廻れ、

- 廻 れ 、 廻 れ 。  時 空 よ 、 廻 れ -

-- 052 --

久々に思いっきり身体を動かした所為か、筋肉が少し痛い。
筋肉痛なんて何年ぶりだろうか、などと人事のように考えながら、軽く脹脛を揉み解す。
普段使わないと思しき筋肉の小さな悲鳴を聞く。
とにかく動きの悪い身体に少しばかり眉を潜めつつ、それに鞭打って部屋の中を移動した。
音を立てないように気を配って障子を開けば、何度見たか分からない満天の星空が紅を見下ろしている。
昼間に酷く興奮した所為なのだろうか。
まだ暫くは眠れそうにないほどに冴えた頭。
見下ろしてくる月は、旅に出る前と変わらず美しく紅を見下ろしてくる。

「澄んだ空気…」

旅に出る前は、肌を刺すような寒さを感じた時もあった。
しかし、約半年経った今では、それも随分和らいでいる。
吐き出した息も、もう白く曇ったりはしなかった。
不意に、紅は人の気配を感じて顔をそちらに向ける。
彼女が反応する事に対してはもう慣れてしまったのか、その人は特に焦るでも驚くでもなく近づいてきた。

「眠れないのか?」
「…少し、興奮しすぎてしまったみたいです」

身体は休息を求めているように思うのだけれど、寝たいとは思わない。
矛盾した二つが身体を別々に動かそうとして、結果頭の方が打ち勝っている―――そんな状況だ。
苦笑を浮かべた彼女に、政宗は少しだけ距離を開けてその隣に腰を下ろす。
そして、手に持っていた徳利と杯をその間に置いた。
白濁色ではなく、水のように透き通った液体が黒塗りの杯に注がれる。
それを見ていた紅は、自分に差し出されたそれに目を瞬かせた。

「飲めよ」
「え…いえ、お酒はあまり強くないので…」
「安心しろ。そんなに強い酒じゃねぇ。それに…腹を割って話すには、少しくらい酒が入ってた方が良いだろ」

そう言われてしまえば、頷かざるを得ない。
腹を割って話をすると言う気持ちが彼にあるのならば、自分もそれ相応の姿勢を見せなければならなかった。
いただきます、とそれを受け取って一旦床の上に置くと、彼の手を離れていた徳利を取る。
そして空のままだった政宗の杯に適量を注いだ。
彼は何も言わずにそれを受け取り、そして一気に煽る。
それに倣うようにして、紅も舐める程度口に含んだ。
酒独特の熱が舌の上を転がっていく。

「美味いだろ?」
「…はい。思ったよりも、飲み易いですね」

とは言え、やはり酒は酒だ。
多くは飲めそうにないな、と思いながら、紅はもう一口だけ喉に通す。
この一口を頂いてからは、注ぐ側に徹しよう―――そう心に決めて。










月見酒、と言うのは中々風流なものだ。
ここに夜桜でもあれば更に雰囲気があるのだろうけれど…桜の季節はもう少し先。

「天下を取るのは俺―――そう言ったよな」
「はい」
「お前は、自分で天下を取ろうとは思わないのか?」

考えたこともない質問に、紅は答えるのを忘れて目を瞬かせる。
自分が、天下を?
まさか、と思った。

「私は天下を治めるような人間ではありません」
「取れるだけの技量はあるはずだ」
「…強ければ、他の者を力にて屈する事ができれば…。
それだけで天下が治められるならば、きっと乱世など訪れなかったと思います」

徳利を持つ手を軽く膝の上に乗せ、紅は夜空を仰ぐ。

「お前は人を惹き付ける。恐怖でも力でもなく、自分の本質で人を導くことの出来る奴だ」
「…買い被り過ぎです」
「…俺の左目が節穴だってのか?」
「まさか。その様な事は思っておりません」

薄く笑って頭を振ると、空になっていた杯に酒を注ぐ。
それから、紅はそれを手元へと戻して再度口を開いた。

「それに、本来ならば、私は歴史に関わるべき人間ではありませんから…」

零れてしまった、と言うのが一番正しいだろう。
言うつもりなどなく、心の中だけで思っておくつもりだったのだ。
しかし、その言葉は紅の口から音となって零れ落ちてしまった。
もう、それを拾い上げる事は出来ない。

「…どう言う事だ?」

そう言葉を返されてから、紅は漸くその事実に気付く。
舌打ちしたくなるような馬鹿なことをやらかしてしまった。
少なからず、先ほど飲んだ酒が作用したのだろう。

「お前は何を隠してるんだ?」
「…答えるべきですか?」
「言いたくないなら、無理強いするつもりはない。だが…そのつもりがあるなら、言ってみろ」

恐らくここで答えを述べなかったとしても、彼はそれを咎めたりはしないのだろう。
しかし、それは確実に自身の中に蟠りを残す。
たとえ、彼が気にしていないと言おうと。
紅は一度深く息を吸い込み、そして吐き出した。

「…政宗様は、時空漂流を信じますか?」
「時空漂流…?人が時空を超えるっつー事か?」
「はい」

短く、けれども強く答えた彼女に対し、政宗は悩むように視線を落とす。
それから、杯を傾けて口を開いた。

「まぁ、普通は信じねぇだろうな」
「…そうでしょうね。私も…そうでした。………自分の身をもって体験する事になるまでは」

自嘲気味にそう笑うと、紅は懐から布に包まれた携帯を取り出す。
常日頃から持ち歩くようにしているそれは、いつでも彼女の手元にあった。
布を暴いてそれを露にすると、光の灯る事のない画面を見下ろす。

「私が暮らしていた時代は…ここよりも、ずっと先の未来です。
一瞬のうちに情報を交換でき、町には夜でも火ではない明かりが灯る。
道行く人々は男性も女性も関係なく仕事に勤しんでいて、勉学に励む場所もありました」

指先で無機質なそれを撫で、紅は続ける。
決して、政宗の顔を見てしまわないように、視線はずっと落としたままだ。

「ある場所では飢えに喘ぐ人が居て、ある場所では贅沢な毎日を送っている。
―――この辺りは、この世界とも変わりはないのかもしれませんね」

視線を感じる。
彼は何を思い、自分を見ているのだろうか。
呆れ―――それとも、何を馬鹿なことをと言う嘲りだろうか。
自分だって、突然にこんな事を話されれば、きっと受け入れられない。

「四国のカラクリ兵器以上の機械が溢れ、あの、空に浮かぶ月の大地すらも踏みしめる事ができる」

―――そんな、時代です。

そうして紅は言葉を締め、空を仰ぐ。
見下ろしてくる月は変わらない。
けれど、その美しさは全く別のものにも思えるほどだ。

「…信じねぇ」

政宗は静かにそう言った。
その答えが返って来るのも当然。
紅は予測していたように、傷ついた表情一つなく苦笑を浮かべる。

「―――と言いたい所だが、実際にお前はここに居て、信じられないことにそれもここにある」

それ、と紅の手の中の携帯を指差しながら、彼はそう続けたのだ。

「作り話にしちゃ、色々と出来すぎてる。
それに、お前が歴史に関わるべきじゃないって言葉も、それなら納得できる話だ」
「信じて…くれるのですか?」
「何だ?信じて欲しくなかったのか?」

少し笑いを含ませた問いに、紅はとんでもないと首を振る。
やはり、話すからには少なからず信じて欲しかった。
だからこそ、こうして馬鹿にされなかった事は、自分にとっては喜ぶべきことなのだ。

「まぁ、最大の理由は―――あの刀だな」
「折れた刀が、何か?」
「あれは伊達の家宝の一つと同じだ。お前が未来から持って来たって言うなら、わからない事もない。
それに…あの鍛冶屋に聞いたからな。何でも、数百年は経ってる刀だそうじゃねぇか」

いくつかの証明すべきものがあって、結果として彼は「信じる」と言う答えにたどり着いている。
頭の回転も然る事ながら、それを受け入れるだけの懐の広さ。
それを肌で感じた紅は、漸くその表情から苦笑いを消した。

07.06.06