廻れ、

- 廻 れ 、 廻 れ 。  時 空 よ 、 廻 れ -

-- 030 --

町中で幸村の薦める店で昼食を取っていると、佐助が間もなくお館様到着の報せを持ってきた。
即座に表情を明るくした幸村。
二人は食事を済ませると、急いで城へと戻る。
紅は、入り口のところで待ち構えていた侍女に囲まれた。

「お待ちしておりましたわ、紅様」
「え…」

何か嫌な予感が…。
そう思って一歩足を引くけれど、すでに四方を侍女に囲まれている。
彼女らはにこりと笑みを浮かべ、その侍女頭と思しき一人が口を開く。

「お話は伺っております。お館様にお目通りする前に、お召し替えを」

丈夫な地で出来た外套を着込んでいる為、着物自体はさほど傷んだりはしていない。
恐らく流れ者にしては上等の着物だろう。
だが、一国の領主と会うにはあまりにお粗末だ、ということらしい。
それはわかる。
わかっているのだが―――

「あの、私このままでも…」

気迫すら感じさせる勢いでズイ、と一歩詰められる。
何だかいつかに体験した状況だな…と思いながら、紅は口元を引きつらせた。

「駄目、でございますよ」
「はは…」
「さ、お召し替えを」

半ば連行状態で彼女らに連れられながら、紅は思った。

「(この時代の侍女って強いわ…)」

他の城の侍女はそうではないのかもしれない。
しかし、奥州でも似たような体験をしているだけに、そう思わずにはいられない紅なのだった。








すぐさま風呂に放り込まれ、全身を磨き上げます、と腕捲くりをされる。
人に洗ってもらうなど冗談じゃない、と紅の必死の説得の甲斐あって、では着物の準備をと下がってくれた。
その後は慌しくてよく覚えていない。
とりあえず、傷だらけの身体に少し熱めの湯が拷問のように感じた、と言うことだけは覚えている。
不幸中の幸いだったのは、雛人形の如く着飾られる事はなかった、ということだろう。
刀を取り上げられるのだけはごめんだ、と紅はあえて自分からそれを脇に置いて着物を着た。
そして、人目がなくなってから羽織の中へとそれを戻したのだ。
少し鬱陶しいけれど、無ければ無いで不安なのだから仕方が無い。
自分の左側で2本のそれかカシャンとぶつかり合う。

「…関節剣…か」

白銀の柄先を撫で、紅は小さく呟いた。
鍛冶屋の主人に手渡された剣は、今彼女の腰に落ち着いている。
あのように言われて、自身の意思を優先するようではこの先生き残れない。
紅はそう判断して、長考の後彼に深く頭を下げた。
初めから渡してくれるつもりだったのか、それとも自分が扱いこなした所を見てそう決めたのか。
今となっては確かめる術は無い。
だが、彼がこれを持つにふさわしい人物として自分を選んでくれた事に変わりは無いのだ。
受け取った以上、彼の評価を裏切らないように。
決意を新たに、紅はそれから視線を外した。

「へぇ…馬子にも衣装。だな」
「言うに事欠いてそれですか?」

気配も無く現れた事に、もう驚いたりはしない。
感心したような佐助の声に、紅は肩を竦めた。

「相変わらず刀は持ってるみたいだな」

羽織の上からでもその存在を確認できたのだろう。
彼はそう言うと、少し悩むように顎に手をやった。

「何か問題でも?」
「いや…うん。流石に、お館様に会うのに武器を持っててもらっちゃ困るんだよね」
「あぁ、それもそうですね…」

こんな女一人にどうこうされる人だとは思わないけど、と付け足す彼に、納得する。
確かに領主に会わせる側としては、武器など持って欲しくはないだろう。
紅にその意思があろうと無かろうと、持っているということそのものが問題なのだ。
しかし、この部屋に置いておくのも気が引ける。

「氷景に持っててもらうわけには…いかない?」
「………そもそも、彼への連絡手段が無いんですよ。神出鬼没なもので」
「…あいつ、忘れてんのかよ」

紅の返事を聞いて、佐助は呆れた風な口調で「馬鹿な奴」と溜め息を吐き出した。
そして、自身の懐から親指の爪二枚分ほどの大きさの何かを取り出す。
銀色で、不規則に穴の開けられたそれ。
彼は首を傾げる紅への説明の前に、それを唇で咥えて息を送り込んだ。
形からして笛のようなもので、恐らくは音が鳴るのだろう。
そう思ったのだが、空気を送り込んだと思しき時から待てど暮らせど、一向に音は聞こえてこない。

「…それは?」
「あぁ、忍用の笛。互いの連絡を取る時に、音を変えて吹くんだ」
「…音…聞こえないけど」
「一般人には聞こえないさ。忍は鍛えてあるから」

そう言って得意げに自身の耳を指先でトンと叩く。
なるほど、それならば聞こえない事も納得だ。
犬笛みたいなものか、と思ったけれど、それは心中に止めておく。
程なくして、ガサッと庭の木が大きく揺れ、そこに氷景の姿を捉えた。

「(本当に来た…)」

紅がそんな事を考えているなど露知らず、彼は彼女と佐助を一瞥する。

「…呼んだか?」
「お前の主人が用事。笛くらい渡しておけよな」
「…あぁ、忘れてたか」
「どっか抜けてんだよなぁ、お前」

まったく…と肩を竦める佐助に、氷景も苦笑を浮かべた。
そして、懐に手を突っ込むと紅の方へと何かを投げる。
何の声も無く放り投げられたそれを何とか受け取り、それを見下ろした。

「…笛?」
「そ、俺専用の呼び出し笛。距離は大体1里。その笛で呼べるのは俺だけだからな」
「そうなの?」
「音が違うんだ。俺には聞こえるけど、他の忍には聞こえない。だから、そこの佐助も呼べない」

トンッと木の枝を蹴ると、彼は音も無く紅の前に下りる。
そうして、彼女が掌に置いたままのそれを指先で拾うと、彼女の左手を取った。
何かをしているのはわかったが、彼の手が邪魔で見えない。
横から覗こうか、と頭を動かそうとした所で、彼の手が離れた。
そこには、白銀の糸に通された先ほどの笛が光っている。
邪魔にならない薄さかつ小ささのそれは、幾重にも巻かれた糸に差し込むようにしてそこにあった。

「落とすなよ」
「ど、努力する」
「まぁ、それが落ちる時は糸が切れたときだから…まず、ありえねぇけど」
「なら安心ね」

そう言ってやや表情を緩めた紅。
そんな彼女に得意な笑みを返し、彼はもう一度口を開いた。

「ところで…用って何だ?」
「あぁ、紅さんの武器なんだけど、預かってやってよ。流石にお館様に会う時には持ってもらうわけにはいかないからな」
「…別にいいけどよ…。姫さんはいいのか?」

自分に預けられるのか、と含まれた言葉を向けられる。
それは、即ち「自分を信用しているのか」ということだ。

「お願いするわ。近くに居てくれるんでしょう?」
「無論」
「なら、何かあったらすぐに返して」

紅は羽織の裾を払うと、紐で結わえ付けていたそれを解く。
そして、2本の刀と剣を彼に差し出した。

「どちらも大切なものなの。…よろしく」
「承知」

恭しく跪き、彼はそれを受け取る。
そんな氷景の行動に、佐助は心中で驚いた。

確かに、あの契約の糸が紅の手首に巻かれていた時点で主と認めたという事は明らか。
これだけ長い付き合いをしている筈の自分も見た事の無い、氷景の服従の姿勢。
彼が誰かに膝を着くことなど、一生ないのかと思っていた。
それだけに、その驚きは大きい。

「そう言えば、佐助。もう信玄公が到着したって聞いたんだが…?」
「あぁ、そうだったな。さっき旦那がお館様に説明して、紅さんを連れてくるように言われてたんだ」

そう言うと、彼は紅に目配せをする。
わかっている、とばかりに彼女が頷けば、満足げに笑みを返して氷景の方を見た。

「お前はどうする?一応旅の者って事で話が進んでるから…」
「忍が従ってるなんて、変だろ。適当な所に控えとくさ。姫さん、それでいいよな?」
「ええ。ありがとう」
「んじゃ、頼んだぞ」

佐助にそう言い残し、氷景は一瞬で消える。
何度も見た光景なので、今更驚いたりはしない。
名残さえ残さない事も、いつもの事だな、と思い、彼を見送っていた眼差しを佐助へと移動させる。
それに気付いた彼は愛想のように僅かに口角を持ち上げ、歩き出した。
いくぞ、や付いて来い、などの言葉はなかったけれど、その背中がそれを語っている。
彼女自身も何を言うでもなく、ゆっくりと歩いてくれているその背中を追った。















何やら騒がしい。
城である以上、人が居ないように静か、なんて事は無いだろう。
そのことを考慮しても、騒がしい。
心中で首を傾げる紅のそれを悟ったのか、はたまた別に理由からか。
前を歩いていた佐助がその足を止め、ふぅと溜め息を吐き出す。
それには呆れの感情が含まれているような気がした。

「まったく…あの人たちは…」

彼の小さな呟きに、紅は新たな疑問符を抱いた。
庭に沿うように移動していた二人は、とある襖の前で足を止める。
先に佐助が止まり、紅はそれに従っただけのことだ。
彼女は、その襖の前に立って気付いた。
どうやらこの騒がしさは、襖の奥から聞こえているらしい。


と、そんな結論に至った所で、中からドゴン、と言う鈍い音が聞こえた。
何の音だ?と軽く眉を潜めた紅。
しかし、それを尋ねようと佐助を見上げると、彼は無言で紅を背中に庇うようにして、一歩下がるよう促す。
促されるままに足を下がらせるとほぼ同時に、今の今まで見ていた襖が消えた。

「!?」

そう、それは一瞬だった。
凄い音と共に何か赤いものが部屋の中から襖にぶち当たり、それ諸共庭先へと吹き飛んでいったのだ。
ぱち、と目を瞬かせた紅は、襖の消えた部分と、庭の木から生えている人間の足と思しきそれを交互に見る。
すると、襖の消えた所から、足音大きく一人の人物が姿を見せた。

「油断大敵!いかなる時でも緊張しておらぬから財布を落としたりするのじゃ!」

幸村も大概だとは思うが、それの上を行く声の大きい人だ。
立て続けに予想外の出来事が起こり、紅の脳内は情報整理に追われている。
言葉も無く立ち尽くす彼女の傍らで、佐助が「はぁ」と長く溜め息を吐き出して額に手をやった。
現代で言えばスキンヘッドに着流しの男性。
悠希から教えられていた容姿とは程遠く、紅は気付かなかった。

目の前で大きな声を上げた彼が、武田信玄その人だと言う事に。

07.03.27