廻れ、

- 廻 れ 、 廻 れ 。  時 空 よ 、 廻 れ -

-- 065 --

米沢城の一室を借りて、紅は自身の家臣を集めた。
皆一声掛ければすぐに参じる事のできる距離に屋敷を構えていて、顔ぶれが揃うまでに要した時間は1時間程。
紅は前に二列に並ぶ彼らを一瞥してから、脇に控えていた氷景に視線を向ける。
心得たり、と彼は自身の手元にあった報告書を一人に渡した。

「…分かってもらえたかと思うけれど…戦が始まるわ。その準備を始めなければならない」

全員の目に触れたところで、紅はそう話を始めた。
文面を読み、理解した一瞬に目を見開くなどの反応を見せたが、それ以降は騒ぐでもなく彼女の言葉を待つ。
そんな彼らに、紅はいつもの笑みを消して対峙していた。

「雪耶の軍は?」
「当主交代の一件以降、兵を志願する民衆が増えています。その数は…およそ1500」
「ならば、現在の兵数と合わせれば約3500になりますな」

3500。
その数字は、紅からすれば想像に難しい数字だ。
数字が同じでも、例えばお金などとはその価値も大きさも違う。
それだけの命を背負うのだと思うと、肩が少しばかり重いような気がした。

「…すぐに動かす事は出来る?」
「は。紅様のお声とあらば、2000は」
「明日の軍議でそのあたりを話し合うことになると思うから、まだ伝える必要はないわ。
恐らく今回の戦に全軍を投入する必要はないでしょうし…」

一から準備を始めるという経験が、紅にあるはずもない。
彼女は家臣らの言葉を聞きながら、必要と思しき知識を頭の中に詰め込んでいた。















庭に沿うようにして縁側を歩いていた紅は、前の通路を横切る悠希の存在に気付いた。

「あ、悠希」

小さい声は静かなその場には十分な音量で、すぐさま振り向いた悠希はその視界に紅を捉える。
そのまま踵を返してこちらに歩いてくる彼女を向かえるようにして、紅もまた数歩だけ足を進めた。

「お疲れ様。大丈夫?」
「あぁ、うん。お疲れ。もう慣れたから平気よ。それに、皆まだ客人扱いで、疲れるほど仕事をくれないしね」

だから体力は有り余っている。
それを身体で示すように、悠希は軽くガッツポーズを見せた。
そんな彼女に笑顔を浮かべると、紅は思い出したように口を開く。

「あのさ、酒を用意出来る?あんまり強くないの」
「酒?声を掛ければすぐにでも用意出来るけど…あんた、飲むつもりなの?」

明らかに止めておきなよ、と目が語っている。
自分でも酒を飲めばどうなるか分かっているからこそ、紅は苦笑を浮かべて首を振った。
もちろん、縦ではなく横に、だ。

「政宗様からお誘いを受けてるの。私はお茶でいいんだけど…政宗様はお酒の方が喜ぶでしょ?」
「あー、なるほどね。新月を見上げて二人で仲良くやるわけですか」
「仲良くって…明日の軍議の話よ?」
「…それはまた、色気のないお話で」

呆れるように答えてから、悠希は「部屋で待ってて」と指示する。
それから二・三言葉を交わし、二人は別れた。
紅は彼女に言われたように一旦自室へと引き下がり、その到着を待つ。
15分と待たせる事無く姿を見せた悠希の腕には、一人で持つに十分な大きさのお盆があった。
それを受け取り、おやすみ、と夜の挨拶をしてから、紅は自室を後にする。















「小十郎を東に向かわせる」

ぐい、と酒を呷ってから、政宗は突然そう切り出した。
いざお茶を飲もうと、自身の湯飲みに唇を添えた所で、その言葉を耳にした紅。
思わずそのまま熱い茶を喉に通す事を忘れ、固まってしまう。

「小十郎さんを、あちらに?」
「あぁ。あいつが適当に足止めしてる間に俺が武田を討つ」
「その後に東に向かうおつもりですか?」

紅の確認めいた言葉に、政宗は一度頷いた。
それは無茶ではないだろうか、と思う。
伊達軍を二分させ、片方を小十郎に任せるというのは問題ないだろう。
彼ならば十分に軍を率いていく事ができる。
だが、問題は武田を討つと言うこちらの軍だ。
一戦を交えた後に休息を取る事無く新たな戦場へと向かわせるには、兵たちの体力に無理があるように感じた。

「休みなく戦に向かわせるのは上策とは思えません」
「その為に、お前を連れて行く。―――そこの地図を取ってくれ」

杯を持った手で示した先にある地図を見て、紅はその腰を上げてそれを手に取った。
開けば3尺(約1メートル)ほどの大きさのそれを彼の前へと置く。
それから、邪魔になりそうだった徳利を自分の方へと引き寄せた。

「伊達軍を二分し、一方を東に…こっちは小十郎だ。そして、もう一方を南の国境へと運ぶ」

いつの間にか彼の手には小さな石が握られていた。
そこには伊達の家紋が彫り込まれていて、その美しさに図らずも目を奪われる。
しかし、すぐに我に返った紅は、政宗が動かす石を目で追っていく。

「ここまでは大丈夫だな?」
「はい」

全部で16の石が半分ずつに分けられ、それぞれが彼の告げた位置へと動かされた。
そこで、彼から確認の声が掛けられる。
恐らく、戦を知らない紅に分かり易いよう話を進めてくれるつもりなのだろう。
その全てを聞き漏らす、或いは見逃さないように、彼女は全神経をそこに注いだ。

「雪耶の軍はどれくらいになった?」
「確実なのは2000です。今部下が数の把握に走り回っていますから…明日の軍議には間に合うでしょう」
「OK。そんだけいりゃ、上等だ」

予想通りだったのだろうか。
彼はニッと口角を持ち上げ、紅が座る反対側に手を伸ばすと、そこから碁笥によく似たものを持ち上げた。
その蓋を開けば、地図の上に散っている石と同じ大きさの石が入っているのが見える。
その石を4つ取り出し、もう片方の掌に載せた。
彼はそれを紅から見えるような位置へと移動させる。

「雪耶の家紋…」
「お前の軍がおよそ2000。これをお前が率いて、伊達軍の後方へと据え置く」

口で説明するように、彼はその指先で石を伊達軍の8つの石よりも少し北東へと据え置いた。
その位置関係から、紅は徐々に彼の思惑を悟っていく。

「戦に参戦させるわけではないのですね」
「あぁ。こっちに雪耶を参加させるのは、戦が長引きそうになった時だけだ」
「武田を討った後、伊達軍をそこに残し、控えていた雪耶の軍を率いて小十郎さんの元へ…と言うことですね」
「That's right!よく分かってんじゃねぇか」

嬉しそうな政宗の声に、紅は彼の思惑を正しく理解できたのだと安堵の表情を浮かべる。
紅にもわかるよう一から説明してくれていたとは言え、十に満たないうちに理解する事が出来たのだ。
これは喜ぶべきことだろう。
しかし、紅が安堵のそれの次に浮かべたのは、とても喜びとは言えないものだった。

「武田を討つのに、二分した軍で大丈夫なのでしょうか?」

勝てますか、と問う事はない。
紅の言葉に、彼は地図上の石を見下ろした。

「氷景の報告では、追ってきているのは武田の将は虎のおっさんじゃないらしい」
「虎の…武田信玄、では無いと言うことですか」

言葉を詰まらせたのは、脳裏に旅の記憶が過ぎったからだ。
総大将である信玄ではないという事は、恐らく武田を率いてくるのは―――

「どの道、天下取りに立ち上がればぶつかる相手だ。今叩いておいても問題はねぇ」
「潰しておくならば、総大将が出ていない今…と?」
「それもある。ま、俺は虎のおっさんが出てきても構わねぇんだがな」

寧ろ、出てきて欲しいと言う心が見え隠れしている。
彼の横顔を見れば、そこに浮かぶ好奇心のようなものを見ずにはいられなかった。
純粋に強い者を求めるその眼差しに、紅は自身の目を細める。
紅の頭の中で、いつかに聞いた悠希の声が甦った。

『いずれ、真田幸村は筆頭の好敵手になるわ。天下取りを容易にするなら、いっそ出会わせない方がいいのかもしれない』

盲目的に彼を追いかけてしまうから、と悠希はそう言っていた。
彼女は出会わせない方がいいかもしれないと言った。
しかし、この表情を見てしまえば、寧ろその逆に動きたくなってしまう。

―――見てみたい。この人の目が、好敵手を得て輝くのを。

「…家臣には朝一番で伝えておきます」

別の策を講じることも出来た。
しかし、紅は彼らが出会う未来を選ぶ。
それが正しいのかなど、進んでみなければわからないのだ。

07.07.12