廻れ、
- 廻 れ 、 廻 れ 。 時 空 よ 、 廻 れ -
-- 039 --
紅の考えを邪魔せぬように、慶次は静かに彼女の向かいに腰を下ろしていた。
存在すら忘れられているのでは…と思うほどに集中している様子の彼女。
ここまで人のことを忘れて考えの中に浸れるというのは、ある意味才能のようにすら感じてしまう。
だが同時に、そろそろ潮時だろう、と思う。
自分はまだ本当に伝えなければならないものを伝えられていないのだ。
彼の心を悟ったように、その肩に乗っていた夢吉がトンとそこを蹴った。
そして少しささくれた畳の上へと軽やかに足をつけ、そこから彼女の方へと走る。
キッ、と小さく声を上げ、その膝からすらりと筋肉をつけた腕の上を通って肩へと移動した。
「――どうしたの?」
僅かに笑みを浮かべ、紅が思考のそれから戻ってくる。
急に声を掛けるよりも寧ろ効果的に彼女の思考をこちら側に戻す事に成功したらしい。
自分が差し向けたわけではないのだが…慶次は、軽い達成感のようなものを感じた。
「なぁ、そろそろ別の話をしたいんだが…いいか?」
そう声を掛けた所で、彼は驚かされることになる。
ピクリと肩を揺らした彼女は、少しばかり驚愕のそれを浮かべて彼を見た。
その後、照れたような…それで居て、苦笑いの表情がその端正な顔に浮かべられる。
何と言うか―――本当に、自分の存在は忘れ去られてしまっていたらしい。
ごめんなさい、と頭を下げる彼女に、最早言葉も出なかった。
だが、そんな彼女にも嫌悪感のようなものは浮かばず、何とも彼女らしい思ってしまう。
出会ったばかりだと言うのに、何とも不思議な事だ。
「あんたの国は奥州で間違いないんだな?」
確認するようにそう問いかければ、彼女からは頷きと共に肯定の声が返って来る。
予想通りといえば予想通りのそれに、慶次は一度頷いた。
それから、話す言葉を選ぶようにしてゆっくりと唇を動かす。
「奥州内で小規模な内乱が起こりそうだって事は知ってるか?」
「内乱…」
まさか、と言う考えが脳裏を過ぎる。
そんな筈はない、そう思いたいけれど、目の前の彼の目はふざけた様子も無くいたって真面目なそれ。
信じられないと言う思いだけを先走らせるわけには行かない。
一度、自身を落ち着かせるように深く息を吸い、そして吐き出した。
「…続けて」
「火種自体はまだそう大きくは無いらしい。ただ…奥州内に小さい城を構えてる城主が謀反を企ててる」
そんな話を聞いたよ、と彼は言った。
城を構える政宗が統治しているとは言え、奥州の中に他の城がないわけではない。
小さな村やら町やらの集まりが奥州と言う国を作っているのだ。
その中で志を違える者が居てもおかしくはない。
伊達軍だって、そうした内乱を繰り返して奥州の頂点まで登り詰めたのだから。
しかし、それに対しての綻びが今現れてくるとは思わなかった。
予想外といえば予想外だが、だからこそ現実なのだと否応無しに感じさせられる。
ゲームの中の展開が全てではなく、彼や、目の前の慶次もまた、今この時を生きているのだ。
「すでに噂になっているって事は…本格的に謀反を起こす日が近いって事?」
「あぁ。もしかすると、もう始まってんのかもな…」
そう言って慶次は辛苦な面持ちで肩を竦める。
人間と言うのはなんて醜い生き物なのだろう、そう思わずには居られない。
「俺もその話を聞いてさ…本当なら、越後の謙信のとこに行く予定だったんだけど、こっちに来たんだ」
「…あなた、いい人ね。別にあなたが困るわけでもないのに…」
現代で「いい人ね」なんて言われて、それを素直に褒め言葉だと受け止められる人がどれだけ居るだろうか。
どこか皮肉染みた言葉に取られてしまいがちなそれは、この時代においてはそうではない。
しかし、彼自身はそんな評価を求めているわけではないらしく、苦笑に似たそれを浮かべた。
「巻き込まれるのは町民農民だからな…。人事じゃないだろ?」
「…そう思える人だったなら、きっと謀反なんて起こそうって思わなかったでしょうね」
彼らの事を第一に考えるならば、伊達軍に取って代わろうなどと言う考えすら浮かばない筈だ。
農民達を今の乱世から解放するには、誰かが天下を治めなければならない。
頂点に立つべき人物を他に見出したならばまだしも…己が政宗以上だと考えること自体が驕りだと思った。
苦虫を噛み潰したように、その眉間に皺を刻む紅。
「お蔭で、近隣の村や町が乱捕り状態。まだ死人はないって話だけど…」
「それは確かな情報?」
「ん?乱捕り状態の事か?」
紅の雰囲気が変わったことに気付いたのだろう。
慶次は視線を彼女へと向けながらそう問い返す。
そうすれば、彼女は即座に頷いた。
「あぁ、これに関しては本当だよ。村から逃げてきたって人と、さっき話してたんだ」
「この町にその人が居るのね?」
その問いかけに、今度は彼の方が頷く。
それを見届けるや否や、紅はすっと立ち上がって座っていた所為で折れてしまった裾を正す。
「ありがとう。助かったわ」
「…どこに行くつもりだ?」
「その人に話を聞きに。あまり猶予はなさそうだから、急がないと…」
口早にそう答える彼女を見て、その内側に潜む心の乱れを悟る。
一見するとまだ冷静を失っていないようにも見えるが、それは紙一重のところで留まれているだけの事。
彼女の眼は、しっかりと対象を持った怒の鋭さを垣間見せている。
「そいつなら、この宿で働いてるよ。暫く世話になるって話してたから」
「ありがとう」
「いいって事よ!それより…一つだけ、聞かせてくれないか?」
慶次の問いかけに紅は構わない、と告げる。
彼女の返事を聞くなり、先を急いでいる事を理解している彼はもったいぶらずに口を開いた。
「何でそこまで必死なんだ?剣を取る以外にも道はあっただろ?」
「本当なら、彼が守りたい全てを…私も守りたい。だけど、私にそれは出来ない。
だから、手の届く範囲だけでも守るって、そう決めたから。理由を話すならば…己への誓いの為に」
一瞬、その眼から先ほどまでの負の感情が全て消えた。
言葉にしてしまえば、人によっては軽く…そして、甘いと感じてしまうそれだろう。
しかし、その青臭い考えを、彼女は何の後ろめたさも迷いもなく答えた。
それ以上時間を割く事は出来無いと言う意思表示だろう。
彼女は裾を払い、そして襖の方へと歩き出した。
彼自身もまた、それを引きとめようとはしない。
無言の別れ、と言うのも変な話だが、こうして言葉を交わすことすらなかったかもしれない二人だ。
寧ろ、それが自然のようにも思えた。
そうして別れの言葉を交わすこともなく、紅は部屋を後にする。
「さて、と。予定通り越後に行くか、今後を見ていくか…悩むよなぁ、夢吉?」
彼女が動くと言うならば、何かしら状況は変わるだろう。
それが果たしてよい方向なのか悪い方向なのかはわからない。
だが、彼女ならば…自分の望む方向に運べるのかもしれないと思った。
少しくらい、期待をかけてしまっても良いだろうか。
ぺたりと頬に手を当ててくる夢吉を撫で、彼はふっと笑みを零した。
07.04.18