い。
「じゃあ、行こう」
「うん。あー…また乗馬か…」
腰が…と嘆くように肩を落とした彼女に、紅は思わず声を上げて笑ってしまう。
自分も初めの頃はそうだったな、と数年前を思い出していた。
「ねぇ。信親ってどんな人だった?」
「んー…好青年…かな。聡明な人だと思うわ」
長曾我部軍には似合わず、とは言わなかった。
紅の答えに悠希はへぇ、と感心したような声を漏らす。
「他の兵と同じような人かと思ってたけど…そうなんだ?」
「兵を大事にしていて…それから、頭も切れる人よ。軍師ではないけれど、それに似た位置にいるんじゃないかしら」
少なくとも、兵を自由に動かす事のできる位置にはいるはずだ。
自身の独断に兵を従わせるだけの器量もある。
「ねぇ」
悠希が控えめにそう声を上げた。
紅は前へと向けていた視線を彼女へと移動させる。
「あの、さ…。戦の結果を聞かずに城を飛び出して…。だから…その…」
「…武田軍とは一戦を交えたけれど、長曾我部軍とは戦にならなかったわ」
「…そっか」
「その代わり、政宗様と元親さんの一騎討ちになった」
「ぶ、無事なの!?あ、でも…紅がここに居るって事は、筆頭は無事で…」
悠希の顔色が変わる。
そんな彼女に、紅は穏やかな笑みを向けた。
「元親さんも、無事よ。怪我くらいはしていたと思うけれど…命に別状はないはず」
「そ、そっか…よかった」
あからさまにほっとした表情を浮かべる悠希。
ゲームの中では自分が贔屓したキャラがどんどん強くなるから、その点では記憶している展開など当てにはならない。
一日に何時間もテレビ画面の前に座り込んだ彼女ならではの心配だろう。
「ねぇ、元親さんに会ったら、何て言う?」
別に聞きたいわけではなかったと思う。
けれど…そんな問いかけが、いつの間にか零れていた。
隣で拙い手綱捌きを見せる悠希は、きょとんとした表情で紅を見る。
それから、のんびりと口を開いた。
「当然、まずは自己紹介でしょ」
「…まぁ、確かにね」
ガクリと肩の力が抜けてしまう。
何と言うか…実に彼女らしい返答ではないか。
先ほどまでのシリアスな空気の名残すらも残さない彼女に、紅は苦笑を浮かべる。
しかし、その笑みはどこか安心したような…そんなものだった。
07.08.11