廻れ、
- 廻 れ 、 廻 れ 。 時 空 よ 、 廻 れ -
-- 034 --
ふと。
庭先に降り立った気配に紅は瞬きをした。
気配を消している、けれど自分は感じ取る事のできるそれ。
「佐助さん?」
「あらら、やっぱり気付かれたか」
残念、とばかりに笑みを浮かべて姿を見せる彼。
そんな彼に、紅は不思議そうに首を傾げた。
「何か用でも?」
「いや、別に」
そう答えると、彼は許可もなく縁側に腰を下ろす。
幸村の元に居なくていいのだろうか…そう思ったけれど、ここは彼の城だ。
四六時中傍に居る必要はないのだろうと自身を納得させる。
特に言葉も無く庭で愛想程度に枯葉をまとって風に揺れる木々を眺めながら時間を過ごす。
どれくらいの時が流れたのだろうか。
ふと、紅は唇を開いた。
「一つ…聞いても構いませんか?」
「あぁ、もちろん」
「以前、どこかでお会いしました?」
今更な質問だ。
それは自分でもよくわかっている。
けれど、何故か今聞かなければならないような気がした。
佐助は紅の言葉に彼女へと視線を向けると、少し頭を悩ませた後「いや」とそれを否定する。
「そう…ですか」
「何で?」
「あなたの気配に覚えがあったので。どうやら、気のせいみたいですけれど」
よく考えれば軟派のような台詞だったな、と思う。
彼自身がそうは思わなかった、ということが不幸中の幸いだろうか。
自分の勘は結構当たる方なんだけどな、そう思いながら、彼から視線を逸らす。
「俺もあんたには前にあった気がするよ。顔は覚えがないけど…何となく」
彼の自信のなさそうな声に、紅はその目を彼へと戻した。
そうして、じっとその横顔を見つめてみる。
確かに、自分も彼の顔に覚えがあるわけではない。
と言う事は、その姿自体は見ていない…ということだろうか。
そんな事を考えていると、突然佐助が立ち上がった。
何事か?と思ったところで、彼は懐から黒く光る何かを取り出し、投げる。
「はは…ども、隊長」
ガサッと音がしたかと思えば、どこからか忍服の男性が庭先に落ちてきた。
彼は愛想笑いを浮かべて佐助に向かって片手を持ち上げる。
そんな彼に、佐助は「ふー」と長く溜め息を吐くと、大きく口を開いた。
「覗き見なんかで時間潰すくらいならさっさと仕事に行け!」
「はいぃっ!!」
佐助の声に負けないくらいの声でそう答えると、彼は瞬く間に姿を消した。
本当に、瞬きの間に消えるのだから忍と言うのは凄い人たちだと思う。
「ったく…」
「お知り合いだったんですね」
「気付いてたのか。あいつ、うちの隊の中でも結構優秀な忍なんだぜ?」
「でも、佐助さんよりは甘いですよ」
そう答えると、紅は先ほどまで彼が居た場所を見た。
特に何も変わったものはなく、昨日と同じ庭が見えているだけ。
そうして見るともなしに視線を向けていた彼女の脳裏に、前触れもなく過去の記憶が過ぎる。
きっかけは先ほどの佐助の声。
確かではない、けれども確かめてみる価値はあると思った。
「…佐助さん」
「ん?」
視線をこちらに向ける彼に同じそれを返す事無く、紅は問いかける。
「走れ、って言ってもらえません?」
「“走れ”?」
「もっと強く」
「…“走れ”」
「もっと」
「走れ!」
彼の声に、紅はふっと笑みを零した。
そして、訳がわからない佐助を見て、その笑みを深める。
「あなただったんですね。あの時助けてくれたのは」
「…は?」
「ひと月…いえ、もうすぐふた月になりますか…そのくらい前に、奥州に来ていたんでしょう?」
「ふた月前…」
思い出すようにそう言葉を返した彼に、紅は何も言わずにそれを待つ。
悩んで、悩んで、それから、彼は唐突に顔を上げた。
「あの時の!」
「その節はお世話になりました」
あの時、と抽象的な言葉ではあったけれど、その声や雰囲気で悟る。
彼の言う『あの時』と自分の思い浮かべている光景が同じであると。
「お蔭で今こうして平和に生きています」
「いやー…あの時の女の人が紅さんだったとは…。暗くて顔は殆ど見えてなかったんだよな」
「私もおぼろげに気配を覚えていた程度ですよ。それと…あの時の声」
彼が「走れ」と叫んでくれなかったら、その苦無を消費して己を助けてくれなかったら。
今こうして生きているかどうかも危ういと思う。
彼女達の会話の意味を知るには、時をふた月分ほど巻き戻さなければならない。
月の綺麗な―――紅が、初めてこの世界の地を踏んだ、あの日まで。
「あなたに助けられました」
「いや、見逃せなかっただけだし…大した事じゃないって。………無事でよかった」
あんな時間帯にゴロツキが徘徊するような場所に居る方が馬鹿だ。
そう思ったのに、迫り来る男を見つめたまま動こうとしない彼女を、何故か助けなければと思った。
気がつけば懐から苦無を取り出して投げつけた後で、声だって零れてしまった後だった。
密偵中の身で、本来ならば声を潜めて動向を見守らなければならない立場にあったと言うのに。
あれは、今思い出してみれば密偵中の忍としては些か問題な行動だった。
しかし、それでも―――こうして、無事な姿を見せられると、こみ上げるのは不甲斐無さではなく満足感。
「それにしても…旦那を追い込むほど強いのに、何でまたあんな男にやられそうだったわけ?」
「…まぁ、色々と事情がありまして…」
心身共に疲れ切っていたと言うか、それどころじゃなかったと言うか。
情報整理に忙しい脳内は、動くことに対する信号を送り忘れたらしい。
そう言う結論に達していたが、別段説明する必要はないだろう。
紅の返事を聞いた彼も、それ以上追求しようとはしなかった。
「しかし…思わぬところで縁があるもんだ」
「本当ですね。あの時幸村様の財布を拾っていなければ…お礼も言えないところでした」
拾えるものは何でも拾っておくものですね、と笑う。
そんな事をしていれば道中の荷物が嵩んで仕方がないのだが、今回ばかりは本当にそう思った。
人の縁と言うのはどこにどう繋がっているのかわからないものだ。
「あの後、どうしたんだ?まぁ、無事だから上手く逃げれたって事はわかってるけど」
「あれからまた別の忍と一悶着あったんですが…とりあえず、こうして無事です」
「別の忍?あの辺は奥州の領内だから、基本的に忍は…」
「え?でも、氷景は…」
「あいつは特別。あいつなら紅さんが気付いただろうし…って事は、他の奴か…」
うーん、と顎に手をやって悩み出した佐助に、紅は首を振った。
そして、もう気にしていないのだということを伝える。
「今を生きている。それだけで十分です。いずれ会うことがあるならば…私の方で決着をつけます」
「お、頼もしい返事。まぁ、これからは氷景の奴が居るだろうし…そう気にする必要もないさ」
「そう思います。出会うべき運命ならば、その内に再会を果たせるでしょうから」
そう言った紅の横顔を眺め、佐助は考えた。
自分の記憶が正しければ、彼女を助けたあの場所は、甲斐は目と鼻の先。
それだけではなく、越後も近かった―――筈だ。
越後、忍…その二つから浮かび上がる人物。
「…まさか、な…」
そんな偶然があるはずはない、自身にそう言い聞かせるように、佐助はポツリと呟いた。
07.04.05