廻れ、
- 廻 れ 、 廻 れ 。 時 空 よ 、 廻 れ -
-- 043 --
夜も明けぬうちに目を開く紅。
寝たと言えるのは2時間ほどだ。
その睡眠もやはり浅く、結果としては身体を休めた程度。
しかし、紅にはそれで十分だった。
傍らで寝息を立てている少女の母親を見下ろし、小さく溜め息を吐き出す。
痩せた身体は細すぎて、割れた爪が日頃の苦労を見せている。
「ごめんね…」
小さく呟くと、借りた布団を畳んで静かに家を後にした。
外に出てみれば、朝の寒さが肌を刺す。
空気を吸い込めば肺が寒さに震えるのがわかった。
まだ寝静まっている村を一瞥すると、家の裏に回って虎吉の元へと歩く。
足音で気付いていたのだろう、嬉しそうに尾を揺らす彼に、紅はその頬を撫でて微笑んだ。
「行こうか」
小さく声を掛けて、木に結び付けていた手綱を解く。
寝苦しいだろうからと外していた鞍などを手早く装着して、彼の背に跨った。
朝早いということを理解しているのだろうか。
鳴き声一つ上げる事無く、虎吉は一度だけ蹄を鳴らす。
よく出来た馬だな、と目を細めた。
城主がこの村に来るまでは、まだ時間がある。
だが、元々紅はこの村で彼を待つつもりはなかった。
これ以上この村の中で面倒ごとは起こしたくはないのだ。
だからこそ、城からの一本道だという立地条件を生かして、道中で待つつもりだ。
それならば、村に迷惑はかけない…筈。
吐き出した息はまだ白い。
軽く慣らす様に虎吉を走らせながら、紅は外套の下に巻いた薄布に口元を埋める。
このあたりの寒さは身に応えるから、と例の少女の母親がくれたものだ。
酷く上等な布は粗末なあの家には不釣合い。
それが顔に出てしまったのだろうか、彼女は「親戚の行商から貰ったのだ」と教えてくれた。
勿体無くて使うに使えず、今までとっておいたらしい。
そんな大事なものを貰えないと断ったが、結局は押し流されて受け取ってしまった。
この時代に来てからというもの、ことごとく女性に流されている。
自分は意志が弱いのだろうか…と思ってしまう。
彼女に根付く「女性は守るべき対象」であるという考えが、最後まで拒めないようにしているだけなのだが。
奥州の寒さを侮っていたかもしれない…今更ながらに、この飾り布の存在に感謝した。
不意に、青毛に包まれた虎吉の耳がピクリと動く。
何か、かすかな音を捉えたらしい。
こう言う感覚は動物の方が鋭いというが、その通りのようだ。
「…」
彼に釣られるように周囲に意識を向けて、そして気付く。
――人の気配がある。
複数ではない。
しかし、その鋭さからして、相当の腕の持ち主だということがわかる。
気配の消し方だけでも十分だ。
いくら紅がその道に秀でていようと、注意していなければ気付かなかっただろう。
褒めるようにそっと虎吉の鬣を撫で、彼女は視線を上げた。
覚えのある気配の人物と対峙する為に。
ゆっくりではあるけれど、走らせていた虎吉を止める。
数回蹄を鳴らす彼を宥め、紅はその背から飛び降りた。
「出てきてください」
静かに、でも聞こえない筈のない音量でそう言った。
しかし、返って来るのは静寂ばかりで、その者は動こうとはしない。
小さく息を吐き出し、紅は関節剣の柄に手をかけ、ゆっくりとそれを抜き取る。
そして、一瞬考えるようにその白銀の刀身を見下ろした後、勢いよく前方へと突き出した。
真っ直ぐに林の方へと向かったそれは、木々の間を抜けて何メートルか進み、タンッと一本の幹へと突き刺さる。
それを避けるようにして動いた影が、林の中から飛び出した。
元々当てるつもりはなかったのだから、恐らく動かなくても問題はなかっただろうけれど。
「お久しぶりです、小十郎さん。こんな所でお会いする事になるとは思いませんでした」
こんな所で、と言う言葉には、政宗の居ない所でと言う意味も込められている。
それを悟ったのか、彼、小十郎は僅かに口角を持ち上げ、そして低く笑った。
「やはり気付いておられましたか」
「ええ。一度覚えた気配をそうそう忘れたりはしませんよ。それより…口調を変えた方がいいですか、小十郎様?」
クスリと笑いながら、紅はそう問いかける。
まだ約束の期限ではないとは言え、彼女は伊達軍に入る身だ。
現代に置き換えてみれば、新入社員と言ったところ。
そして、小十郎は重役…そのあたりが妥当だろうか。
つまり、彼女にとって彼は上司に当たる。
丁寧語を使う必要はないのだ、と言う思いを込めて、その敬称を変えてみた。
「…やめてくれ。今更“様”なんざ、痒くなる」
「そう言ってくださると助かります。今まで通り、小十郎さんと呼ぶ方が…しっくりきますね」
そう言って穏やかに微笑んだ後、彼女はふと真面目な表情を浮かべる。
その真剣さに、小十郎が纏う空気も同様のものに変化した。
「あなたがここに居るのは…雪耶の一件ですか」
疑問にする必要など、どこにもない。
しかし、解せないのは何故彼が単独で行動して、主人である政宗がこの場に居ないのか、だ。
その想いが伝わったのだろう。
彼は僅かに眉間に皺を寄せてから答えを発した。
「政宗様は他の家臣を説得してから参られる」
「…政宗様ならば、家臣の反対など押し切ってしまいそうですけれど…」
珍しいですね、と声には出さずに心の中で付け足す。
彼が行くといえば、家臣の反対など紙で出来た砦のようなものだろう。
彼女の呟きにも似た言葉に、小十郎は目を細めて政宗の言葉を思い出していた。
「紅を止めるなよ」
「…良いのですか?雪耶は、過去この小十郎に一太刀を浴びせた男。生半にはいきません」
「そう言った所で止まる奴でもねぇだろ。それに…頭の固い家臣を黙らせるには、目に見える成果が要る」
「そこまでして彼女を伊達軍に引き入れる理由が、私には理解しかねます」
「…お前にも、いずれわかるだろうよ」
「もし村が未だ雪耶に占拠された状況であっても、手を出すなと仰るのですか?」
「………まぁ、まずありえねぇと思うがな。紅がまだ着いてないなら、とりあえず怪我人だけは出さないようにしろ」
「…政宗様」
「あん?」
「紅殿を殺すおつもりか」
「―――…あいつは…」
「小十郎さん…?」
紅の声に、小十郎はハッと我に返った。
意識をどこかに飛ばしてしまっていたからだろうか。
どこか案じるような視線で見上げられ、彼は苦笑する。
「何でもない。それより、どこで雪耶を待つつもりだ?」
「…もう少し進んだ先に、開けた場所があると聞きました。
一本道ですから、他の道を通ってくるという事もありませんし…そこで、押さえます」
いつの間に戻していたのか、紅の手には縮めた関節剣があった。
面白い武器だ、とそれに意識の一部を向けつつ、彼は紅の示した道の先を見る。
このあたりの地理にはあまり詳しくはないのだが…断言している以上、間違いはないのだろう。
そうしている間にも、彼女の心は急いていたらしい。
ひらりと虎吉の背に跨ると、その場に佇んだままの小十郎を見下ろした。
一連の動作には全く淀みがなく、数ヶ月前よりも更に様になっている。
「先に参ります。村の方は何も心配はないでしょうけれど…気になるなら、見てきてください」
「…そうだな。一旦村に向かって、また戻る」
「ええ。その方が私としても安心ですから」
では、と彼女は微笑みを残し、虎吉の腹を蹴った。
走り去るその背中を見つめ、小十郎は溜め息を落とす。
「迷いはない…か」
じかにその目を見て、わかった。
止める事など不可能だ。
「あいつは…死なねぇよ」
確信も何もないはずなのに、自分の問いかけに政宗ははっきりとそう答えた。
何故かはわからないけれど、今ならばそれに頷けるような気がする。
「不思議な奴だな…」
呟いた声は、どこか楽しげな色を含ませていた。
07.04.30