廻れ、
- 廻 れ 、 廻 れ 。 時 空 よ 、 廻 れ -
-- 040 --
慶次の言うように、宿で世話になっているという元村人の話を聞く事は出来た。
話を聞いて「彼」だと思い込んで探していたのだが…実際に会ってみればまだ16の娘。
この時代で言うならば十分な年齢だが、本来の時代の考えが抜けない紅からすればまだ少女だ。
「急にごめんなさい。少し話を聞かせて欲しくて…」
そう声を掛けた途端に、何の話を聞かれるのか理解したのだろう。
彼女はビクリとその肩を揺らし、そして紅に背中を向けるようにして走り出してしまった。
その無防備この上ない様子に、彼女が戦とはあまり関係のない世界を生きてきた事が伺える。
そんな彼女を追わなければならない事に対して眉を潜め、けれども紅は走った。
普通の村人として生きてきた彼女と、そして常日頃から訓練を怠らない紅。
その体力の差は言うまでもなく、数秒の追いかけっこはすぐに幕を下ろした。
「待って!」
出来るならば彼女に触れる事無く話を進めたかった。
指一本でも触れてしまえば、それが怯えを助長させる事を理解しているからだ。
だが、一度逃げられると触れずに止める事は難しい。
紅は苦渋の選択の末、彼女の手首を己の手で捕らえた。
「いや!!」
「っ!お、落ち着いて…。危害を加えるつもりは…っ」
勢いよく腕を振り回す彼女を前にしても、紅はその手を解こうとはしなかった。
解いてしまえば、これほどに嫌がる彼女にもう一度触れるのは、自分の気持ちが許さないだろう。
落ち着いて、と言ったところでその言葉は明らかに空回りしていて、どうしようかと心中で舌を打つ。
そこで、紅は自身の首元で揺れた青い石の存在に気付いた。
「私は伊達の人間よ。何もしないわ、だから―――」
紅の言葉はそこで途切れた。
理由は、少女が明らかな反応を見せたからだ。
落ち着きを取り戻したわけではない。
寧ろ、怯えの色がより濃くなってしまった。
嫌だと叫ぶ事すらできず、唇辺りからの震えは次第に全身へと行き渡る。
手を振りほどく力はゼロになった。
ぺたりとその場に座り込んでしまった彼女に、もう逃げたりはしないだろうとその手をそっと解く。
「…あの…。だ、大丈夫…?」
次第に紙の様な顔色になってきて、紅はその不自然さに気付いた。
この怯え方は尋常ではない。
いつから、と紅は考えた。
己が原因である事は明らかだ。
では、いつから―――
そう考えた所で、紅は未だ手で握っていたそれに気づいた。
「伊達が…怖いの…?」
盛大に揺れたその細い肩に、己の考えが正しい事を悟る。
彼女の怯えはそこに向けられていた。
一向に治まりそうにない少女。
一度距離を取るべきかとも考えたが、今離れれば彼女から話しを聞く事は難しくなってしまう。
悩みに悩んで、紅はふぅと息を吐き出した。
そして、外套の裾を払って2本のそれを露にし、その柄に手を掛ける。
当然のことながら、少女は「斬り捨てられる」と思ったのか怯えを濃くして身を縮めた。
紅はそれに対して心を痛めつつ音もなく剣を抜き、その刃を握って柄の方を彼女に向ける。
「私が怖いなら、持っていなさい」
そう言っても彼女がすぐに受け取らない事はわかっていた。
だから、それを差し出したまま、今度は左の手で刀を抜く。
そして、ザッと刀を己の脇へと付きたてた。
「何もしないと誓う。少しでも恐怖を感じさせられたなら、その剣で私を貫けばいいわ」
言いながら、紅は自分の手が刀を掠めない位置まで移動する。
依然として剣は差し出したままなのだから、彼女を中心とした円状を動いただけの事だ。
戸惑うように自分と剣を交互に見つめる彼女。
それ以上は急かす事もなく、紅は静かに視線を返した。
何故こんな少女が伊達の名前に怯えるのか…焦る気持ちはある。
しかし、先人が言ったように「急がば回れ」だ。
急いては事を仕損じると言うもの、今は忍耐の時か―――まるで人事のように、心中でそう考えた。
息を呑む声がして、大きく見開かれた少女の目からぽろりとそれが零れ落ちた。
それがきっかけとなったのか、彼女は勢いよくまるで体当たりでもするように紅に飛びつく。
剣を取り落とす事は無かったが、刃の方を持っていたためにそれが指の付け根を傷つける。
赤い血が白い肌の上を伝って一粒地面へと落ちたが、紅は彼女がそれに気付かないように手を引っ込めた。
ぎゅうっと己の着衣の前を握り締めて胸元に顔を埋める彼女。
それ以上剣を差し出す必要はないだろう。
そう判断して、そっと音を立てないように剣を地面へと置いた。
「…けて…っ」
「何?」
「助けて…っ。お願い、家族を助けて…っ!」
誰でも良かったのかもしれない。
けれど、彼女の叫びは自分に向けられていたのだ。
紅は傷の無い方の手で、その細い身体を抱きしめた。
助けて、そう繰り返す彼女の声は心からの叫びとなり、紅の鼓膜を震わせる。
このような少女にそんな声を上げさせている現状が、どうしようもなく苦しかった。
少女が泣き止むのを待ち、紅は静かに状況を尋ねる。
戸惑いながらも、彼女は拙い言葉を繋いで説明してくれた。
自分の村が城主に占拠されていると言うこと。
兵士でも何でもない村の人たちが、城へと連れられたこと。
そして―――
「兵士が、全ての命令は伊達政宗様からのものだと…反抗するものは斬り捨てると…」
「そんな馬鹿な…!」
辛辣な表情ながらも、彼女を怯えさせないために決して声を荒らげたりはしなかった。
そんな紅が、ここで初めて怒りを前面に出す。
「政宗様がそんな命令をするはずがない!」
「で、でも…兵士達はそう言って、乱捕りを繰り返して…っ」
自分の耳で確かに聞いたのだと、彼女はそう訴えた。
紅の中に政宗への疑いは無い。
彼がそんな命令を下す筈が無い事に対しては、己の命だって賭けられる。
彼女の怒りは、命令を下したと言われる彼に向けられたものではない。
そう仕組んだ人物へと向けられていた。
偽りであったとしても、その様に仕向けた人物が許せない。
話題を変えるように何故この町に居るのかと聞けば、彼女は両親が逃がしてくれたのだと答えた。
まだ若い彼女のことだ。
他の町に行っても生き残れる、そう思ったらしい。
今のご時勢、どこが安全と言う保障は無いけれど、少なくともここよりはマシだと判断したのだろう。
「病気の父まで城に連れて行かれてしまって…隣の家の幼馴染も、もうひと月も前に…」
涙ながらにその時の様子を話す彼女に、紅は静かに目を伏せた。
一城主が、伊達の本隊に刃向かおうと言うのだ。
人手でも軍資金も、兵糧だって足りない。
それを、周辺の村や町やらを占拠することで補っているらしい。
紅は己の怒りを吐き出すように短く息を吐き、彼女の頭をポンと叩いた。
「嫌な事を話させてごめんね」
そう言って優しく声を掛ければ、彼女はフルフルと首を揺らす。
初めこそ「伊達の者だ」と言われて怯えたが、今はそうは思わない。
こんな小娘の話を真剣に聞き、また怒りを覚えてくれた紅に対し、少女は感謝の念すら抱いていた。
「…ねぇ、知り合った縁だと思って、あなたに頼みがあるの」
紅は少女の頭を撫でたまま、自身の背後に向けてそう声を掛ける。
誰にと言う言葉は無かったけれど、本人は自分に向けられたものだと気付いたらしい。
ザッと地を踏みしめる音がして、少女が肩を揺らす。
だが、姿を現した人物が自分の知る慶次である事を悟ると、その緊張を解いた。
「何だ、気付いてたのか」
「気配を読むのは得意なの」
この世界に来てからだけれど、と心中で付け足しながらそう言った。
紅は歩いてくる彼の姿を、首だけ振り向かせて捉える。
そして、傍らで立ち止まった彼を見上げ、告げた。
「この子をお願い」
「会ったばかりの俺に頼んで平気かい?」
「…あなたなら信頼できるわ。一緒に居てあげたいけれど…しなければならない事が出来たから」
そう言って、地面に突き立てたままだった刀を抜き取り、一度払ってから鞘に戻す。
それから隣に置いてあった剣も同様に腰の鞘に収めた。
「行くのか?」
「それが私の役目だから」
「!?だ、駄目!」
はっきりと答えた紅に、少女は慌てたようにその着衣に縋りついた。
その行動に驚くも、紅は優しくその手を離そうとする。
しかし、その指は外れるどころかより一層強くそれを握り締めた。
「城主の雪耶様は奥州でも有名な武人です!殺されてしまう…っ!」
「へぇ…城主は雪耶って言うの…。ますます、人事だと思えないわね」
「本当なんです…!伊達政宗様のお付の方と同じくらいの実力なのだと…!」
少女の言葉に、紅は軽く目を見開いた。
あの小十郎と同じくらいの実力、それは確かに、奥州でも指折りの武人と言う事になる。
それでも、紅に止まるという意思はない。
「内乱が終われば、いずれこの町にも噂が流れてくるわ。その時を待って、家族の元に戻ってきなさい」
紅は少し強めの力で、彼女の指を解く。
着物が指先を離れると、少女は自身の懐を探った。
そして、そこから緋色の布を継いだ何かを取り出して紅へと差し出す。
「図々しいとはわかっています。でも…両親に、無事だと伝えていただけませんか…?」
「構わないわよ。これを渡せば…わかってくれるのね?」
「はい。母親が作ってくれたものなんです」
「…匂い袋ね。いい香り」
何の花の香りかはわからないが、鼻に優しく心を穏やかにしてくれる香りだ。
紅は笑顔でそれを受け取ると、失くさないようにと懐へとしまいこむ。
そして、これ以上引き止める間を許さないとばかりに背を向けた。
「この子は来るべき時まで守っててやるよ!あんたはしっかりやんな!」
背中にそんな力強い声を掛けられ、紅は軽く片手を上げた。
彼女を見送った慶次は、やれやれと頭を掻く。
約束してしまった事に対する後悔は無い。
けれど、自然とその約束をしてしまった自分が、少し不思議だった。
「何か、協力してやりたくなる奴だったなぁ…」
「あの…あの方の、お名前は…」
「あれ?聞いてなかったのかい。紅…とか言ってたな、確か」
「紅…様…」
07.04.21