廻れ、

- 廻 れ 、 廻 れ 。  時 空 よ 、 廻 れ -

-- 037 --

ある種の確信は持っていたものの、やはり本人の口から肯定の返事が返ってきたほうがより確実だ。
目の前の彼が前田慶次その人であるという事は確かとなった。
さて、ここからどうやって話を持っていこうか。
紅がそのことについて心中で様々な考えを巡らせていたその時、徐に口を開いたのは慶次の方だった。

「で、何か用かい?」
「え?」
「確認したって事は、俺に用があるんだろ?」

彼の言っている事に間違いはない。
現に、紅は初対面であると言うことから、話の持って行き方を悩んだのだから。

「お茶のお誘いなら喜んで受けるよ。
夢吉のこともあるし…何より、あんたみたいな美人の申し出を断っちゃ、男が廃るってもんさ」
「…なら、少し話を聞かせてもらいたいんだけど…」

構わない?と問いかければ、了承の代わりに力強い頷きが返って来る。
初対面の人には基本的に敬語を使う紅。
しかし、彼の前では何故かそれが使えなかった。
彼の空気がそうさせた…そう言っても過言ではないように思う。
友好的で、でも超えてはいけない一線をちゃんと弁えている。
この短い時間で、紅は彼の性格の一端をそう感じ取った。

「宿を取ってあるんだけど…来るか?」
「あなたさえ構わなければ、どこでも」
「…そうほいほいと簡単に男に付いていくもんじゃないよ?」

わざわざそう助言してくれるような男は危険ではないだろう。
そう思う紅だがあえてそれは言わず、にこりと強気に笑った。

「残念だけれど、どうこうされるほどに弱くはないの。変な気は起こさないでね。首と胴体が繋がっていたいなら」

そう言って、外套のあわせを手の甲で払う。
その隙間から見えた刀と剣の存在に、彼はなるほど、と頷いた。
外套の膨らみから何か武器を持っている事はわかっていたが…これほど本格的なそれだとは。
見た目からは想像できないな、と心中で苦笑する慶次。
けれど、それを見せられてから改めて彼女を見れば…確かに、頷けるかもしれない。
彼女の纏う空気は町中を行く女性とは少し違い、優しいけれどもどこか鋭い、凛としたそれだ。
その身一つで生きる覚悟のある者の目だと、そう思う。

「あんた、いい女だな」
「…は?」
「何か興味が湧いてきたよ」

こんな空気を持つ女性には、そうそう出会えるものではない。
自分のおばだって彼女の持つそれには敵わないような気がした。
それを理解すると同時に、興味と言う名のそれが鎌首を持ち上げてくる。
訳がわからない、と言った表情を露に自分を見てくる彼女に、彼はニッと笑った。
















宿は実に質素な所だった。
町の様子を考えれば当たり前と言えば当たり前。
だが、どうにも慶次の容貌の派手さから、そう言った所を選ぶような…そんな気がしてしまったのだ。
ごく普通の、寧ろ簡素すぎる室内を見回し、自身の考えの先走りに苦笑する。
開け放たれた窓からは、例のまだ蕾すらもつけない桜が見えた。
どうやら、ここはあの場所に面した所だったらしい。
右へ左へと路地を抜けてたどり着いた先に入り口があるものだから、すぐ近くであると言う事には違和感を覚える。

「飲むか?」

一度部屋に通した後、自分だけ姿を消した彼が戻ってきた。
手には酒。
片手を挙げると共に首を横に振ってそれを否定し、促されるままに腰を下ろす。
彼女の答えも予想していたのか、もう片方に持っていた湯飲みやら急須やらを載せた盆を彼女の方へと押した。

「話の前に…。今更だけど、あんたは誰だい?」
「あ、まだ名乗ってなかった…?」

思わぬ失態だ、と湯飲みに湯気立つそれを注ぎながら苦笑する。
自分にしては珍しいな、そう思いつつ、急須を置いて彼に向き直った。

「雪耶紅。訳あって各地を旅する者」
「訳ありか…。各地って、どの辺まで歩いてんの?」
「それが…美濃の方は織田の勢力が伸びてきているからって止められて…甲斐と信濃その辺りだけ」
「ふぅん。ま、女一人の旅なら上等上等。あの辺は山が深いから、途中で音を上げるのが関の山、ってな」

徳利から杯へと透明のそれを注ぎ、ぐいっと一杯飲み干してから彼女を見る。
見たところ酒にも強そうだから、飲んだからと言って話ができなくなると言う事はないだろう。
そう思って、もう一杯酒を煽った彼を止めようとはしなかった。

「先を急ぐのか?」
「…そうね、一応は」
「なら、さっさと始めるとするか!何の話が聞きたいんだ?」
「教えて…くれるの?」

俄かに目を瞬かせ、紅はそう返す。
ここにつれてこられた時点で、彼にその気持ちがある事は明らかだった。
だが、解せないのは、先ほど出会ったばかりの女一人にそれをしてやる利点が彼にはない、と言う事。
損得勘定で動くように見えるかと問われれば返事は否。
しかし、それを鵜呑みに出来るほどに現実を甘く見ているわけではなかった。

「ああ、いいよ。何か、あんたの事気に入ったしな。代わりに、あんたのことを教えてくれればいいよ」
「私の事って…そんな、楽しい話は何もないと思うけど…」

ある。
恐らく、彼にとっては非常に興味深いであろう話を、持っている。
それは―――自分が、ここから何百年も後の人間であると言うこと。
信じてくれないかもしれないが、彼はその話に目を輝かせるだろう。
たとえそれが作り話であったとしても、そのひと時を楽しむ事ができればいい、彼はそう考えると思う。

「まぁ、それは後でいいよ。―――で、何について話して欲しいんだい?」
「……各地の勢力の現状。挙兵している所はないと聞くけれど…その辺り、知っていることを教えて欲しい」
「………また、随分と血生臭い話だねぇ」

そう言って笑うところを見ると、ある程度の予測は付いていたのかもしれない。
彼はそれを苦笑へと切り替えてから、酒を喉に流す。

「戦なんて、男に任せときなよ。戦場に花を咲かせるよりも、恋に花を咲かせた方が幸せさ」
「私の幸せは、私が決める。
もちろん、死に花を咲かせるつもりはない。けど、戦場に出ると言う事を譲るつもりはない」
「男を追って、か?」
「………」

真っ直ぐにそう答えた紅に視線を返し、慶次は静かに問いかえす。
沈黙でもって答えを返す彼女に、やがて彼はふぅと息を吐き出すと、杯を持たない方の手でガシガシと髪を掻く。
そして、参ったな…と言った様子で苦く笑った。

「…何か、あんた見てるとまつ姉ちゃんを思い出すよ」
「…まつ…?」
「俺を育ててくれた人。おじさんの嫁なんだけどさ…そう言う所あんたと似てるよ」

脇目も振らずにたった一人を想い、その覚悟を垣間見せる強い眼差し。
何故、安全な場所に居る事を望んでくれないのだろう。
夫であるおじを追って戦場に出て行く彼女の細い背中を見て、その身を案じたのは子供の頃の話だ。

「何で戦場に出て行くんだろうな、女ってのは…」
「…家で帰りを待つ人も居るわ」
「あぁ、確かに。でも、あんたやまつ姉ちゃん、他にも知ってるよ。旦那を追って戦場に出て行く女」

そう言って天井を仰ぐ彼の表情は儚い。
思わず口を開く事を忘れた彼女は、ただ静かに慶次の横顔を眺めた。

「自分の知らない所で失う事が恐いのかもしれない」

いつの間にか、唇がそう紡いでいた。
慶次の視線が自分へと向けられるのを感じつつ、あえてそれを合わせないように窓の外を見る。

「送り出した人が帰ってこない…それが、恐いのかもしれない。だから、せめて失うならば…目の届く所で」
「目の前で失うのも、辛いもんだよ」
「そうね。でも、目の…手の届く場所であったならば、共に散る事だってできるでしょ?置いて逝かれるのは…哀しいから」

まだ、そんな状況を体験した事はない。
けれどそれは想像するだけで呼吸さえもおかしくしてしまうような光景だ。
無事を祈って送り出したその背中が戻らず、報告だけが己の耳を焼く。
後からどれだけ嘆こうとも、その瞬間が戻ってくる事はないのだ。
それならば、いっそ。
手の届く所で、その散り様を見届けたいと思うのは…エゴだろうか。

「あんたは、いい人の死に様を見届ける覚悟があるのかい?」
「…そんな覚悟…必要ないわ」

慶次の問いかけに、紅は薄く微笑む。
そして、まだ蕾をつけない桜から目を逸らし、答えた。

「私は彼を守る。この命を懸けて。だから、きっとあの人が死ぬ時には…私はこの世界には居ないから」

後を追う事は許されないだろう。
ならば、残された道はただ一つ。
馬鹿みたいな考えかもしれないけれど、後悔はしないと、そう断言できるから。

07.04.12