廻れ、
- 廻 れ 、 廻 れ 。 時 空 よ 、 廻 れ -
-- 038 --
いつまでもこの世界に存在できるという保証はどこにもない。
それならば、一分一秒を…全力で大切にしたい。
きっと、これは一生の恋だから。
「それだけ想われる男は幸せだな。どこのどいつだい、その幸せ者は?」
「さぁ、誰かしらね」
答えながら指先を唇の上に乗せて、悪戯に微笑む。
誤魔化す必要なんてないのかもしれないけれど、全てを話すのは勿体無いような気がした。
「で、具体的にどこの情勢が知りたいんだ?全部話すには時間が足りないだろ?」
「教えてくれるの?」
「…俺にあんたを止めるのは無理そうだからな。せめて、手伝いくらいはしてやるよ」
全てに納得したわけではないけれど、彼はそう言ってくれた。
その言葉に紅は表情を綻ばせて「ありがとう」と告げる。
自身の肩に乗っていた夢吉が、その笑顔に誘われるように彼女の肩へと移って行った。
それを嫌がる様子もなく、寧ろ当然のように嬉しそうに受け入れてその頭を撫でる。
その姿は、庭先で動物と戯れるおばを思い出させた。
尤も、彼女の場合は夢吉のように可愛らしい猿ではなく、結構…いや、かなり獰猛な猪だったけれど。
どうやって手懐けたのかは未だに謎だ。
「具体的に…って言われても、少し困るんだけど…ここから、南西…?」
「………あんたの国は奥州か?」
そう問いかけられ、紅は何で?とばかりに首を傾げた。
今の発言から、国を悟られるような要素があっただろうか。
その疑問に、慶次は事も無げに答えた。
「ここが越後と甲斐の国境だからだよ。南西って言えば、北条やら徳川やら織田…。
その辺の情勢が知りたいって事は、あんたの国が近いってこと」
「…それなら、越後や甲斐の可能性だってあるでしょ?」
「いや、その辺なら、俺に聞かなくてもこの町で聞ける。この消去法で考えて、一番可能性が高かったのが奥州ってわけ」
「………馬鹿じゃないのね」
「ま、一人旅の中で人を観る目は養われてるからな」
にっと得意げに笑った彼に、紅は負けました、と苦く笑う。
別に隠していたわけではないが…この分だと、自分が付いていきたいと思っている人も気付いたのだろう。
何というか…照れるような、少し恥ずかしいような…。
顔に出すほどではなかったけれど、心中ではそんな感情に悩まされていた。
「まぁ、甲斐や信濃を旅してて、美濃は止められた。これだけでも奥州か越後から来たって事はわかってたよ」
「…あぁ、そう言えばそんな話もしたっけ…」
よく考えれば、そんな事もいったかもしれない。
ちゃんと話を聞いていれば、紅の国がどこを考えるのなんて簡単だったらしい。
「所で、あんたの国が奥州なら聞きたいんだけどさ…」
「うん?」
「奥州の領主がどこぞの姫さんを娶るんじゃないかって噂は…本当か?」
「…娶…る?」
世界が闇に染まったのかと思った。
何とか我に返ってから彼の言葉を脳内で反芻する。
娶る―――女性を妻として迎えるということ。
奥州の領主といえば、紅の知る彼だ。
その二つを考えると、つまり―――
「知、らない…」
わかっていたはずだ。
相手は一国を統べる領主。
対して、こちらはどこの馬の骨とも知れない、少し剣の腕の立つ女。
身分の差など考えるまでもなく広い。
わかっていたはず、けれど、吐き気がした。
もうひと月以上も…下手をすればふた月程は会っていない。
けれど、ありありと思い出せる彼の強い笑みが、別の女性に向けられるなど…。
「何でも、女物の着物が城に運び込まれてるらしいよ。まぁ、嘘か本当かは知らねぇけどな」
「…………そう」
彼自身は軽い雑談のつもりだったらしい。
だが、紅の受け取り方は違う。
彼女の声や空気が変わったことを感じ取った彼がその原因を理解するのは簡単だった。
「あんた、まさか…」
どうやら、彼は紅が付いていきたいと思う心は服従心からだと認識していたらしい。
しかし、それに含まれた別の心に気付く。
「悪かった。…そう気にすんな。まだ決まったわけじゃないだろ?」
慶次は紅の表情からその心の中の動きを悟って、そう言った。
彼女に聞くべきではなかったか…と思うが、今更悔やんでも遅い。
彼の心中を悟ったように、肩に乗っていた夢吉がその小さな手でぺたりと彼女の頬を撫でた。
人のそれとは違う感触に、紅は元気なく微笑んで彼の頭に指先を乗せる。
「…そう言えば。今川が水面下で動き出してるって話だな」
「…今川…。挙兵が近いって事?」
「そうだな。まぁ、勢いだけは人一倍だからな…挙兵だけしたら、後は様子見って所が妥当な線か」
「…一人挙兵すれば、戦火はすぐ各地に広がるわね。そうなると…織田辺りが勢いづいてくる…か…」
話を変えることには成功したらしい。
先ほどまでのあの儚い表情など全く残さず、真剣なそれで顎に手をやる彼女。
自分が一つ情報を与えただけで、十まで考えを及ばせている。
この分だと、人の五歩先は見ることができるのだろう。
構ってくれ、と彼女の頬に掛かった髪を握る夢吉の行動すら目に入っていないらしい。
暫く髪を引っ張ったり揺らしたりしていた夢吉だが、ふと彼女の首に掛かっている紐に興味を向けた。
小さな手が首の後ろにある結び目を弄っている。
「おい、夢吉…」
するり。
何度か引っ掻くように弄られた結び目が解けてしまった。
ぶら下げているものの重みを支えていたそれが消える。
そうなれば、当然のことながらぶら下げているものは重力に従って落ちる。
ゴトン、と音がして、それが畳の上に転がった。
「あ!」
考え事をしていて、落とす前に気付く事は出来なかった。
だが、音が耳に入った時点で彼女は我に返り、慌ててそれを拾い上げる。
掌に載せた後、すぐに紐を首の後ろへと回して改めて結びなおす。
そして、その先にあった物は懐へとしまいこんだ。
「あんた、それ…」
「これは…まぁ、お守りみたいなものよ」
気にしないでください、と早口にそう捲くし立てる。
説明する事は出来るけれど、それの説明をすれば芋づる式に全てを語らねばならない。
紅が胸元へと隠したそれは、紐に通した携帯電話だった。
あれから、電池切れという致命的な欠陥により、それは沈黙を保っている。
けれど、どうしても手放す事ができなくて…加工した紐を通して、首から提げるように持ち歩いているのだ。
隠さなければ、と言う一種の使命感のようなものに急かされた紅は、何か言いたそうな表情の慶次に気付かなかった。
「南の方では特に目立った動きはないの?」
「あ、あぁ。最近は南の方には行ってないからなー…俺も、よく知らないな」
「そう…」
気落ちした様子は無く、すでに別の方向へと思考が歩き出しているらしい。
窓の外を見ているようで、寧ろそのずっと先を見据えるようにして自身の考えの中に沈む彼女。
その横顔を眺めながら、慶次は頬を掻いた。
「あれ、どっかで見た気がするんだけどなぁ…」
そんな呟きは、集中してしまっている彼女には届かない。
07.04.15