廻れ、

- 廻 れ 、 廻 れ 。  時 空 よ 、 廻 れ -

-- 053 --

翌朝、目を覚ました紅は全てを忘れていた。
―――などという事は、いくらなんでも起こらない。
だが、いつの間に布団に戻ったのかは謎だった。

「政宗様と話をしていて、時代を超えてしまった事を話して…その後は?」

あれ、と首を傾げる。
いくら思い出そうとしても、その先が思い出せない。
時代を超えた事を信じると言う彼の言葉を聞いた。
それに対して、ありがとうございますと答えたのは覚えている。
だが、その先は…?
上半身を起こしただけの状態の紅は、その先を思い出すことが出来ずに布団の上で悩みこむ。

「ちょっと待って。お酒を飲んだから…まさか…」

嫌な想像が頭を過ぎり、紅は僅かに青褪める。
以前にもこんな風になってしまったことがあった。
確か、成人の祝いに悠希と酒を飲んだ時だ。
あの時はビール一缶の封を切り、半分も飲まないうちにその先の記憶がなかった。
後から彼女に聞いた話では、どうやら自分は許容量がかなり少ないらしい。
それ以上を飲むと、突然に眠り込んでしまうらしいのだ。
行き成り倒れたから救急車を呼ぶべきなのかと焦った、と悠希に怒られたのを覚えている。

「まさか、今回も…?」

記憶がないのが何よりの証拠のように思える。
下手に恥を晒さずに眠り込んでしまうのは、ある意味幸せなのかもしれない。
しかし、縁側で飲んでいた自分が布団に戻されているのだから…その辺りで迷惑を掛けてしまった事は確実。
穴があったら入りたい―――紅は、無言で頭を抱えた。













「おはようございます、紅様」

遠くから近づいてくる気配には気付いていた。
覚えのないそれに、少しばかり警戒したのも事実。
だが、いざ会ってみれば何の事はない。
恐らくは武術など何もしていないであろう、ごくごく普通の女性であった。

「この度、殿より紅様の侍女頭を任されました楓と申します」
「…それは―――…いえ、何でもないわ。よろしく」

一旦止めた言葉は、自分に侍女など必要無いと言う否定のそれ。
しかし、半ばにてそれを打ち消すと、紅は彼女に微笑んだ。
当主を務めると決めた。
それならば、従われる事にも慣れて行かなければならないのだろう。
その考えから、紅は否定の言葉を飲み込んでいた。

「政宗様は今どちらに?」
「小十郎様と本日の予定を確認しておられます。目が覚めたら顔を見せるようにと言い付かっております」
「用意が整い次第、すぐに行くわ。所で、氷景を知らない?」
「忍の方でございますか?私は存じ上げておりませんが…」

その答えに「わかった」と答えると、彼女には下がるよう伝える。
着替えを手伝うつもりだったのか、若干困ったような素振りを見せたが、無理強いする事無く部屋を後にした。
恐らく、政宗から自由にさせるようにとでも言われているのだろう。
小さくもありがたい配慮に感謝しつつ、紅は着物を変えて縁側に立つ。
腕に巻かれた笛を吹けば、10秒ほど後に庭先に氷景が降り立った。

「今回の侍女は本当に女性?」
「…間違いなく、ごく普通の女だ」
「そう。それを聞いて安心したわ」

一度氷景に痛い目を見せてもらった所為だろうか。
楓の紹介の間も、本当に性別を偽っていないだろうかと探るように見つめてしまった。
無遠慮だったかもしれないな、と後から一言言っておこうと思う。

「白凪城の様子は?」
「特に荒れる様子はない。だが…主のない城は他国から攻められやすい。すぐにでも城に移った方がいいだろう」
「…それに関しては、少し思うところがあるから…政宗様に相談するわ」

そう答えながら、紅は飾り紐で自身の髪を結う。
だが、何故か今日は上手く行かずにもたついてしまった。
それを見ていた氷景が横から飾り紐を奪い取り、さっさとその黒髪を纏めてしまう。
その間と言えば僅かな時間だったが、紅は何故か食い入るように彼を見つめていた。

「…どうした?」

その視線を彼が感じない筈はない。
その問いかけに対し、紅は目を逸らす事無く口を開いた。

「氷景、あなたは…」

言葉を半ばで途切れさせ、口を閉ざす。
それから何事もなかったように、微笑んだ。

「何でもないわ。ありがとう」

そう言って、それ以上の問いかけを拒むように背を向けた。
彼女の行動の指す意味を正しく理解した彼は、何も言わない。
ただ一度だけ頭を下げ「何かあれば呼べ」と言い残して姿を消す。
完全に気配が消えた所で、彼女は弱弱しく溜め息を吐き出した。

「…政宗様に聞かないと…ね」

呟く声を聞く者はなく、静かに歩き出した。

















「政宗様。私、あの後の記憶がないのですが…」

紅の第一声は、思わず笑ってしまうようなものだった。
真剣この上ない表情でそう言った彼女は、政宗の答えを待つ。
彼が笑いを堪えている事も、恐らく分かっているだろう。

「お前が酒に強くないって事はよーく分かった」

喉で笑いながらそう言った彼に、紅は頬を染めて肩を落とす。
そして、傍らに控えていた小十郎は何の事だ?と心中で首を傾げた。

「まぁ、気にすんな。それより、氷景から話があるらしいって聞いたが…?」
「白凪城の事で、政宗様にご報告をと思いまして…」

報告、と言うからには、すでにその行動が決まっている、或いは完了してしまっているのだろう。
何かあったか?と思いつつ、彼は「言ってみろ」と紅の言葉を待った。

「白凪城を焼き払おうと考えています」

ゴフッと傍らで暢気に茶を飲んでいた小十郎が咽る。
何かとんでもない事が聞こえた…何とか噴出さずに済んだ自分を褒め称えつつ、彼は呼吸を整える。

「…大丈夫か?」
「…は」

事も無げにしている政宗にそう問いかけられ、小十郎は何とか答える。
何故政宗はこんなにも平然としているのか…そんな視線が、小十郎の目に一瞬だけ映りこんだ。

「理由を聞かせろ」
「現在、雪耶家は古くから大切にされてきた掟により、当主が交代します」
「当主が選ぶ、もしくは当主を討った奴が次の当主―――あの掟の事か」
「はい。今後本格的に各国が天下統一に向けて乗り出しましょう。無論、政宗様もそれに乗るおつもりでしょう?」

彼女の問いかけに対し、彼は「当然だ」と頷く。

「政宗様が挙兵する折には、私も戦場に参じる心構えです。そうなれば…あの城は、ひと時とは言え主がなくなります」
「…それは、家臣に任せればいい話だろ」
「代替わりして日の浅い私が、家臣の忠義を受ける事は出来ません。野放しにするには、危険すぎる」
「だから焼き払う…か。ちーと安直じゃねぇのか?その発想は」

若干の呆れを含ませた彼の言葉に、紅はゆっくりと首を振った。
そして、懐から折りたたんだ紙を取り出して、それを折り開いて彼の前に差し出す。

「これは…」
「私が当主となってから、その首を狙ってきた輩の数です。多くは戦に破れ、家も家臣も失った落ち武者」
「………この短期間で、これほどの数の…」

政宗に渡されたそれを見下ろした小十郎が、小さく驚きの声を上げる。
そう言わずには居られない数が、そこに記載されていた。

「此度の当主が女であると言う事はすでに周知の事実。今までは様子を見ていた者が、一斉に乗り出しているようです」

舐められたものですが、とどこか諦めた風に溜め息を吐き出す紅。
その多くは彼女自身の元へと来るのではなく、城から攻めようとしているらしい。
分かっているからこそ守りを強化している城を、軍を持たない人間が落とせる筈がない。
結果として、彼らは当主本人を目にすることもなく敗れ去っているのだ。

「今は家臣や雪耶の軍で何とかなっているようですが…それも、時間の問題でしょう」

再び自分の手元に帰ってきた紙を折りたたみながら、紅はそう言った。
元々、血の一滴も関係しないような者が当主の座に落ち着くような家だ。
忠誠心など望める筈もなく、軍と言っても百かそこら。
何とかするにも限度がある。

「もう二度と、秀成のような人間に雪耶の土地を預けるわけには行きません。私が…守ります」

その目に当主としての覚悟を見出し、政宗は自然に自身の口角を持ち上げていた。
磨けば光る逸材―――期待が膨らむのを止める術は持ち合わせていない。

07.06.08