廻れ、
- 廻 れ 、 廻 れ 。 時 空 よ 、 廻 れ -
-- 047 --
心臓がおかしくなってしまいそうなほどの緊張の時間を乗り越え、紅は漸く馬を降りることを許された。
村に着き、腕の力が緩んだとほぼ同時に馬から降りて距離を取る彼女に、政宗は苦く微笑む。
「そんなに気に入らなかったか?」
「そういう問題ではありません。………どうか、お気になさらず」
そうは言われても、飼い主の元を離した猫のように警戒されれば気にせずにはいられないだろう。
尤も、彼の場合は紅の心中を理解した上でこうして声を掛けているように思えてならないのだが。
この話は終わり、そう言うかのように、彼女は少女を乗せた虎吉の元まで歩いていく。
そして、彼の手綱を取ると少女に手を差し出した。
乗馬の経験など、生まれて二度目なのだろう。
彼女は馬の高さに瞼を震わせてから、おずおずと紅の掌に自身のそれを重ねた。
そこで、紅は軽く身体を動かしたからか、思った以上に虎吉が興奮していることに気付く。
振り落とすような素振りを見せているわけではないが…このまま馬上を降りるのは骨が折れるかもしれない。
暫し悩んでから、紅は少女の手を引いてその腰を取った。
驚きに表情を染めて言葉も出ない彼女を他所に、その細すぎる身体を簡単に抱き上げて地面へと下す。
「馬に乗るのは慣れないと腰が痛いでしょう?」
「は、はい…」
「そのまま癖にしてしまわない様に気をつけるのよ」
そう言って彼女の頭をポンポンと撫でると、背中を押して自身の家に帰るようにと促す。
何か言いたそうに振り向く彼女だが、やがて足早に民家の一つへと戻っていった。
「もう痺れの方は完全に抜けたみたいだな」
「ええ、お蔭様で」
何も問題ありません。
と答える彼女に、政宗は満足げに頷く。
その言葉の中に「帰りは自分で馬を駆ります」と言う想いが篭っている事に、恐らくは気付いているだろう。
二人に気付いた伊達の兵が近づいてくるのが見え、彼らはそのまま立ち去ろうとしていた予定を変える。
「紅様!!よくご無事で!!」
「俺ら、心配してたんスよ!紅様に何かあったらどうしようかって…!」
「馬鹿野郎!怪我してるのに無事じゃねぇだろうが!」
そんな声と共に、一斉に周りを囲んでしまう数の兵が集まる。
その様子に政宗は軽く口笛を鳴らし、紅は苦笑いを零した。
「心配かけてごめんなさい。怪我はあるけど…ちゃんと、無事だから」
身形は不良なのに、彼らの心根は優しい。
すでにそれを理解しているのか、彼女は戸惑いもなく彼らに微笑みかけていた。
「氷景から筆頭が向かったって聞いて、一応安心してたんだが…」
「やっぱ、ちゃんと姿を見た方が安心できるな」
「氷景が?」
思わずそう尋ねた彼女の視界の端に、ザッと黒い影が降り立つ。
覚えのある気配に彼女は静かに目を細めた。
「氷景…」
小さく呟いた彼女の姿を捉え、氷景は軽く眉を寄せる。
その肩やら左掌に巻かれた包帯の存在に気付いたからだろう。
「この村を張っていた雪耶の私兵も、全員降伏した。すでに城に向かう片倉の隊と合流に向かってる」
「あぁ。ご苦労だったな」
氷景の報告に対して、政宗が静かに頷く。
それを見届けると、彼は改めて紅の前に膝を付いた。
「申し訳ありません。己の愚かな判断により、主人に怪我を負わせた。どんな処罰も覚悟しています」
深く頭を下げた彼に、その場を沈黙が包む。
それを裂いたのは他でもない紅自身だ。
彼女は一歩だけ前に進み出ると、氷景の前にしゃがみ込んで目線の高さを合わせる。
「私も、ごめんなさい。あなたの言った通り…彼は実力者だった。
勝負には勝ったけれど………政宗様が居てくださらなかったら、今頃死んでいたわ」
彼が自分を死なせないために止めたのだとすれば、それは正しかったのだ。
彼が頭を下げてくれるならば、自分もそれを謝罪せねばならない。
言葉の後に頭を垂れた彼女に、氷景だけではなく周囲の兵までが驚きに表情を染めた。
そんな中でただ一人、政宗だけが笑みを浮かべて彼女を見下ろしている。
「いいじゃねぇか。紅は生きてるし、秀成は雪耶当主の座を失った。お互いに頭を下げて、これで円満解決…そうだろ?」
その言葉に紅が微笑んで「はい」と返事をすれば、金縛りにあったかのように固まっていた氷景も我に返る。
彼女が自分を罰するとは思わなかったが、自分の忍としての忠心が何事もなく済ませることを拒んでいた。
何かしらの形で罰を受けるつもりで居た彼だけれど、本人が満足してしまったのではどうしようもなさそうだ。
あの時声を荒らげたその名残も何もなく、彼女は自分の視線に気付いて笑みを向けた。
「さて。話も済んだ事だし…氷景、先に小十郎さんに合流してくれない?手負いとは言え、やはり心配だから…」
「承知」
「…頼んだわ」
ふと垣間見せた真剣な眼差しに、氷景は強く頷いた。
それからふと政宗を一瞥して、結局何も言わずにその場から姿を消す。
無言のアイコンタクトが何を意味していたのかは、本人達しか知らないことだ。
騒ぎを聞きつけたのだろう。
徐々に村人も遠巻きにだが集まってきた。
そんな彼らを一瞥し、政宗は一歩進み出て口を開く。
「おめーら!この近辺は暫く荒れるかもしれねぇ。村人を守ってやれ!」
すぐさま彼らの元気な返事が返ってきて、彼は笑みを浮かべた。
「それから、雪耶の城…白凪城の城主は暫く留守にするからな。守りを固めとけ」
「ご当主様は…」
村人の一人から、そんな声が上がる。
奥州と言う国の中の一つの村。
しかし、細かく分ければここは雪耶の領地であり彼らは雪耶に仕えていることになる。
これから自分達は誰に仕える事になるのか…それを案じたのだろう。
城主によっては、同じ過ちが繰り返されないとも限らないのだ。
「一騎打ちに勝ったのはこいつだ。慣わしに従い、こいつが雪耶の当主になる」
「!?」
恐らく初耳だったのだろう。
驚いた表情で自分の方を振り向いた彼女に、政宗は無言を促す。
ここで彼女が否定の声を上げれば、村人が戸惑うだけだ。
それを理解したのか、彼女は静かに口を噤んだ。
「だが、こいつにはまだ覚える事が山ほどある。暫くは伊達の連中を遣わせる事になるだろう」
伊達の、と聞いて村人の中に僅かな怯えが浮かぶ。
それに気付いた紅は、躊躇いなく口を開いた。
「城主が居なくても、伊達軍が村を守ってくれます。安心して、日々の生活を送ってください」
そう言って、紅は政宗の反応を見た。
その視線に気付いた彼は一度頷くと、それ以上は何もないのか、馬の方へと足を向ける。
ザッと両側に分かれる兵士の間を通り、二人は己の馬の手綱を取った。
「何かあればすぐに米沢城へ早馬を寄越せ」
「了解しました!」
近くに居た伊達兵にそう告げると、彼は軽やかに馬の背に跨る。
そしてたじろいだ馬を操り、紅を振り向いた。
「彼らをよろしくお願いします」
「分かってます!紅様はしっかり傷を癒してください」
「ありがとう」
虎吉の背からそう答えると、紅は政宗の方を向いた。
動かすと肩がずきりと痛むけれど、馬を操るにはあまり問題はなさそうだ。
たとえあったとしても、彼女はそれを口にしたりはしないだろう。
「行くぞ」
「はい」
紅の返事を聞いて、政宗が馬の腹を蹴ろうとしたまさにその時だ。
ザッと地を踏みしめる音と共に、少女の声が響く。
「紅様!お帰りをお待ちしています!!」
その声に驚いたように振り向き、覚えのある彼女の姿を視界に捉える。
肩で息をしているあたり、きっと慌てて来てくれたのだろうと思う。
「元気でね」
彼女に向けてそう告げると、紅はそれ以上振り向く事はなかった。
やがて彼女の心境を悟った彼が馬を走らせ、紅もまたそれに続く。
無数の目に見送られ、彼らの姿はやがて見えなくなった。
07.05.13