廻れ、

- 廻 れ 、 廻 れ 。  時 空 よ 、 廻 れ -

-- 071 --

虎吉を走らせていけば、どんどん相手の陣との距離が詰まる。
矢が届くギリギリまで進まなければならない事に溜め息を吐きつつ、手綱を握りなおした。

「まったく…那須与一じゃあるまいし…」

なんて事をさせるんだ、と呟く。
そして、相手を刺激せず、かつ矢が届くギリギリまで虎吉を進めると、その場で彼の手綱を引いた。
僅かに前足を持ち上げて嘶き、彼はその場で足踏みする。

「まぁ、主人の期待を裏切るわけには行かないわよね」

そう言って静かに己を集中させるように目を閉ざし、弓に矢を番える。
ゆっくりとした動作を進めながらもその目は依然として瞼の奥に隠れたまま。
やがて、ギリリ、と弦が鳴く所までそれを引くと、紅は風を待った。
ヒュォ、と真後ろからの風に髪が揺れた所で、漸くその目を開く。
彼女の右の指の力が緩み、矢が風を切った。














「アニキー」
「あぁ?どうしたよ。独眼竜でも見えたか」

甲板にごろりと横たわっていた男は、そう言って閉じていた瞼を開く。
昼寝の邪魔をしたからには、それなりの理由があるのだろう。
眼帯に隠されていない方の目を自身の部下へと向ければ、彼はしきりに陸の方を指している。

「独眼竜も見えてますけど、変な女が来ます」
「女だと?この戦場にか」

正確に言うと、これから戦場になるところに、だ。
怪訝そうに片方の目を細めると、彼は部下から視線を外して、その男が見つめる方へと目を向ける。
一応陣は張っているものの寛いでいる兵の向こうに、確かにその存在を見る事が出来た。
独特の線の細さと長く揺れる髪が、それが女性である事を伝えている。

「…何でこんな所に女が…」
「アニキ、どうしますか?」

合図一つで兵が動くよう手筈は整っている。
暗にそれを問う部下に対し、アニキと呼ばれた彼はゆっくりと首を振った。

「ほっとけ。女一人に何が出来る。それより、独眼竜が到着し―――」
「アニキ!!!」

彼に一番近い部下ではない誰かがそう叫んだ。
そちらに向けようとした視界を、ヒュンと何かが通り過ぎていく。
タン、と音を立てて柱に突き立ったそれに、船の上は一時静寂に包まれた。
見間違える筈もなく、矢だ。
しかし、どこから―――
そう思ったところで、彼はゆっくりと視線を陸へと動かす。
先ほど見た女性が、弓を構えたままの姿勢でいるのが遠くに見えた。

「この距離を射たってのか…」

彼女はこちらの反応をうかがうようにしていたが、そのまま馬首を返して伊達軍の陣へと引き返していく。
彼女を迎える伊達軍が活気に沸き、その声が彼の元まで届く。

「アニキ!矢文です!」
「こっちに寄越せ」

そう言って手を差し出せば、すぐさま文が彼へと手渡された。
そこに走り書きされた内容を読み取り、彼は口角を持ち上げる。

「やってくれるじゃねぇか、独眼竜…」

ぐしゃりとその紙を握りつぶし、彼はそう呟いた。
すでに彼女は伊達軍の波に飲まれていて、その姿を見つける事は出来ない。
小さくしか見えなかった彼女を近くで見てみたいと思った。
ふと手の力を緩めれば、丁度吹いた風にその紙を攫われる。
一瞬だけそれに目を移すも、彼はそれを取り戻そうとはしなかった。
代わりに、すぐ脇に置いていた碇槍を担ぎ上げる。

「野郎共!!戦闘準備だ!!」

彼の声に、船の上の男たちが沸きあがる。

―――いい宣戦布告だろ?派手なPartyを期待してるぜ、西海の鬼。


















「滞りなく」
「…そのようだな。良くやった。鬼の反応は見えたか?」
「残念ですが、流石に表情までは…」

驚いていた事は分かりましたけれど、と苦笑を浮かべる。
あの距離で表情まで確認できたとすれば、自分の視力は相当のものだと言える。

「まぁ、別に反応が見えなくても問題はねぇな。あれで十分だ」

こちらの宣戦布告が伊達軍を煽ったのは言うまでもない。
しかし、それに遅れること数分、同じように相手軍がいきり立ったのを見れば、あの矢の効果がある事は明らかだ。

「将に伝えろ。開戦までに隊を整えてろってな。半刻以内に、戦が始まる」

政宗にそう言われると、紅は即座に頷いて虎吉の背に跨った。
そして、迷いない手綱捌きで陣形を整えているであろう将たちの元へと駆けて行く。
彼の言っていた通り、半刻を待たずに戦の火蓋は切って落とされた。
それも、予想外の方向へと。








小十郎が政宗の傍に居るから大丈夫だろうと、紅は高台にて相手の軍の様子に目を向けていた。
動きを一番に察したのも、もちろん彼女だ。

「!?」

信じられないものを見てしまったけれど、どうやら見間違いではないらしい。
何度か目を瞬かせてから、紅は即座に馬首を返した。

「政宗様!」

虎吉を止める間すら惜しく、政宗を呼ぶ。
すぐに振り向いた彼は、紅に向けて「どうした」と声を掛けた。

「それが…」
「何だ?」
「敵将自ら乗り込んできているのですが…」

どうしましょうか、と眉尻を下げる。
そう、先ほど紅が目にした光景は、自らの陣を抜けてこちらへと歩いてくる敵の総大将の姿だ。
彼の首を取れば始める前に終わらせる事は出来る。
分かっているけれど―――政宗に告げる事無くそれを実行に移すわけには行かなかった。

「…まぁ、いい。向こうが来てんなら、こっちも出りゃいいだけの話だ」

そう言うと、彼は外していた兜を片手に自身の馬の方へと歩いていく。
その行動を見送りそうになり、小十郎と紅は同時に我に返った。

「政宗様!?」
「まさか、政宗様自身が出向かれるおつもりですか!?」

共に声を上げる二人に、ひょいと馬の鞍に跨った政宗は片方の口角を持ち上げた。
その笑みに、二人は手遅れだと悟る。

「当然だろ。―――で、どっちが付いて来るんだ?」

さも当たり前にそう答える彼に、紅は小十郎へと視線を向けた。
恐らく、彼が一緒に行くのだろう。
それならば、己の役目は一時的にとは言え陣を担う事だ。
紅の考えは、口に出さずとも彼に伝わったらしい。
強く頷かれた彼女はそのまま身を引いて己の役目を全うすべく踵を返す。
しかし、身体を向けた先に斥候の一人が膝をつき、否応無しに足を止める事となった。

「報告します!長曾我部元親、自ら乗り込んできました!!」
「あぁ、知ってるぜ。俺が着くまで適当にあしらってやれ」
「いえ、それが………女を出せ、と声を上げているらしく…」

言い難そうなその報告に、暫し沈黙がその場を支配する。
やがて、視線は紅へと集められた。
そうしてその場の視線を一身に受ける事となった彼女は、深く溜め息を吐く。

「…お供しましょう」

ご指名ならば、行かないわけにもいくまい。
名指しで呼び出されたわけではないのだから、答える必要はないのかもしれない。
けれど、この場で女は彼女一人で、況してやこの状況で彼が出せという「女」は自分以外にはありえないのだ。

「…っつーことだ。小十郎、伊達軍を任せる」
「………承知いたしました」

自分が共を出来ない事がやや不満だったのだろう。
納得していない表情ではあったけれど、彼は頷いた。

07.07.30