廻れ、
- 廻 れ 、 廻 れ 。 時 空 よ 、 廻 れ -
-- 069 --
一際派手な音と共に聞こえてくる声に、紅は僅かながら眉を寄せる。
しかし、声が聞こえているという事は彼の身は無事だという事だ。
今はそれだけで十分だ、と手綱を握る手を緩め、己の刀を握り締める。
砂塵の向こうに人影を二つ捉えた所で、彼女はそっと安堵の息を零した。
だが、それも一瞬の事。
その向こうに見えたものに、血相を変えて暁斗を振り向く。
「弓を貸して!」
「は…弓を?」
「早く!」
そう言われ、彼は疑問符を抱きつつも慌てて彼女の差し出す手に弓を渡す。
それから、逆の手にそれを渡した手が戻ってきた所で矢を渡した。
彼女はそれ以降暁斗を振り向く事無く、背筋を伸ばして弓を番える。
両手を離している所為で揺れる身体を安定させる為に、太股に力を込めて鞍を挟み込んだ。
「紅様!?」
何をするのだ、と止める間もなく、彼女は矢を放った。
それは真っ直ぐに風を切りながら、こちらに背を向けたままの『彼ら』の元へと飛んでいく。
一瞬とは言え、気を違えたのか、と思ってしまった。
最悪の事態を想像した暁斗は、やや青褪めた様子で視線を矢へと固定する。
しかし、彼の想像とは裏腹に、矢は丁度二人のど真ん中を通り抜けてその先へと飛んでいった。
そして、そこからこちらに向けて弓を引いていた男の喉元を貫く。
その男までの距離は、優に50メートルはあった。
主人の脇を通し、尚且つ寸分狂う事無く男へと矢を飛ばした紅に、暁斗は背筋が逆立った。
弓を得意とする自分でも、ここまでは出来ない。
「政宗様!」
彼女は弓を暁斗へと返すと、即座に虎吉を操って政宗の元へと駆ける。
先ほどの矢によりこちらに気付いていた二人は、一旦戦いを止めていた。
「紅か。無事に合流したんだな」
「はい。お待たせいたしました。雪耶軍、後方にて陣形を取って待機しております」
彼の元に到着する前に虎吉から飛び降りると、残りは己の足で走る。
それから政宗の脇へと膝を着き、そう報告した。
そして、それを言い終えると彼女は立ち上がり、政宗と対峙する彼を見る。
「お久しぶりです、幸村様」
「紅…殿…」
搾り出すような声で、そう紡ぐ人物―――それは、旅の道中で出会った真田幸村に他ならなかった。
紅は哀しげな笑みを浮かべ、それでも己の刀を抜く。
「…知り合いか」
「旅の途中で世話になりました」
政宗の言葉に静かに答える。
信じられない、と言った様子で槍を振るわせる幸村に、紅は僅かに目を細めた。
「次に会う時は敵同士…そう言いました」
「紅殿は、まさか…」
「改めて、ご挨拶いたしましょう。伊達が家臣の一人、雪耶紅です。以後お見知りおきを」
そう言い終わるが早いか、紅は右手で関節剣を鞘から抜き、幸村へと突き出す。
グンと伸びてくるそれに数秒遅れて構える幸村。
しかし、それは彼の脇を通り抜けてその先へと伸びた。
ギィン、と鈍い音が響く。
「邪魔は、させませんよ」
「…はは。相変わらず、鋭いお人だね」
「…氷景」
「承知」
どこからともなく姿を見せた氷景は、短く答えるや否や幸村の後方で関節剣を弾いた佐助の元へと飛ぶ。
そして、取り出した苦無の雨を彼へと降らせた。
それを避けるようにして移動していく佐助と、それを追う氷景。
彼らの姿は瞬きの間に消え失せる。
「兵をお引きください、幸村様」
「それはできぬ!」
「…武田軍はすでに伊達軍により制圧しました。負け戦を長引かせるおつもりがないのならば、何卒―――」
強くそう申し出る紅に対し、幸村は口を噤んだ。
そんな彼を見て、政宗はやれやれと首を振る。
そして、両手に構えていた刀を鞘へと納めた。
「白けたな。暁斗、だったか。勝鬨を上げて来い。この戦、俺達の勝ちだ」
「は!」
「待て!まだ勝負は…!」
「今のあんたに勝った所で、何の意味もねぇよ。仕切りなおしだ」
そう言って彼は周囲へと視線を巡らせてから、指笛を鳴らす。
巻き込まれない位置に離れていた彼の馬が近づいてくると、即座にその背に跨った。
一方、幸村の方は勝負を中断され、悔しげに表情を歪めながら彼の前へと進み出る。
だが、そんな彼と政宗の間に滑り込んだ紅により、それ以上の進行を止められた。
「あんたとはまた別の時に決着をつける。だが、どうしても今やりてぇってんなら…こいつを倒しな」
政宗は馬上からそう告げると、口角を持ち上げて紅を指した。
そして、ぐっと息を呑む彼に、こう続ける。
「言っておくが、前に会った時と同じだとは思うなよ。こいつは―――強ぇぜ」
その言葉、その表情―――全てに信頼の証が見える。
低く、けれども強く紡がれた最後の言葉に、紅の背中をゾクリと何かが這い上がった。
彼の言葉に答えるように、真正面から刀を構える。
しかし、幸村の表情にそれ以上の戦いを望む思いが消えると、彼女は刀を下して虎吉を呼んだ。
その背にひらりと軽やかに飛び乗ると、彼を見下ろして口を開く。
「幸村様。私は覚悟を決めました。あなたも…決めてください」
「紅殿…」
「そんな情けない顔、あなたには似合いませんよ。それとも、団子がなければ笑っていただけませんか?」
「な―――何を言う!!」
冗談めかして紡いだ言葉に、顔を赤くしながら大きく反応する彼。
そんな彼にクスリと笑い、紅は先に駆け出した政宗の背を見つめてからもう一度視線を戻す。
「そうそう。その元気ですよ。またいずれ、お会いしましょう」
では、と言い残して馬首を返し、政宗の後を追う。
途中で笛を鳴らして氷景を呼ぶことも忘れなかった。
「真田の旦那!」
不意に背後に降り立つ気配を感じたかと思えば、そう呼ばれた。
すでに小さくなってしまった2頭の馬を目で追う。
「悪い、遅くなった」
「佐助。紅殿が奥州に居る事を、おぬし知っていたのだな…?」
拒絶するように振り向く事のない背中に、佐助は表情を落とした。
もちろん、彼は知っていたとしか答えようがない。
しかし、それを幸村に告げなかったのは、こうなると分かっていたからだ。
彼は優しすぎる―――特に、彼女に関しては。
今までは信玄の役に立つ事のみに重点を置いていた彼。
だからこそ、突如自分の世界に入り込み、心地よい微温湯を提供してくれた彼女を完全な敵とみなすことができない。
恐らくそのあたりのお人好しさで言えば彼女も似たり寄ったりだろう。
しかし―――彼女は、確かに覚悟を決めている。
己にとってどれほどに優しい記憶であったとしても、主に害なす存在と思えばそれを斬り捨てる覚悟を。
幸村の心は、まるで美しく、そして儚い少年の恋心のようだ。
彼女の残した記憶はあまりにも優しすぎて、だからこそ彼はそれに囚われている。
「しっかりしろよ、旦那!あんたには、まだやるべき事が残ってるだろ!?」
「分かっている!だが…身体が思うように動かぬのだ…」
「あんたが守るべきものは!?」
「お館様と甲斐だ。それに間違いはない」
「それと一緒なんだよ、旦那。紅さんも、守るために戦ってる。あんたは武士として認めてやらなきゃなんねぇんだよ」
いつの間に正面に回ったのか、険しい表情の佐助が幸村の視界に入り込んだ。
守るものの為に戦う相手に対し、馴れ合いから戦意を喪失させるのは侮辱以外の何物でもない。
彼女の武士としての誇りを手折る行動だったのだと、漸く気がついた。
幸村の目に光が宿るのを見て、佐助は心中で安堵の息を零す。
「そう…だな。紅殿に無礼な事をしてしまった」
「あぁ、ホントだぜ、まったく…」
「次は…次に会ったならば、全力で。そう約束を交わしたというのに…情けない」
今更ながらに別れの時の彼女の言葉を思い出した幸村は、そう言って苦く笑った。
そして、槍を持つ手にギュッと力を込める。
「あの目は…確かに、覚悟を決めていた。ならば、某も決めねばならぬ」
真っ直ぐに逃げる事無く見つめてきた眼差しの強さは、あの時と何も変わらなかった。
いや、寧ろその強さを増していたかもしれない。
武士としての己の欲望が掻き立てられたと感じたのは、気のせいではないだろう。
別人にも思えるほどに成長した彼女と、そんな彼女が一心に仕える男。
「奥州の竜…伊達政宗…」
いずれ、再び会い見えることになると、幸村の本能がそう告げていた。
07.07.23