廻れ、

- 廻 れ 、 廻 れ 。  時 空 よ 、 廻 れ -

-- 045 --

ピキ、と嫌な音が耳に届いた。
気をつけていなければ聞き逃してしまいそうな、小さな小さな音。
しかし、何故か幻聴と思えないその音に、紅の意識は1割ほど奪われていた。
そうして、僅かに集中力を欠いたことを見逃すほど、秀成は未熟者ではない。
一旦距離を取るべく引いていた足を一歩踏み出し、深い一撃を彼女へと向ける。
刀を突き出したばかりだった紅は、咄嗟に関節剣を鞘から半分ほど抜き取ってそれを弾く。
利き腕ではない左で受け止めた所為か、派手に手が痺れた。
それ以上の衝撃を与えられれば、剣を取り落としてしまいかねない。
そう考えたわけではないけれど、紅はすぐに刀を手の中でまわして逆手に持ち直す。
そして関節剣と己の刀を交えている彼の背中目掛けて引き寄せた。
だが、俊敏な動きに避けられ、彼の裾を落とすだけにとどまる。
その代わり、距離を取らせる事には成功した。
ゆっくりと呼吸をする暇もない攻防。
付いていけないわけではないが―――長引けば危険だという事を、彼女は自身の肌で感じていた。

ピキ―――また、音がした。
探るように視線を落とした彼女は、その原因を悟る。
軽く目を細めてから、ゆっくりと視線を上げて彼の動きを見た。
視界に移ったのは未だ距離を置いて対峙する彼ではなく、すでに目前まで迫った刀。
白銀のそれに自身が映るのを見て、彼女は意を決して刀と剣を交差させて防御の姿勢をとる。
金属同士のぶつかり合う音と共に、バキッと嫌な音が耳に届いた。

「次からは一騎打ちに挑む前に、刀の強度を確かめておくことだな」

あざ笑うようにそう言うと、彼は至近距離から刀を薙いだ。
何とか関節剣で防ぐも、彼女の身体はそれごと後方へと吹き飛ばされる。
途中で身体を反転させて何とか地面に足を付く事に成功した彼女は、右手にある刀を見下ろした。
そこに、あの美しい刀身はない。
鍔から10センチに満たない所から、完全に折れてしまっていた。
刀としては使えなくなったそれを見下ろし、彼女は信濃の鍛冶屋の言葉を思い出す。

『これはまた…随分と年季の入った刀じゃの』

この刀が何百年も経っている物だと気付いた彼。
あの時点で、恐らく彼は気付いていただろう。
この刀がそう遠くない未来に、使い物にならなくなると言う事を。
あえて告げなかったのは紅の為だったのか、ただ単に寿命と思っていたからなのか。
今となってはそれを確かめる術はない。
だが、分かっていたからこの関節剣を紅に渡した―――それだけは、確かだった。














右手に握っていた柄を地面へと落とす。
半ば投げるようにして落とした所為か、それはザクッと音を立てて地面へと突き刺さった。
それを見下ろし、彼女は関節剣を右手に持ち替える。

「引く気はない…か」
「ええ。見逃してもらえるとも思いませんし」

背中を向けた瞬間に斬られるのは御免だ。
その想いが伝わったのか、秀成はクッと口角を持ち上げた。
紅はそんな彼を見て、僅かに目を細める。
そして、一瞬剣を引いてから前へと突き出した。
真っ直ぐに向かってくるそれを見て、彼が脇へと飛ぶ。
追撃するように伸びた剣を追って地面を蹴り、腰を屈めて走りながら伸びたそれを横に薙いだ。
伸びきっていたそれがしなやかに弧を描いて秀成の腹を狙う。
咄嗟にその身を引かなければ、臍の辺りから胴と腰が分かれていただろう。
それを現すかのように、彼の向こうにあった木が半ばで切り落とされる。
ズン、と低い音を聞きながら、紅は剣を引いた。

「妙な武器だな、それは」

自身の背後で木が倒れ、その砂塵が己にかかろうとも、彼は余裕の笑みを絶やさない。
負けるはずがない、そんな自信が、まだ彼の中にあるようだった。

「だが―――」

言葉を遮るようにして紅はもう一度剣を前へと突き出す。
空を切って伸びてくるそれを見て、彼はその口角を持ち上げた。
最小限の動きでそれを避けると同時に、伸びきったそれの脇を駆ける。
瞬く間に彼女の前に近づいた彼は、勝ち誇った声でこう呟いた。

「伸びている間は懐が隙だらけな武器だ」

眼前に現れた白銀の刀身。
次の瞬間、地面の上に赤い血が舞った。
















「ガハッ!!」

口元から吐き出された赤が、地面の上に点々と広がった赤の領域を更に広げる。
そうして何度か咳き込んだ後、その人物は膝を着く。

「貴…様…っ」

カシャン、カシャン。
軽く腕を引いた彼女の手元に伸びていた剣が戻ってくる。
冷めた目で見下ろす彼女には、血を吐かねばならないような怪我はなかった。
代わりにその目の前で膝を着いているのは彼、秀成の方だ。
彼の腹部は赤く染まり、そこに白銀の刀が突き立てられている。
それは、紅の刀の折れた刀身だった。

「負ける筈がない。その自信が油断に繋がると確信していました」

自分が彼に勝てるとすれば、恐らくはその油断を付いた時だけ。
分かっていたからこそ、紅は彼が実力の差を感じるように動き続けた。
確かに、実力の差はあった。
だが、それは決して埋めることのできない差ではなかったのだ。
それに気づかなかった事が、彼の過ちだといえる。


刃を直接握った所為だろう。
彼女の左手から、ポタポタと赤い雫が落ち、地面を染める。

「初めから…そのつもりで刀を…!?」
「…刀が折れたのは偶然。ただ、折れると分かった時点でこの方法を浮かべたのは事実ですが」

刀が折れてからの初撃。
紅が関節剣を突き出し、真っ直ぐに彼を狙った。
あれには、この剣は伸ばすことによりその間合いを広げる事が特性だと思わせる意味があった。
だが、それだけではなく…追撃の途中で、折れた刀身を拾う為でもあったのだ。

「この場で命を取るつもりはない。あなたの命は政宗様にお任せします」
「………悪いが、政宗公に会うつもりはねぇな」

首に剣を添えられたまま、彼はちらりと横に目を動かしてそう笑った。
不意に、紅は彼のその視線の先が気になる。
理由は分からないが、彼の目は目の前の自分ではなく、その後ろに向けられているような気がしたのだ。




「紅様…っ!」

振り向くまでもなく、その意味を悟った。
覚えのある声が名前を呼ぶ。
近づいてくる足音。
振り向こうとした彼女は、その視界の端で秀成が動くのを見とめた。
彼は持っていた刀を逆手に持ち替え、柄の先を紅ではなくその後ろへと向ける。
すでに開かれていたそこに、鏃の存在を捉えた。

「せめて…あの女には死んでもらおう」

勝ち誇ったように、彼はそう言った。
自分ではなく後ろから駆け寄ってくる人物に向けられるそれ。
動く事に、迷いも戸惑いもなかった。

「…っ!」

柄の長さにあわせて短くされた矢が、紅の左肩に突き刺さる。
そこに燃えるような痛みを感じ、思わず唇を噛んだ。
態勢を整える事もできずに地面へと転がれば、その矢はより深く肉を裂く。
鏃が完全に埋まり、そこから鮮血があふれ出した。

「お人好しのお前なら、必ずそうすると思った」

やや息を乱している辺り、彼自身も腹の傷の痛みを堪えているのだろう。
命の危険があるほどではないにせよ、それなりに深く刺した傷なのだから、当然だ。
立ち上がった彼を見て、紅は軽く舌を打ちながら身体を起こそうと腕を地面に立てる。
だが、そこで肘が力を失ったように折れ、肩から地面に戻る事となった。

「…な、に…?」
「鏃に…即効性の、痺れ薬が仕込んである」

そう答えると同時に、彼は己の刀を正規の向きに持ち直す。
そして、上体を起こす事すら間々ならない紅の胸倉を掴み、その身体を起こした。
細く白い首元へと己の刀を突きつけ、不敵に笑う。

「甘さが仇になったな?伊達の戦姫もこれで終わりだ。当主の座は返してもらう」
「…それは…どう、でしょうね…っ」

辛うじて動く反対側の手を使って、彼の腹に突き立てられたままの刃を握る。
それにぐっと力を込めれば、彼は忌々しげにその表情を歪めて紅の胸倉を掴む手を動かした。
まるで荷物でも放り投げるようにその身体を脇にあった木の幹へと投げつける。
背中から強かに打ちつけられた彼女は、肺を圧迫されて苦しげに咳き込んだ。
愉快さが消え、その目に怒りだけが浮かべられると、彼の刀が迷う事無く紅を目指して進んでくる。
頭でも打ち付けたのか、意識が霞む。

これまでか―――そう覚悟した彼女の揺れる視界の中を、青い稲妻が駆け抜けた。

07.05.05