廻れ、

- 廻 れ 、 廻 れ 。  時 空 よ 、 廻 れ -

-- 049 --

あまり足音を立てないように、けれども極力急いで歩く。
そうして、紅は政宗の部屋までの道を歩いていた。
ここを歩いたのは数ヶ月も前の事になるのだが、あの時に頑張って覚えたお蔭か記憶は残っている。
それを頼りに進んだ結果、無事覚えのある襖を見つけることの出来た彼女は、静かに安堵の息を吐く。

「失礼します」

すでに開け放たれている襖の前で一度声を掛け、返事を聞いてから中に入る。
一歩足を踏み入れると、こちらを振り向こうとしていた政宗の姿が視界に映った。
完全に振り向く前に自身の姿が彼からも見えたのか、その表情は目に見えて変化する。
珍しくも独眼を瞬かせる彼に、紅はやっぱり来なければよかったかも…と思った。

「……………また、随分とrareな格好だな…。お前、そう言うのが趣味だったか?」
「氷景の所為です」
「…だろうな」

そう言って喉で笑うと、彼は顎を動かして座れと促す。
それに従うようにして、紅は煌びやかな着物の裾を払ってその場に腰を下ろした。
彼女がこんな格好をしているのには、もちろん訳がある。
普段から動き辛い格好を嫌う彼女は、旅の道中は機能性を重視した軽装だった。
断じて、こんな一々裾を気にしなければならないような着物ではない。
城についてからと言うもの、問答無用で風呂に放り込まれた彼女に、自分好みのそれを用意している時間はなかった。
当然ながら、放り込んだ張本人である侍女は替えを用意しておくと告げる。
裸同然に剥かれていた紅は、その言葉を信じるしかなかった。
だが、それを運んできたのは例の侍女ではなく氷景。
着るか、着ないか。
二つに一つの選択を強いられた彼女に、最早選べる道などなかったのだ。

「許してやれよ。あいつとの付き合いも随分になるが、今回みてぇな切羽詰った氷景は初めて見たぜ」
「切羽詰った…?」
「あぁ。おまけに『今すぐ動け、馬鹿野郎!』って怒鳴りつけやがった」
「怒鳴りつけたって…まさか……」

若干口元を引きつらせながら、紅がそう紡ぐ。
彼女の言葉の続きを待つ事無く、政宗はこくりと頷いた。
彼の表情はいたって楽しげであったが、それに対して彼女はどうだろう。
今にも氷景を締め上げに行きそうだ。

「まぁ、あいつが来た時にはすでに小十郎を向かわせた後だったがな」
「…本当に、申し訳ありません…」

深々と頭を下げてしまう彼女に、政宗は声を上げて笑う。
部下である氷景に怒鳴られたことを、彼は爪の先ほども怒ってはいないらしい。

「いい忍じゃねぇか、紅。あいつが声を荒らげたのは、お前のためだぜ」
「…それでも、やって良い事と悪い事があります」
「俺は随分昔にあいつに言ったんだ。主人に忠実であれってな。あいつは、それを守っただけだろ。
主人の為に、一国の領主を怒鳴りつける―――そのくらいの根性がなけりゃ、この伊達軍じゃやっていけねぇよ」

そう言いながら、彼は窓際から離れて紅の向かいへと腰を下ろす。
そんな彼を見ながら、暫し黙り込む彼女。
彼の言い分は分かる。
氷景は自分を危険に晒さないがために、内乱を止めようとしなかった―――そんな男だ。
自分のためであれば、たとえ領主であろうとも平気で楯突いてしまうのだろう。
その忠心が嬉しくもあり、同時に少し恐ろしい。
いつか、それが仇となってしまわないか…そんなことを想像して、ゾクリと背筋を冷たいものが這う。
自分が守ろうとしている政宗でさえも、その障害となると思えば手にかけるような…そんな気がした。

「忍と言うのは、難しい方々ですね…」

ポツリと呟いてから、紅は脳裏を過ぎったもう一人の忍の存在を思う。
彼も、そんな危険と紙一重の忠誠心を持ち合わせているのだろうか。

「…紅?」

どうかしたのか、と政宗の声が耳に届き、紅はハッと我に返る。
即座に首を振って何でもないのだと示し、思考を別の場所へと運んだ。

「所で、雪耶家の件ですが…」
「あぁ。さっき早馬が着いた。
今回の一件に関しては、新当主に全てを委ねるらしい。いかなる処分も甘んじて受けるそうだ」

それが家臣からの意見だ、と彼はそう言った。
彼らにも、前の当主であった秀成を止められなかった責任はある。
それを理解しているからこそ、全てを紅の判断に委ねたのだ。
罰するも、不問のままに終えるも彼女次第。

「…政宗様は如何すべきとお考えですか?」
「さぁな。お前次第だ。奥州内に位置することに変わりはないが、あくまで雪耶は伊達と同盟関係だ。
家臣の後始末にまで首を突っ込むつもりはない」
「同盟…だったのですか?」
「あぁ。話してなかったか?」

悪い、と告げる彼に紅は問題ないと首を振る。
奥州を治めているのは伊達。
しかし、あくまで雪耶は伊達と同盟を組んでいるに過ぎないらしい。
奥州の中に位置しながら、完璧に傘下に入ったわけではない―――何と言うか、色々と常識外れの家だ。

「では、今回の一件の責任を取り、雪耶は同盟を破棄します。そして、伊達の傘下に下りましょう」
「…今度は完全に下につくってわけか」
「はい」
「だが、民は納得できないぞ。あいつらは被害を被っただけだからな。特に、伊達には未だに不信感があるだろう」
「…それは…」

言葉を詰まらせ、紅は目を伏せる。
伊達の名を出した時の、あの少女の怯えた表情が脳裏に甦った。
表立って反対できる者はいないだろう。
しかし、影では領主に怯える生活を送らせることになってしまう。

「私が、説得しましょう。村人一人ひとりに頭を下げてでも―――」
「紅」

紅の言葉を遮るようにして、政宗の強い声が彼女の名を呼ぶ。
思わず姿勢を正す彼女に、彼は続ける。

「支配者は如何なる時も毅然としていろ。そして、迷うな。常に前だけを見据えて、強くあれ」
「…はい」
「頭を下げずに、納得させるんだ。お前のやり方で、民の心を掴んでみせろ」

出来ない、とは言えない。
言わせてもらえないのではない。
彼の信頼を裏切る事を、己の口が、そして脳が許さないのだ。

「承知、いたしました」
「OK!期待してるぜ。その説得が終わらせねぇ事には、国が荒れるからな」
「そうですね。戦の間に国が荒れれば…人々により苦辛を与える事になりかねません」
「あぁ。そうなれば、俺達も戦に集中できねぇ。戦前の不安は全部片付けておくぞ」

心得ておけ、と言う彼の言葉に、紅は強く頷いた。










話もある程度終わった頃、不意に紅は部屋の端に無造作に置かれた刀を目に止める。
覚えのある刀ではなかったが、それに己のものを重ねてしまって軽く瞼を伏せた。
それに気付いたのか、政宗はそちらへと視線を向けてから紅を見る。

「刀は…」
「綺麗に折れてしまいましたからね。剣に慣れなければなりません」

そう言って苦笑を浮かべた彼女の表情は弱い。
それもそうだろう。
この世界に来てからと言うもの、あの刀だけが己の命を繋ぐ大切な武器だった。
あれがなければ、己の命など当の昔に消えていたかもしれない。
だからこそ、その存在は大きかった。

「別の刀を用意させるか?」
「いいえ。折角頂いた剣もありますし…そちらを極めるのも、また一興かと」

いずれ必要になった時、また用意すればいい。
紅の言葉に、政宗は納得していないながらも引き下がった。
彼女が要らないと言うものを、無理に用意する必要はどこにもない。
この話は終わり、そう言うかのように視線を窓の方へと動かした紅。
だが、そちらに向けた視線を固定させる事なく、すぐに襖を振り向いた。
その行動に気付いた政宗が声を掛けるよりも少し早く、足音が二人の耳に届く。

「政宗様」
「おう、小十郎か。入ってこいよ」

そう声を返せば、スラリと開かれた襖から小十郎が姿を見せる。
だが、部屋の中には入ろうとせず、紅と政宗に交互に視線を向けた。

「紅殿にお目通りを求めている者が居るようです」
「私に?」
「はい。城門で待たせてありますが…如何いたしましょうか?」

そう問われ、紅はどうしようかと政宗を振り向く。
好きにしろ、そう言いたげな視線を返され、彼女は頷いた。

「お会いします」

07.05.20