廻れ、
- 廻 れ 、 廻 れ 。 時 空 よ 、 廻 れ -
-- 044 --
小十郎と別れた紅は、無言のままに虎吉を走らせた。
村人から聞いた通り、進んだ先に開けた場所がある。
この道を通る者が馬の調整にでも利用しているのだろうか。
円状の広場の外側の土が蹄によって踏み固められているのが見える。
紅はそこ全体を見回してから、軽やかに虎吉の背を降りた。
邪魔になるもの、あるいは役に立つもの。
周囲をくまなく見回した彼女は、やがて自分が来た道が続く方へと視線を向ける。
気配を感じ取る前に、聴覚がそれを感じ取った。
虎吉もそれを感じたのか、足元の若草を毟るのをやめて顔を上げ、耳を前後ろへと動かす。
いつ見ても、馬の耳が動く様子は実に面白い。
だが、それに気をとられる余裕はなかった。
徐々に大きくなってくる蹄の音に相対する覚悟を決める。
スッと瞼を伏せ、次に開いた時には彼女の目に迷いや不安は消えていた。
先頭の馬が見えたところで、紅は音もなく関節剣を抜く。
少し勢いをつけて振り下ろせば、節となる部分がそれぞれ分かれ、とぐろを巻くようにして紅の足元に落ちた。
見下ろすでもなく前だけを見据えた彼女は、蹄を鳴らす馬5頭をその視界に捉える。
そして、先頭のそれが一際派手に飾られているのを見て、そっと目を細めた。
その馬に跨る人物の目が紅を捉える。
「そこを退け!!」
逆らう事など許さぬ、と言いたげな声色が紅へと向けられる。
それに怯む事もなく、彼女は平然と構え、ただ馬の足だけを見ている。
6・5・4…心の中でそうカウントダウンした。
そして、その数字が0になった所で、だらりと垂らしていた右腕を勢いよく後ろに引く。
カシャン、カシャン、と剣の姿を取り戻したそれに落ち着かせる暇を与えず、前へと突き出した。
真っ直ぐに目標に向かって伸びていく様は、白い蛇を思わせる。
男達は向かってくるそれに怯んだ。
だが、急には馬は止まらない。
先頭の男が半ば自棄になるが、向かってきていたそれは己どころか馬すらも掠める事無く脇を通り抜ける。
失敗か?と思ったところで、うわぁ!と焦るような声と何かが倒れるような派手な地響きが背後から聞こえた。
即座に手綱を引いて馬を止まらせ、自身の後ろを振り向いた彼は思わず間抜けに口を開く。
先ほどまで進んできた道が、なくなっていた。
いや、正確に言うならば、立派な大木によって完全に塞がれていたのだ。
唖然とする男の視界の端を、先ほど伸びていった白い何かが同じくらいの速度で元来た道を帰っていく。
カシャン、と響いた金属音につられるように、男は振り向いた。
「伊達軍、雪耶秀成殿とお見受けします」
「いかにも。して、女。何故に私の進路を塞ぐ?」
「貴殿に一騎打ちを申し込みたく、この場にてお待ちしておりました」
キンッと剣を鞘に戻し、代わりに刀の柄に手をかける。
まだ抜刀はしない。
初めから、紅に不必要な会話を繋ぐ意思などない。
そして、それは彼女の纏う空気により、彼…秀成にも伝わった。
彼は彼女の言葉に目を細めると、己もその腰に挿す刀に手をかける。
「女、名を名乗れ」
「………雪耶、紅と申します」
「ほぉ…雪耶の分家の者か?」
その問いに紅は答えなかった。
それに気を悪くした様子はなく、彼はスラリと刀を抜く。
今まで紅がこの世界で対峙した刀を扱う武人といえば政宗と小十郎のみ。
野盗は…ろくでもない者ばかりだったから、数に入れないでおこう。
彼らの刀よりも遥かに刀身が長い。
随分と間合いに差が出そうだ、紅は抜き身の刀を見て、そう思った。
よく見てみれば、柄の部分も普通のものより太めに作られているようだ。
握力が弱いのだろうか?そう考えた所で、彼の姿がそこから消えた。
否、消えたのではなく、接近してきたのだ。
真正面からの初撃は力で押されることが多い。
片足を僅かに後ろに引いて姿勢を下げ、正面で光った刀を己のそれで受け止める。
ギィンと耳障りな衝突音がその場を揺らした。
「…よく止めた。この雪耶秀成に挑むだけの事はある」
感心した声が振ってくる。
遠目には見えなかった刀傷が彼の左目の上を走っていることが分かった。
恐らく、この目は世界を映していないだろう。
更に、先ほどまでは離れていたから気付いていなかったが、この男、中々背が高い。
慶次よりも頭一つ分は大きいのではないだろうか。
その割に彼よりも体つきがスラリとしている所為で、どこか細身でひ弱な印象も与えられる。
だが、それは大きな間違いだった。
「(馬鹿力…)」
思わず心中で舌を打ちたくなった。
初撃の重さ、それが力の強さを物語っている。
しかも、この攻撃を見る限り握力が弱いわけではなさそうだ。
身近で見れば柄の太さの違いは歴然で、それが何を示すのかを理解しかねる。
鍔迫り合いを続けるには、相手と同等の力が必要になる。
無論、女の身である紅がそれに相当する力を持ち合わせている筈もなく、長引けば不利だ。
あえてその力比べに持ち込んできている時点で、この男に女性を労わる考えがないことは明らか。
紅は己の刀の角度を変えて刀身同士を滑らせ、力の拮抗が失われた所で地面を蹴って後方へと飛ぶ。
追撃を抜き取っていた関節剣で防ぎつつ、一息つくことの出来る距離まで下がった。
「…そう言えば…一騎打ちを挑む理由を聞いていなかったな…。お前も、当主の座を欲した口か?」
逃がしたことに対して特に感情はないらしい。
トントンと己の刀の峰で肩を叩くその余裕さも、負けるはずが無いと言う自信の表れに見えた。
「…伊達軍に偽りの命令を伝え、近隣の町村を占拠。どちらも覚えがあるでしょう?」
「あぁ、ある。しかも最近だな、それは」
「政宗様の邪魔はさせません。刺し違えても…ここで止めます」
「…刺し違えても…か。…出来るか?お前に」
先の一撃で、彼は紅との実力の差を理解したのだろう。
それは彼女にも言えることだった。
埋まらない実力差は、努力でどうにかなるものではない。
掌に残る軽い痺れがそれを物語っていた。
だが―――
「時間を稼ぐ事くらいは、出来ます」
少なくとも次の一撃でやられるほど酷いわけではなさそうだ。
ならば、せめて政宗が…いや、小十郎が戻るまでの時間を繋ぐ事が出来れば…。
彼らが出れば、この内乱紛いの一件もすぐ片は付く。
紅がここで秀成と対峙する意味など、本当はどこにもないのかもしれない。
それでも、たとえこれが自己満足であろうと…。
「私には…政宗様の名を使った行動が………何より、あの子を泣かせた事が許せない…っ」
涙を流して、肩を震わせて―――助けてと言うあの叫びが耳から離れない。
まだ村人に被害は出ていなかったけれど、城に連れられた彼らの安否は不明のままだ。
勝手に彼の名を使って兵を動かした事ももちろん許し難い事。
しかし、こればかりは真実を見極める事のできなかった兵たちの責任も無視は出来ない問題だ。
「……今までの戦では見なかった顔だが…まぁ、随分と忠実な女を飼ったもんだな、政宗公も」
どこか小馬鹿にしたような物言いに、紅は軽く眉を寄せる。
と言ってもその表情はすでに険しく、これ以上変化させる事は難しそうだ。
「当主の座を狙いにきたと思ったんだが…人のためとは…予想以上甘い」
「当主の座なんて……。さっきから一体何を…」
「何だ、雪耶の当主相続の掟を知っていたわけではないのか」
「当主相続の…掟?」
疑問符を浮かべる彼女に、彼は肩を竦めて次のように説明した。
この時代で言う雪耶家には、当主交代には二通りあるらしい。
一つ目は当主が生前に選んだ後継者が跡目を継ぐ事。
そして、もう一つ。
「後継者を選ばないうちに当主が討たれた場合、討った者が次の当主となる」
「…そんな…馬鹿な話が…」
「まぁ、一般的に考えれば馬鹿げてはいるが…私のように、力があり手っ取り早く家柄を望む者にはこれ以上ない掟だ」
「まさか、あなたは雪耶家とは全く無縁の人間なの…?」
「一滴たりとも血縁はない」
本来ならばこの時代といえば、続いてきた血筋を重んじる。
それなのに、雪耶家は血筋よりも強さを選んだというのか。
信じられない、とばかりに紅は首を振った。
「私はまだ誰も後継者を選んでいない。つまり、仮にお前が私を討てば…お前が、雪耶本家の当主となる」
「それを望んできたわけではありません」
「その様だな。私も左目を代価に得た当主の座をそう易々と譲るつもりはない」
話はここで終わり。
そう告げるかのように、彼は肩から刀を外し、正面に構えた。
獣のような鋭さではなく、その目が映すのは己の欲に塗れた醜さ。
紅がそれに対して表情を歪めると同時に、彼の姿が視界から消えた。
07.05.03