廻れ、
- 廻 れ 、 廻 れ 。 時 空 よ 、 廻 れ -
-- 048 --
出来るだけ左腕を使わずに手綱を捌くのにも、随分慣れた。
彼に続いて数分間馬を走らせた紅は、よし、と決心して彼の背中を見る。
自分に気を使ってくれているのだろう。
その速度は明らかに遅い。
そんな彼の隣に並ぶのは、紅の技術と、そして虎吉の速さを以ってすれば、そう難しい事ではなかった。
「政宗様。雪耶の件ですが…」
「あん?」
「私には、城主など務まりません。雪耶の当主と言うだけでも不可能に近いかと…」
彼自身も、恐らくその話題が来る事は分かっていただろう。
あえて間をおかずに切り出した彼女に、政宗は一瞥をくれた。
それから、僅かに馬の速度を落として答える。
「当主に関しては、お前が好きにしろ。ただし…空にしておけば、また第二の秀成のような奴が湧いてくるのは否めない」
「…それほどに、雪耶の名は大きいのですか…?」
「…まぁな。お前が雪耶の姓を名乗った時には、俺も驚いた」
すぐに別の家だとわかったが…そう言って彼は言葉を濁す。
「何十年もあの掟を守り続けた家だ。…本来なら伊達にも引け劣らない実力者ばかりだった筈」
「…それならば何故、伊達の傘下に入ることを選んだのでしょうか…?」
己の力で天下を目指すことも出来た筈。
紅は解せないといった表情でそう問いかけた。
「雪耶は伊達みたいに広い領地を治めてたわけじゃねぇ。それが理由だろう。
その身一つの実力者が当主を倒す事もザラだったらしいからな」
「領地を奪い合わないから、勢力の点で劣る―――そういう事ですか」
それならば納得は出来る。
いくら当主だけが強かろうが、結局物を言うのは兵の数。
単身で乗り込もうとも、相手の大将までたどり着くことが出来なければ、意味はないのだ。
「でも…私には、とても当主など務まらないと…」
「………お前が秀成に一騎打ちを挑んだ理由は何だ」
「理由は…恐らく、政宗様の名を借りて、兵を動かした事が許せなかったからです」
自分の事なのにはっきりと断言できない。
その不甲斐無さを感じる紅に、彼は気付いていたらしい。
横目にその横顔を捉えるも、結局何も言わずに再び前に視線を戻した。
「それだけか?」
「………」
「本当に、それだけか?俺を待つことも出来ないほどにお前を動かしたもんは」
「…あの子が…助けてくださいと…そう、泣いたんです」
政宗の名を借りたことも許せなかった。
けれど、一番自分を急きたてたのは、やはり彼女の涙だったのかもしれない。
偽善者―――現代ではそう思われても仕方がないかもしれないけれど、この時代ではそれが正義だった。
守るために、その心が人を動かし、そして戦を生むのだ。
「その心を忘れるな。お前なら当主も城主も、立派に果たせる筈だ」
「…政宗様は私を買いかぶりすぎています…」
「………なら、頷きやすくしてやろうか?」
悪戯を含ませた声色でそう言われ、紅は前に向けていた視線を彼へと動かす。
そして、軽く首をかしげたところで、彼は手綱を引いた。
当然ながら躾の行き届いた馬は駆けるのをやめる。
それに倣うように、紅もまた、数メートルだけ進んで虎吉を止めた。
「俺についてきたいなら、城の一つくらい二つ返事で治めて見せろよ」
そこに、迷いや疑いなど微塵も感じられない。
あるのは、勿体無いくらいの信頼。
―――本当に、この人には敵わない。
たったこれだけの言葉で、自分の不安を一切合財全て取り除いてしまった。
悩んでいた自分が馬鹿みたいだとは思わない。
ただ、「あぁ、そうかもしれないな」と、納得してしまった。
紅は彼に向けて静かに笑みを浮かべる。
不安に揺れていた目はすでになく、次に紡がれる言葉が分かるような表情。
「頷き易くなっただろ?」
「…ええ、これ以上ないほどに」
紅の答えに満足したのか、彼は「そうか」と笑い、再び馬を走らせた。
城を治めるのか、治めないのか。
彼はその返事を聞くつもりはないようだ。
しかし、紅の決断は、彼自身に伝わっているのだろう。
青い外套に包まれたその背中を見ながら、紅は小さく呟く。
「ありがとう…ございます」
蹄の音に掻き消されたその声が届く事はない。
けれど、不思議な満足感が内側から染み込んで来るようだった。
小十郎と合流した二人は、すぐに米沢城へと出発する。
途中で白凪城に立ち寄ってことの成り行きを伝える、と言う案もあった。
しかし、城に寄るにはその場所からでは山を一つ越えなければならず、断念。
その役を氷景に任せ、彼らは米沢城へと急ぐ。
途中小休憩を挟み、城に着いたのはそれから3日後のことだった。
お疲れになりましたでしょう、と半ば強引に風呂へと放り込まれた紅。
旅の汚れを洗い落としたかった彼女からすればありがたいではあったが―――実に、強引だった。
今後について政宗と話しているところに現れた侍女の彼女は、話も早々に紅を引っぱっていってしまったのだ。
頑張れよ、とでも言いたげであった彼の視線を忘れまい。
「まぁ、煙たがられるよりは嬉しいけどね…」
歓迎されている、と言う事はきっと喜ぶべきことなのだろう。
その強引さは自分を考えてのことと…思いたい。
パシャン、腕を上げた拍子に湯が跳ねる。
そんな音を聞いていると、自然と心も和むような気がした。
この独特の湯気や素肌を包み込む温度と感触は、緊張を解してくれる。
「温泉行きたいなー…」
ポツリと呟く。
現代のように密閉された空間ではない為に、その声が異様に響くという事はない。
彼女がそう呟いたのは、実家の近くに露天風呂つきの温泉があったからだ。
週末の家の手伝いの後は、疲れを癒すためによく通ったものだ。
決まって悠希が一緒で、二人で露天風呂から夜空を見上げた思い出も、今となっては懐かしい。
「やっぱり駄目かな。一人で温泉なんか入ったら―――」
泣いてしまうかもしれない。
飲み込んだその言葉は声に出さない。
出してしまえば、それが現実味を帯びてくるような気がした。
旅先で彼女の事を思い出すことなど本当に少なかったのに、何故かこの城は違う。
心が安心してしまうんだろうか…紅は湿気の所為で少し色の濃くなった天井を見上げながら思った。
「紅様。お召し物をこちらにご用意させていただきましたので…」
女性の声が聞こえて、紅は天井からそちらへと視線を動かす。
パシャンと水が跳ねる音を聞きながら、彼女はふっとその口角を持ち上げた。
「ありがとう―――氷景」
「…気付いてたのか」
女性の声色が一変。
聞き覚えのある氷景のそれへと変化する。
何か小道具を使っているのか、彼自身の喉がそうなっているのか。
仕組みは分からないけれど、先ほどの女性の声は彼が発したものだった。
「残念ながら、一度覚えた気配はそうそう忘れないわよ。それより…思ったより早かったわね」
「まぁな。凍雲に掛かればこんなもんだ」
「そう。早速で悪いけれど、報告してくれる?」
「別に構わないが…ここでか?」
若干驚いた風な声色に変わり、紅はクスリと笑った。
確かに風呂で報告をさせるなど、どこか間違っているだろう。
ましてや相手は異性で、風呂場からは遠ざけておくべき存在の筈。
「何なら入ってくる?」
「冗談はやめてくれ。―――…俺が斬られる。」
「何?最後の方が聞こえなかったんだけど…」
「気にするな。それより、報告するぞ」
声が小さかったから聞き取れなかった部分を再度尋ねるが、彼は言いたくないらしい。
それならば敢えて問うまい、紅はやや焦った様子の彼に「手短にお願い」と答えた。
あまり長いと逆上せてしまいそうだ。
「雪耶家の家臣は、いつもの事だとあまり狼狽した様子はなかったな。だが…初の女当主って事は驚いてた」
「…まぁ、そうでしょうね」
「城の方は暫く家臣が何とかしてくれるらしい。だが、出来るだけ早く顔合わせをしたいとさ」
「わかったわ。城に連れて行かれた村人達はどうしていた?」
「家臣らがすぐに解放した。一人も死んでない」
「…それがせめてもの救いね」
「それから―――」
氷景の報告は、それから数分間続いた。
07.05.17