廻れ、
- 廻 れ 、 廻 れ 。 時 空 よ 、 廻 れ -
-- 062 --
「政宗様…先ほどの物言いでは、誤解を招きます」
スタスタと前を歩く政宗に、小十郎は控えめに声を掛けた。
主の考えが読めない―――訳ではないが、全て理解できるわけでもない。
「いいじゃねぇか。誤解だろうが何だろうが、別に構やしねぇよ」
「しかし…」
「紅を迎えりゃ、領民は喜ぶ。それに加えてあれだけの実力だ。
戦場に慣れれば伊達軍にとって…いや、奥州にとって吉と出る事に変わりはねぇんだよ」
だから、結果は同じだ。
そう言って政宗は笑った。
「しかし…あいつら、つくづく今の時代に向かねぇ奴らだな」
ククッと喉で笑ってそう告げる彼に、小十郎は確かに、と肯定の意を示す。
今のこの時代といえば、女性が政のために嫁ぐことなど珍しくはない。
負け戦の後に娘を嫁に出さねばならない者も居るくらいだ。
当主であると言うだけで、紅自身の置かれている状況もあまり変わりないだろう。
彼女が「ある種の服従だ」と言った以上、彼女にとっては政宗の命令ならば背く事は許されない。
そんな彼女を主としている以上は、家臣らもまた、政宗に逆らう事はあってはならないのだ。
それなのに、彼らは政宗に向かって声のみならず、殺気にも似た眼差しを向けた。
「面白いと思わないか、小十郎」
「面白い…とは?」
「あいつの周りには人が集まる。それが、さも当然のことのようにな」
初めにそう思ったのは、氷景の時だ。
自分に従っていた彼が、いとも簡単に主人と認めた。
一匹狼と言う立場を崩そうとしなかった彼が動いた事には、政宗自身も驚いたものだ。
それから、伊達軍の兵たち。
紅に会った者、彼女に声を荒らげさせた者。
彼らは女と言う、自分よりも低く見てしまいがちな彼女を、政宗を慕うのと同じように紅を慕いつつある。
「あいつの存在自体が人を動かす。悠希…とか言ったか。あいつには感じられねぇ何かがあるんだ」
「それは…確かに」
「小十郎、お前は紅を伊達軍に引き入れるのは反対か?」
「いや、そうは思いませぬ。彼女は伊達軍の要になりましょう」
即座にはっきりと答えた小十郎に、政宗は独眼を細める。
それから口角を持ち上げて、握った手の甲を彼の胸へとトンとぶつけた。
「お前がそうやって認めるのも珍しいだろ?」
「…それは、政宗様が仰るからで…」
「いーや、お前は俺が言った所で、自分が納得できなきゃ認めねぇ」
そう言う奴だ、と断言する。
図星であると分からないほどに自分の事を理解できていないわけではない。
口を噤んだ小十郎に、彼は続けた。
「紅なら…同じ夢を見れるかもしれないな」
いつだったか、小十郎に語った夢。
それを叶える事だけを考え、伊達軍をここまで大きくした。
あと少しで、先の見えない道が終着点へとたどり着く。
天下を狙うのは自分だけではなく、その全てを蹴落とさなければ辿り着く事のできない場所。
しかし、紅と言う存在を得た事で、それがより鮮明に見えるようになった。
「あの者たちを納得させるのは骨が折れますな」
「納得させる必要はない。紅さえ頷きゃ、あいつらはそれに従うだろ」
「政宗様が紅様を娶ろうとお考えになっている事は、よくわかりました。しかし―――」
小十郎の言葉の途中で、がたんと言う音が聞こえた。
その原因は、言葉を紡いでいる途中だった小十郎でもなければ、政宗でもない。
二人の視線が音の方へと向く。
そこに居たのは―――
「どう言う事…?」
「悠希か…。紅はどうした?」
「どう言う事って聞いてるのよ!答えて!」
悠希は詰め寄るようにして足音荒く彼らに近づいていく。
落としたらしい布に包まれた何かを置き去りにして。
「悠希殿、政宗様にご無礼だ」
「紅を娶るですって!?ふざけた事を言わないで!」
止めようと一歩前へ出た小十郎に押さえられながらも、悠希はそう声を荒らげる。
彼女の眼には明らかな怒りが見えていて、昨日の少しふざけた空気など何かの間違いだったかのようだ。
「あなた達は一夫多妻制が普通なんだろうけど、彼女は違うのよ!」
生涯を共にしたいと思った人と一緒になる。
それが現代での結婚だ。
正室の他に数人の側室を抱える事のできるこの時代を、現代を生きてきた紅たちが受け入れられる筈がない。
その部分だけは、慣れでどうできるものでもないのだ。
人の心はそんな簡単にはできていない。
「紅を政の道具や、ひとときの気休めに使わないで!あの子を壊すつもりなの!?」
「…落ち着け」
「落ち着けるもんですか!紅は…紅は…っ!」
小十郎は政宗に食って掛かる悠希をその腕を捕らえて止める。
彼の存在など目に入らない様子の彼女は、ギリッと唇を噛み締めた。
その続きを紡ぐ事は許されない。
これは、紅自身が紡ぐべきことなのだ。
「幸せそうね」
そう言った自分に、紅は嬉しそうに笑った。
その表情は現代に居た頃よりも更に綺麗だったように思う。
「うん。悠希の言ってた事、よく分かった」
「…好きな人…出来た?」
そうなのかもしれないと思っていたからこそ、即座にその言葉を返すこと出来た。
悠希の言葉に、紅はその頬を染めて頷く。
「傍に居られるだけで幸せなの。この命を…政宗様のために使いたい」
「…あんたもとんでもない人を好きになったわねぇ…」
「そうかもしれない。でも…後悔はしてないわ」
傍に居られるだけで幸せだから、と微笑んだ紅の強い表情を忘れることが出来ない。
手放しに喜ぶ事は出来なかったけれど、それでもいい結果に結びついたのだと思う。
夜の布団の中、そんな風に二人で顔を見合わせて笑いあった。
昨夜の事が脳裏に浮かび、悠希の心の乱れは治まる所を知らずにいた。
紅は傍に居られるだけで幸せだと言ったのだ。
それは、裏を返せば傍に居るだけがいいとも聞こえる。
彼女自身も分かっているのだ、自分達が生きてきた時代と、この時代の思考の違いを。
だからこそ、彼女なりに踏み込んではならない領域を定めている。
部下として命を賭す―――それが、紅の選んだ道なのだ。
紅の想いは真っ直ぐで、澄んだ朝の空気のよう。
あの子はきっと、自分の想う人の目が他を向くことに耐えられない。
ましてや、それを隣で見ていることなど出来ない。
そんな事をさせれば、紅が壊れてしまう。
親友として、これだけは絶対に許すわけにはいかない。
「悠希…?」
不意に、緊迫した空気の中に踏み込んでくる人物が居た。
悠希はその名を呼ばれ、小十郎に腕を取られた状態のまま振り向く。
そこに居たのは、困惑したような表情を浮かべる紅だった。
今の状況を理解しかねているのだろう。
「…小十郎さん。悠希の腕を放してください」
「しかし…」
状況が状況だけに、小十郎は即座にそれを聞き入れることが出来なかった。
それを見て、紅は迷う事無く腕を掴まれたままの悠希を自身の背に移動させる。
「大丈夫だから…放して。政宗様には近づけさせないから」
小十郎が彼女を捕まえて放さないのは、政宗に相対したからだと正しく理解している。
紅の言葉に彼は一度政宗の方を向き、了承と取れる頷きを返されるのを見届けてその手を解く。
「悠希がご無礼をいたしました事、彼女に代わりお詫びいたします」
「紅!?だって、これは…!」
背中からそう声を上げた悠希を振り向く。
同時に、ぺちっとその頬を軽く叩いた。
「どんな理由があろうと、一国の主に逆らう事はあってはならないの」
「でも…」
未だに納得出来ない悠希をおいてもう一度振り向くと、紅は改めて頭を下げる。
「処罰は私が受けます」
「いや、必要ない」
「そう言っていただけると助かります。悠希にはよく言っておきますから…」
もう一度深く頭を下げると、紅は悠希の背中を押してその場を去ろうとする。
恐らくは彼女を部屋に送り届けるつもりなのだろう。
「紅」
名を呼ばれた彼女は、首だけではなく身体ごと政宗を振り向いた。
僅かに緊張した面持ちの彼女に、彼はふっと笑みを浮かべる。
「いい友人を持ったな」
「…はい。自慢の親友です」
迷いなくそう答えて、紅は失礼しますとその場を去る。
その背中を見送ると、政宗は唐突に笑い出した。
「本当に…あいつは人を集めるらしいな」
「それにしても…悠希殿のあれは少し度が過ぎます」
「親友ってのが口先だけのもんじゃない証拠だろ。本気で俺に噛み付いてきやがった」
気を悪くした様子もなく、寧ろ満足げに笑う政宗に、小十郎は深く溜め息を吐き出す。
確かに命の危険に晒されたわけではないのだから、そう気にすることでもないのかもしれないが…。
これが政宗以外であったならば、と思うと、頭痛すら感じてしまう。
つくづく、伊達軍には変わり者が集まるらしい。
07.06.27