廻れ、
- 廻 れ 、 廻 れ 。 時 空 よ 、 廻 れ -
-- 041 --
虎吉を走らせながら、紅は自身の手首を口元へと運ぶ。
糸によってそこに固定してある笛は、そのままでも吹くことが出来るような絶妙な位置に付けられている。
息を吹き込んでも音が鳴らないと言う事にも、随分慣れた。
そうしてすぐに手を手綱へと戻せば、暫くしてから羽音が近づいてくる。
初めこそ小さかった影が大きくなり、やがて彼は紅の脇を飛ぶ。
正確に言えば飛んでいるのは凍雲であって、氷景ではない。
紅はチラリと彼を一瞥するも、虎吉を止めようとはせずにすぐに前を向く。
「…何故、黙っていたの」
「……………」
返って来るのは沈黙ばかり。
勘の良い彼が、自分の言っている事が理解できていない、と言う事は無い筈だ。
「話してくれないならば、それでも構わない。だけど…もう、信頼は出来ない。これも返すわ」
解けないとわかっているけれど、彼の忠誠の証だと言うならばつけていられない。
手首で光る糸を見下ろした彼女に、氷景は漸く口を開いた。
「言ったら…行くだろ」
「当然よ」
「理由はそこだ。あんたを行かせない為に、言わなかった」
スーッと地面にほぼ並行に移動する凍雲が、時折その高度を保つ為にバサッと羽ばたく。
その音を聞きながら、紅は前だけを見据えていた。
「はっきり言う。あんたじゃあの城の主には敵わない。大人しく、筆頭が動くのを…」
「目の前で苦しんでいる人がいるのに、助けてって訴えてくる人がいるのに…黙って見ていろと言うの!?」
ついに声を荒らげた彼女は、手綱を引いて虎吉を止める。
紅が虎吉を止めると同時に、凍雲もまた自身の判断により高度を下げて地面へと氷景を下ろした。
相変わらずとても大きな翼を畳み、虎吉のすぐ脇に足をつける。
そして、くりんとした目で二人を見つめた。
何事か、と振り向いてくる虎吉を構う余裕すらなく、彼女は氷景に鋭く視線を向けた。
だが、彼女が次なる言葉を吐き出す前に、彼が口を開く。
「世の中、女に手を抜いてくれるような人間ばっかりじゃねぇんだ。
女を甚振るのが好きな奴だって、勝負を口実に好き勝手な要求をしてくる奴だって居る!
あんたは今の現実を知らないんだよ!!」
氷景が声を荒らげるのは、そう回数の多いことではない。
寧ろいつだって冷めた印象を与える彼を、ここまで言わせる現実。
紅は思わず言葉を詰まらせた。
知らない、そう言われてしまえば、確かに自分は知らないのだ。
彼らが居なければ右も左もわからずに、どこかの村人の良心に縋って生活しなければならなかったかもしれない。
己の身一つで生きてゆこうと決意しても、何も知らない自分は、誰かに頼らずには生きられないのだ。
「わかってるわ…。でも、知ろうとしなければ、いつまで経っても状況は変わらない。
雪耶紅って言う人間が女である事は、例え死んでも変わらないのよ。それを理由に逃げろって言うの?」
「そうじゃない。あんたを守るのが俺の役目だ。危険を回避させるのは当然だろう」
「…こんな事になって、伊達の本軍が動いていないのはおかしい。―――あなた、政宗様にも伝えなかったわね…?」
「………」
「沈黙は肯定と受け取るわ」
紅の言葉に、氷景は答えなかった。
そんな彼に彼女は眉を潜めて心中で舌を打つ。
わかっているのだ。
それが彼の役目であり、誰からも責められる理由などないと言う事は。
だが、納得は出来ない。
「他国が挙兵間近の現状で、伊達の本軍を奥州内でぶつけるわけには行かない。そう判断したのね…」
「…あぁ」
内乱を起こしている国は、他国から攻められやすくなる。
一触即発の現段階で伊達の本軍を動かす事が危険であるということくらい、紅とて理解できた。
あえて泳がせ、城の近くまで攻めてくるのを待って叩く―――彼はそれが一番だと独断で判断したのだろう。
それならば本軍を動かす距離が短くなり、戦そのものの期間もある程度は短縮できる。
「それなら、尚更…自由に動ける私がいかなくてどうするのよ…」
「あんたにあいつは倒せない。以前小十郎の奴に傷を負わせた男だ」
「敵わない相手なら、逃げるの?逃げてばかりいられるほどに、この世界は甘くはないでしょう?」
望まない戦いだって、敵わない戦いだって…しなければならない時は、必ずやってくる。
彼女の言い分は間違ってはいない。
しかし、彼もまた、己の役目を果たしただけの事だ。
「…こんな所で問答している時間が惜しいわね」
はぁ、と溜め息を吐くと、紅は虎吉の腹を蹴って軽く走らせ始める。
命令されたわけではないが、凍雲も羽ばたいた。
それに掴まった氷景が追ってくるのを気配で感じながら、紅は思考を巡らせる。
「政宗様にあなたが知っていることを全て伝えて。これは命令よ」
「…承知」
「まぁ、恐らくすでに知っているでしょうけれど」
彼自身が、氷景だけに情報収集を任せているとは思えない。
ただ、恐らく一番早くそれを持ってくることが出来るのが彼だと言うだけの話だ。
今も伝わっていなければ、それこそ大問題。
軽く眉を潜めつつも、氷景は確かに頷いた。
これが政宗に伝えられないならば…彼を許すきっかけはもう無い。
「凍雲。辛いだろうけれど、全速力で氷景を連れて行ってね」
紅は手綱から片手を離すと、そっと凍雲の頬を撫でる。
彼はそれに目を細め、そしてゆっくりと羽ばたいた。
徐々に高度を上げた彼はそのまま一直線に北東方向へと飛び去っていく。
それを見送り、紅は少しばかり速度を上げるために虎吉の腹を強く蹴った。
虎吉の全速力で山を駆け、奥州へと入る。
領内に入った事は、とても兵とは思えないような身形の人影をちらほらと見えて、気付いた。
あの少女に教えてもらった村まではあと少し。
そこにたどり着いたからどうだ、と言う事はないけれど、まずはそれが第一歩だと思っていた。
そうしているうちに、ちらほらだった兵達が、徐々にその数を増やしていく。
右を見ても左を見ても伊達の兵が見えるようになったところで、紅は速度を落とし始めた。
立派な軍馬を颯爽と駆る女性。
現代風に言えば不良の身形をしている彼らも、そんな彼女に視線を集めないわけがなかった。
「何だ、テメェは!?」
果敢というか、無謀と言うか。
己の実力も知らぬ愚か者と言える男が一人。
声を上げた彼は、背に追っていた槍を構えた。
紅はフードの下からそれを見て、短く溜め息をつく。
同じ槍でも、持つ者が違えばその覇気も天地ほどの差が出来るものだな、と思う。
彼女にとっては、この男に槍を向けられるのと杓文字を向けられるのとでは殆ど同じだった。
「伊達軍に間違いないわね」
「アァン?俺達が伊達軍以外に見えるってのか?」
また一人、無謀な男が居た。
紅はその答えに小さく頷き、手綱を離した方の手でフードを脱ぐ。
「この村に駐在する全兵に告ぐ。馬鹿な真似はやめて、今すぐ城に帰りなさい」
蹄の音は程よく兵達を集めていた。
紅の凛とした声が隅々まで行き渡り、ざわめきと言う名の波紋が広がりを見せる。
「俺達は筆頭の命令でこの村に来てるんだ!帰れるわけがねぇだろう」
「村人から食料を奪い、代わりに恐怖を与える事が政宗様の命令だと言うの?」
政宗様、と言った彼女に、そのざわめきが少し大きくなった。
それもそのはず、彼を立てると言う事は、少なくとも彼女は奥州の一員であると言う事なのだ。
一個人なのか、それともどこかの部隊に属しているのか。
その判断はできないものの、本来は味方である筈の兵を臆する事無く諌める彼女。
彼女のその言葉に、一部の者の中には戸惑いを浮かべる者もいた。
「な、何様だ、テメェは!!」
「奥州筆頭の命令を受ける俺達に逆らおうってのか!?」
「ならば、問うわ。その命令は政宗様から直接命じられたものなの?」
睨まれようが、刃を向けられようが、怯む様子は見せない。
彼女の言葉に「それは…」と言葉を濁した。
誰一人、彼女の問いかけに肯定の返事を返せる者はない。
「お前は、聞いたか?」
「いや…」
「…よく考えりゃ、ちょっとおかしいか…?」
戸惑いの輪は瞬く間に広がっていく。
こそこそと互いに囁きあい、そして否定しあう。
行動してしまった手前、今更間違っていたと認めるのは難しいようだ。
紅は呆れたように短く息を吐き出す。
「政宗様はそんな命令を下すような方ではないでしょう!!囁きあう暇があるならさっさと動く!」
初めて声を荒らげる彼女に、その場に集まっていた兵は思わず「はい!」と元気に返事をしてしまう。
半ば条件反射のようではあったが、それは実に効果的だった。
まるで蜘蛛の子を散らすように、四方八方へと散り、荷物を纏め出す。
虎吉から降りる事無く彼らを見ながら、彼女は溜め込んだ息の塊を吐いた。
07.04.24