廻れ、
- 廻 れ 、 廻 れ 。 時 空 よ 、 廻 れ -
-- 055 --
もう肌を刺すような寒さもなく、馬を駆る速度にあわせて頬を撫でる風はどこか心地よいくらいだ。
そうして新緑と呼べる木々の中を走り、漸く城へとたどり着く。
山に沿うように築かれた城壁を前に、予想以上の大きさに紅は目を瞬かせた。
米沢城よりは少し小さいが、それでも勝るとも劣らない雄大な出で立ち。
「そうか。城を見るのは初めてだったな」
動こうとしない紅を横目に、政宗は納得したように呟いた。
それに対しての答えを忘れるほどに、紅は城に見入る。
そうして暫くすると、城門の方から数人の男がこちらへと歩いてくるのが見えた。
彼らが近づいてくるのに気付くと、漸く我に返る。
「お待ち申し上げておりました。伊達様もようこそ我らが主の城へお越しくださいました」
そう言って深く頭を下げた男はまだ若い。
彼の言葉に対し、政宗は慣れた様子で短く答えてから、後は構うなとばかりに手を振る。
「あの…女性を拘束したとお聞きしました。氷景を先に遣わせたのですが、彼はどこに?」
「ここに」
彼へと向けた言葉に答えたのは、その男性ではない。
はっきりとした声が降ってきたかと思えば、それと共に紅の前に降り立った氷景。
彼は地面へと足をつける流れで膝をつき、頭を低く口を開く。
「ご無事の到着、何より安堵いたしました。捕らえた女は城の牢にて身柄を拘束しております」
いつもとは明らかに違う、丁寧な物言いに紅は静かに頷く。
彼が口調を変えたのは、一重に彼女を思ってのことだ。
忍に乱雑な口調を許しているとあれば、当主としての威厳にも関係してくる。
分かっているからこそ、紅もそこを追求したりはしなかった。
「ありがとう」
「紅様。その者とお会いする前に、一度我ら家臣との顔合わせをお願いいたします」
話はそれからで…、控えめにそう声を掛けてきたのは、先ほどの男性とは違う男性だ。
外見で言えば、すでに初老の域に足を踏み入れている。
彼の申し出に紅は素直に頷き、そこで漸く虎吉の背を降りた。
その行動に遅れを取る事無く、彼らと共にきていた若い…まだ少年と呼んでも差し障りなさそうな男子が前へと進み出る。
そして、紅の前に膝を着き、虎吉と彼女を交互に見てから口を開いた。
「お預かりいたします」
「この童は隣村の馬屋の息子にございます。城にて馬の世話を任せておりまして…馬を操る術に長けてございます」
安心してお預けくださいませ、と初老の彼が少年をそう紹介した。
別に疑っていたわけではないけれど、そう告げられた後ならば安心して預けられるというものだ。
未だ膝を着いて姿勢を低くしたまま見上げる少年に微笑みかけ、手綱を彼の手の届く位置へと運ぶ。
「よろしくね。少し気性が荒いから…乗らないように」
自分の言葉に「少し?あれが?」と言いたげな目を向ける政宗に気付くが、それに関しては何も答えない。
同様に政宗の馬と小十郎の馬を預かる彼に、一度に三頭も引き連れて大丈夫なのだろうかと疑問が過ぎる。
だが、少年は慣れた調子で巧みな手綱さばきを見せながら、絡ませることもなくその場を去っていく。
感心するような政宗の口笛が耳に届いた。
「あいつは将来大物になるぜ」
さすが、城のお抱えになっているだけの事はある。
彼の言葉に、紅は同意するように頷いた。
彼女でなければ、一度ではとても覚えられないような数の家臣との顔合わせ。
行き成り代替わりした当主を受け入れるものは少ないだろうと、敵陣に乗り込む覚悟で挑んだわけだが…。
予想外にも、彼らは穏やかに紅を受け入れた。
肩透かしを食らった彼女は、その理由を問う。
そんな彼女の問いかけに対し、一人が答えた。
「村人からの贈物が後を絶ちません。
此度のご当主様は歴代の当主様よりも聡明かつ人徳を備えたお方であると、一同喜んでいるのですよ」
その言葉に対し、綻ばせた彼女の表情を見ていたのは、その時部屋の中に居た者だけだ。
一通り言葉を交わせたところで、紅は気になっていた例の女性の件を言葉にした。
家臣らが顔を見合わせ、その内の一人が襖の方へと歩いて行き、外で待機している者に声をかける。
程なくして、一度は遠ざかった足音が近づいてきた。
去っていった時よりは気配自体も増えていて、その女性を連れてきているのだろうと思う。
やがて、スラリと襖が開かれ、前後左右を袴姿の男性に囲まれて部屋の中へと入ってくる。
紅の位置では、女性の姿は見えない。
けれど、その身に纏われた空気が、どこか懐かしく感じた。
部屋の中ほどに進み出た所で、女性の前に居た男性がスッと身を引く。
現れたその姿に、紅は一瞬目を見開くが、すぐに冷静な表情を取り戻した。
「…皆さん、下がっていただけますか?」
女性に向けての言葉を発する前に、紅は家臣をぐるりと見回してそう告げる。
問いかけの形ではあったが、どこか有無を言わさぬ力が篭っているような声だった。
「しかし…」
その後は言葉を濁してしまう一人に、紅は安心させるように微笑む。
それから、悪戯な笑みを浮かべて天井を指差した。
「優秀な忍が居るから…ね?」
微弱だが確かに感じる事のできる氷景の気配は、この城に着いてからと言うもの一瞬たりとも離れない。
彼女にとっては、その姿が見えているように気配を感じる事ができる。
しかし、他の者にとっては、そこに人が居るのかと言うことすら危うく、納得しかねる部分ではあった。
結局は彼女の意思に逆らう者はなく、その場に彼女と女性、そして沈黙を保つ政宗と小十郎を残して去る。
シンと静まった室内に聞こえる唯一の音といえば、障子の向こうで風に踊る木々の葉が擦れる音くらいだ。
それぞれの視線がそれぞれの場所を見つめているのに対し、紅と女性のそれは依然として絡み合ったまま。
そんな中で動きを見せたのは、誰が一番だっただろうか。
ガタン、ともバタンともとれる音が響く。
同時に、いつの間にか天井の板が一枚ずらされていて、そこに居たはずの氷景は女性の後ろにいた。
その細い首に、後ろから苦無を突きつけて。
白い肌に薄い傷が残り、プツリと赤い珠が滲む。
「動けば喉元を掻っ切る」
低く、そして唸るように、氷景はそう告げる。
それから、彼はチラリと視線を動かして室内の様子を見回した。
まず見えたのは、こちらに向けて抜き身の刀を構えつつ、険しい表情を浮かべる小十郎の姿。
その向こうに警戒しつつも抜刀には至らない政宗。
そこから少し右へと視線を動かせば、見えてきたのは破れた障子と、それに寄りかかるようにしている紅だった。
先ほどの沈黙を一番に破ったのは、例の女性だった。
彼女は一瞬で紅の前まで近づき、そこから拳を突き出したのだ。
その攻撃により紅は障子まで吹き飛ばされる事となり、室内が緊張に包まれた。
事の説明をするならば、こんな所だろう。
ちなみに紅に怪我がないのは、咄嗟に腰に挿していた鞘入りの刀をそのまま引き上げて直撃を防いだからだ。
彼女は障子から背中を離すと、ふぅ、と溜め息を吐き出してから氷景と女性の方を見た。
「氷景、苦無を下して」
「…断る」
「下しなさい」
二度目は強く、有無を言わさぬように。
明らかな命令の意を示したその声に、氷景は心中で舌を打った。
それから、かなり躊躇いながらもゆっくりと苦無を下す。
だが、距離を開けるつもりはないらしい。
それを妥協点としたのか、紅は自分が破ってしまった障子を一度振り向いてから彼の方へと歩いていく。
正確に言うと、彼を目的としているのではなく、その女性に向かって歩いているのだが。
警戒心を消さないままに、邪魔をしない程度に身を引いた氷景に微笑みかけ、彼女に向き直る。
「………随分なご挨拶ね」
苦笑にも似た笑みを浮かべてそう言えば、室内の男連中が息を呑む。
言葉の真意を悟る事など、彼らには出来ないからだ。
しかし、紅の言葉に対して女性は彼女と同じような笑みを浮かべてから、やや呆れたようなそれへと切り替える。
「今更そんな事気にするような関係でもないでしょ?」
「まぁ…それもそうだけど」
「それより、紹介した方がいいんじゃない?そこの端正なお顔をお持ちの方々が目を点にしてるわよ」
彼女が顎で示した方を見れば、すでに刀を鞘に戻した小十郎、それから政宗が見えた。
どちらも目が点…程ではないにせよ、不思議そうな表情を見せている。
少し視線を動かせば、彼らのような表情でないけれども怪訝なそれを浮かべる氷景。
どれも、状況を理解しているそれとは程遠いものだった。
「えっと…どう説明すればいい…?」
「…そのまましかないんじゃない?」
彼女の言葉に、それもそうか、と口を噤む。
そして自身の頭の中で整理を終えてから、再びそれを開いた。
「彼女は…本物の悠希で…私の親友です」
「ちょっと。本物って何よ」
そう言って笑ってから、彼女は彼らの方を振り返った。
07.06.11