廻れ、

- 廻 れ 、 廻 れ 。  時 空 よ 、 廻 れ -

-- 070 --

奥州と甲斐の国境に伊達軍と少しの雪耶の軍を残し、それを暁斗及び雪耶の部下へと任せてきた。
そうして紅と政宗は小十郎の待つ東へと軍勢を率いて移動する。
走りっぱなしと言うほどではないにせよ、移動距離にすれば相当になる。
それなのに、虎吉は疲れた様子も見せず、寧ろ機嫌麗しく草を踏みしめた。
さすがは鍛え抜かれた軍馬だ。
本人が持ち生まれた身体的能力も大きく関連しているだろうけれど。

「東はどうなっているでしょうか」
「今日中に氷景が報告を持ってくるだろ」

ポツリと零した声は彼の耳に届いたらしい。
律儀にもそう答える政宗に、紅は「そうですね」と頷いた。
すでに氷景を小十郎の元へと向かわせてある。
援軍がそちらに向けて出発した事、先の戦は伊達の勝利に終わった事を彼に伝える為だ。
伝える為に送ったが、彼が手ぶらで帰ってくるとは思っていない。
小十郎からの報告を持って帰るという事は、最早疑う余地もなかった。
戻った氷景の報告に紅が安堵の息を零すのは、それから半日後の事だ。












無事に小十郎と合流を果たしたのは二日後。
その場には唖然と口を半開きにする紅と、苦笑を浮かべる小十郎、それから楽しげに目を細める政宗が居る。

「大漁旗と大漁旗の睨み合い………そうそう見る事の出来る光景ではないですよね」
「確かに…。いや、それよりも政宗様。どういたしましょうか?」

的外れな紅の呟きに思わず納得してしまってから、我に返った小十郎は手元のそれを政宗に差し出す。
彼はそれを一瞥してから、その口角を持ち上げた。

「予想外の展開だが…まぁ、問題はねぇだろ。俺を出せって言うんだ、出てやろうじゃねぇか」

楽しげな声に、紅と小十郎は顔を見合わせた密かに溜め息を零した。
将たる者、後ろで堂々と構えていてくれればいいと思う。
だが、そんな風に後ろから指示を出すような彼ではない事くらいは、百も承知だ。
なるようになった―――二人の脳裏でその思いが一致した。

「しかし、随分と暇な鬼も居たもんだなぁ。俺を待ってのんびり船の上かよ、これだけ近くに居ながら」
「戦が始まっていなかったのは幸いでしょう。被害を最小限に抑える事ができます」
「…違いないな」

先にここに到着した小十郎は、すでに沖に展開していた相手の軍勢に僅かに眉を潜めた。
しかし、戦が開始される事はなく、飛んできたのは矢文の一本のみ。

―――奥州の竜を待つ。

そのたった一文を違える事無く、陣を敷いたにも拘らず将はゆらりと船の上。
どうすべきかと悩んだ所で、紅からの報告を持った氷景が到着した。
彼の報告に先の戦の結果を喜び、そして代わりにこちらの状況を持ち帰らせる。
戦は始まっていない、そんな氷景の報告に、紅は虎吉の背で揺られながら安堵の息を零したのだ。

「それにしても…兵は伊達軍といい勝負ですね」

何が、とは言わなかったけれど、恐らく伝わったのだろう。
苦笑を浮かべて頷いた小十郎は、少し遠い位置に配置された敵兵を眺めた。
伊達軍も大概だと思うけれど、相手も十分だ。
それに慣れてしまっている自分たちが、少しだけおかしかった。

「んじゃ、緩みきってる鬼を起こすとするか」

そう言ってニッと笑みを浮かべると、政宗は近くに居た兵に弓を持ってくるように伝える。
即座に踵を返した兵を待つ事30秒。
どこから持ってきたのかは知らないけれど、彼の手には立派な弓と矢が数本握られていた。
弓も出来るのか、などと感心したようにそれを受け取る政宗を見つめていた紅。
不意に、前触れなく振り向いた彼と視線が絡み、その目が何かを訴えている事に気付く。

「紅、持ってろ」
「はい」

兵から受け取った弓を彼女へと手渡すと、そのまま白紙の紙に向かって何かを書き連ねる。
流麗な文字が水のように流れる様を眺めている間に事は済み、乾いた所でそれを折りたたんでいく。
そして、矢の終わりに結びつけた。

「本人には当てるなよ」
「はぁ……………はい?」

ほら、と手渡されたそれを受け取ってから数秒。
紅は思わず間の抜けた声を発してしまった。
手の中の弓と矢、それから政宗を交互に見やる。

「いや、この距離を?」
「こっちが風上だからな、少しくらい距離は伸びるだろ」
「確かに、これだけ風が吹いていれば少しは飛距離も伸びるでしょうけれど…えっと、その…本気で?」

冗談でしょう?と思う。
その言葉を口に出す事はなかったけれど、思いは伝わった筈だ。
それが証拠に、彼の笑みは深められた。
紅はその笑みを見て、あぁ本気なんだな、と諦めにも似た息を零す。
何というか、無茶をさせる人だ。

「でも、流石にこの距離を飛ばすのは無理ですよ。船まで届きません。陣の中に落とすなんて温い事はしないおつもりでしょう?」

確信にも似た考えの元にそう告げれば、彼はしっかりと頷いた。
つまり、敵陣を超えて更にその奥で海の上に浮かぶ船まで矢を届かせろと言うわけだ。
どう考えても、普通の弓で届く距離ではない。
いくら横広がりの陣を展開していて、縦の広さがないにしても、現実的に無理のある距離だ。
敵陣のすぐ前まで移動すれば話は別だけれど。

「現実的に無理です」
「なら、届く距離まで行っていいぞ」
「政宗様…紅殿を一人で敵陣へと向かわせるおつもりですか…」

さすがの小十郎もそれはどうかと思ったらしい。
彼が口を挟んだ事に紅は申し訳なさそうに、困ったような笑みを浮かべた。
現状を見れば一触即発と言うほどに緊張しているわけではない。
敵陣前まで近づく事は不可能ではないのだ。

しかし―――無謀以外の何物でもない事は確か。

それ故に、成功したならば、これ以上ない挑戦状になるだろう。
兵の質を見る限りでは、どうやらそれを喜ぶ性格の持ち主のようだし、間違いはない。

「出来ないか?」

意地悪な問いだと思う。
出来ないか、そう問われれば答えは否。
出来ないどころか、やってのける自信はある。
ただ、少しばかり賭けとも言える危険があるだけで。
自分の制止を聞くつもりはないと判断したのか、小十郎ははぁ、と溜め息を吐き出して二人を見守る。

「本人に当てなければ、問題はありませんね…?」
「あぁ」

短く答える彼は、紅の心境がどう動いたのかを正しく悟っている。
その表情が今までに増して楽しげになったことから、それは確実だろう。
紅は指笛を鳴らして虎吉を呼び、その手綱を取る。
どこからか姿を現した氷景に一旦弓を預け、ひらりとその背に跨った。
そして、彼から弓を受け取る。
文をつけた矢は鞍の邪魔にならない部分に挟み込んでおいた。
本来は弓を使わない彼女だから、それ様の装備は整っていないのだ。

「では、行ってまいります」

そう言って虎吉の腹を蹴ってゆっくりと走り出す。

07.07.28