廻れ、

- 廻 れ 、 廻 れ 。  時 空 よ 、 廻 れ -

-- 033 --

結局結論は出ないままに就寝すべき時間を迎え、氷景は姿を消した。
その後もすぐに寝られるほどに紅は図太い性格ではない。
見上げるのは二度目となる天井を見ながら、一人これからについて考えていた。
現代に居る頃から、寝る時には全ての明かりを消していた。
その点に関しては、電気のないこの時代でも非常に重宝している。
ふと視線を横に動かせば、月明かりが障子を明るく照らすが見えた。
目に残るネオンも、耳障りな車のエンジン音もない。
自身の考えの中に身を置くには絶好の環境に、紅の瞼は一向に落ちようとはしなかった。



意識が落ちたのは、丑三つ時も間もなく終わろうかと言う頃だった。
やや寝不足のままに起きると、紅はいつもの鍛錬を終えて準備を整える。
世話になっている間に用意された着物には袖を通さず、自身が着てきたそれに身を包んだ。
動く事を目的としたそれを着込み終えた頃になって、来訪者がやってきた。

「姫さん」
「氷景?」

彼の方から声を掛けてくるという事は、今までは少なかった。
それだけに、まるで確認するような声が零れてしまう。
そんな彼女の反応を気にした様子もなく、彼はストンと庭先に降り立った。

「吉報だ。前田慶次、山を一つ越えた先の町に滞在してるらしい」
「…らしい?」

自分で見たわけではなく、誰かに聞いたような言い方だ。
紅の疑問の声に、彼はあぁ、と納得したように頷き、それから片腕を空へと持ち上げて大きく振る。
円を描くようにまわされたそこから、笛のような音が聞こえてきた。
その音に反応するように彼の手を見れば、何か筒状のものが握られているのが見える。
恐らく、風を利用して鳴らす笛のようなものが握られているのだろう。
彼はその腕を下ろすと、笛を懐にしまいこんで紅に向けて手を招く。
心中で首を傾げながらも、彼女は彼に呼ばれるままに縁側へと足を運んだ。






程なくして、翼の音が近づいてきた。
初めは小鳥か何かが瓦近くを飛んでいるのかと思う紅だが、太陽を遮った影の大きさにその考えを放棄させられる。
どう考えても、小鳥なんて可愛らしいものではない。
バッと音がしそうなほどの勢いで空を仰いだ筈の視界は、黒い何かに埋め尽くされた。

「!?」

考える前に身体が動いていた。
咄嗟に地面を蹴り、後方へと飛ぶ。
突然動いた所為か、驚きの所為か。
自分でも不思議なほどに呼吸が乱れている事に、自分の冷静な部分が苦笑する。
そうして、彼女はそれを見た。

「…………………鷹?」
「鷲だ」

精一杯考えた末の言葉だったのだが、どうやら違っていたらしい。
鳥に関しては詳しくない上に、こんな近くで見ることなどまずない。
流石に梟と鶴を前にしてそれらを間違えるという事はないが…鳶、鷹、鷲を判別するのは紅には無理だった。
どれも青空の中を大きく旋回する蚕豆大の姿しか見た事はない。

「…え、ちょっと待って。鷹だか鳶だか鷲だか知らないけど………こんな大きい鳥って有り得ないわよね」

目の前に降り立った、氷景曰く、鷲。
間違った知識を植えつけられていても、その間違いに気付く事はないだろう。
だが、そんな事はどうでもいい。
問題なのは―――目の前の鷲が、異様な大きさである事だ。
鷹よりも鷲の方が大きい種類が居るという事は、何となくだが知識として持っている。
しかし、大きすぎだ。
地面に降り立って翼を畳んでいるにも拘らず、目線が自分の肩とほとんど同じか少し低いくらい。
しかもこれは首を精一杯伸ばしている大きさではない。
混乱のあまり「世界最大の鳥類はダチョウではなかったのか」そんな、関係のないことまで頭に浮かんでしまった。

凍雲いてぐも。人の言葉を理解する、俺の家の中でも指折りの賢い奴だ」
「…俺の家って、どういう事?」
「あぁ、佐助から聞いたわけじゃないのか?俺の家は代々忍で…奴らが使う鳥の調教師なんだ」
「へぇ…そんな人が居るんだ…」

確かに、笛の音で呼び寄せるには調教せずには不可能だ。
そう言うことを生業とする人がいてもおかしくはないだろう。

「じゃあ、氷景も?」
「いや、俺は向いてなくてな。霞桜家には珍しい事に、鳥に嫌われる種の人間らしい」

ほら、とそれを明らかにするかのように、彼はその鷲…凍雲へと手を差し出した。
嘴で突かれる、と言う事はなかったものの、彼の手とは真逆の方へと顔を逸らしている。
見るからに嫌そうだ。

「…それは…ご愁傷様…?」
「はは。家にとっては、な。俺自身は、こっちの仕事の方が向いてるから気にしてねぇんだ」

伸ばした手を何も掴まないままに引っ込める。
そうしながら、彼は後悔などまったく見えない表情で笑った。
恐らく、それは彼の本心なのだろう。

「…大きさは…とりあえず置いておくとして…。どうして、この子を呼んだの?」

この大きさを前にしておきながら「この子」と形容できる彼女に、氷景は心中で驚きと共に笑みを浮かべた。
彼女は知らない。
凍雲は基本的に人には慣れず、自分でさえもいつだってこの調子だ。
命令を与えれば完璧なまでにこなしてくれるけれど、それ以上を望む事は出来ない関係。
そんな彼が、早く命令を寄越せと翼を動かして急かさないのは、一重に彼女が居るからなのだろう。
先ほどから横目に紅を意識している事を見ても、その事は明らかだった。

「お前も女好きか…?」

そう呟いた所で「いや、違うな」と頭の片隅で否定する。
里の女忍にも相性を確かめる際に参加してもらったが、あまりにも非友好的であると不評だった。
相手が女の場合は、仕事外の時間での相性まで求められることが多い。
それだけに、凍雲のように仕事は出来ても馴れ合いを好まない鳥はあまり人気がないのだ。

「氷景…?」

訝しげな視線を向けられた所で、彼はハッと我に返った。
声を掛けられて漸く思考の海から帰って来るなど…と自身に呆れるが、それを表情には出さずに顔を上げる。
そこで、彼は思わぬ光景を目にした。

「あんた…動物に好かれる性質か?」
「へ?あぁ、うん。…多分?」

突然の言葉に、彼女は驚いたように自分と凍雲を交互に見てから頼りない返事を寄越した。
目を細めて嘴を撫でさせる凍雲を見れば、「多分」などと言う不確かな言葉が不要である事は明らか。
大きさに驚いていたのに、それに手を伸ばそうと思う彼女の肝っ玉の太さにも、最早感服だ。
相棒であるにも拘らず、先ほどふいっとそっぽを向かれた自分の立場がない。

「よく平気だな」
「あー…うん。だって、この子優しい目をしてるから…」

だからどうなんだ、そう問われれば明確な答えは持ち合わせていない。
初めて間近で見る猛禽類に対して手を伸ばすことに恐れはなかった。
大丈夫、と言う確信があったのかはわからない。
ただ、何があっても対処できる、そんな自惚れた考えはなかった。
言ってしまえば、突発的な…本能的な行動だったと思う。
何事もなかったから良かったものの―――忍の使う鳥なのだと言う事を失念していた自分が恐ろしい。

「次の山越えは厳しいものになりそうだ。準備はしっかり整えておけよ」
「忠告感謝するわ。まぁ、二日のんびりしたから…虎吉の方は暴れたがるかもしれないけれど」

若さゆえの体力を持て余している彼の一日の運動量は素晴らしい。
それに付き合うこちらとしては、もう少し大人しくても…と思わないでもない。
だが、山越えになったとしても不安を抱かせないその体力は感謝すべき所だろう。
探し人が移動しては意味がないので、今回の山越えは出来る限り時間を短縮せねばならない。
きゅっと髪を結い上げた紐を結び、紅は刀を提げた。
二晩だけ世話になった室内を見回し、それから庭へと視線を向ける。
そこには氷景と、どこか嫌そうに彼のすぐ脇に控えている凍雲がいて、思わず表情を緩めた。

「足止めをしておくか?」
「…必要ない。間に合わなければ縁がなかったと諦める事にするわ。
相手の都合も考えずにこちらのものばかりを押し付けるわけにはいかないでしょう」
「……あんたらしい」

そう言ってクッと笑うと、彼はポンと凍雲の頭を叩いた。
バサッと翼を広げ、彼の頭上へと飛び上がる。
そしてその場に止まるように二・三度それを羽ばたかせた後、空へと向きを変えた。
そこで氷景も地面を蹴り、危なげなく片手でその足に掴まってみせる。

「山頂で山賊の根城近くを通る。気をつけろよ」
「…遠回りは?」
「すれば到着までの時間が半月延びる」
「………OK。山頂は虎吉に最速で頑張ってもらう事にするわ」

虎吉は紅しか乗せない馬だが、伊達軍でも指折りの飛びっきりの軍馬だ。
彼が本気で走って、それについて来られる馬は本当に数少ないだろう。
それを、身をもって経験している紅は、氷景の忠告に深く頷いてそう答えるのであった。

07.04.02