廻れ、
- 廻 れ 、 廻 れ 。 時 空 よ 、 廻 れ -
-- 027 --
人間の順応性と言えば、時に目を見張るものである。
現代では偶には太陽が昇って尚寝過ごしてしまったりしていた紅。
そんな、誰でも有り得るような経験を持つ彼女も、ここ一ヶ月の生活で早起きに慣れていた。
日が昇るとほぼ同じ頃に目を覚まし、布団からその身を起こす。
寝ていた間に強張った身体を解すように四肢を伸ばし、着物の乱れを整えた。
「今日もいい天気になりそうね」
空を見上げただけで天気を悟る事ができるようになった、と言うのもまた、順応してきたと言う事なのだろう。
天気予報という便利なものの無いこの世界で、急な天気の変化に見舞われないため、毎日空を見上げる事にしている。
それが、朝一番の日課だった。
当たり前だった生活から、それらが無くなる。
きっと、不自然極まりないと思う人も多いだろう。
しかし、紅にはこの生活が新鮮で、そして、どこか懐かしくも思えた。
人間、生きようと思えばどんな世界でも生きていけるものだ。
ガスも水道も、あんなにも身近だった電気もない。
けれど、自分はこうして生活できている。
改めて、人と言うものの強かさを感じずにはいられなかった。
服を着替え、刀を片手に昨日幸村と手合わせした庭先へと降りる。
朝の空気は冷たく肺を冷やしたが、それがどこか心地よい。
一度大きく深呼吸をすると、紅は目を閉ざして刀を胸の前に差し出すように、地面に水平に持つ。
そして、音も無く白銀のそれを抜き取った。
キラリ、朝日がそれに反射する。
もう一度冷たく新鮮な空気を肺へと送り込み、紅はそれを大きく真横に薙いだ。
そこから縦の動きへと刀の軌跡を変化させ、振り下ろす。
風に乗るように軽やかに、それでいて時々深く。
そんな剣舞のような動きで、刀を振り続けた。
一汗流す、と言う一歩手前。
身体が温まった程度で、キン、と刀を鞘に納める。
僅かに上がった息を整えるように目を閉ざし、何度か深呼吸を繰り返す。
そうしていると、廊下の向こうの方から近づいてくる足音に気付いた。
足音だけで人を判別できるほど、紅はそちらの道に長けているわけではない。
だが、この足音だけは判別できる。
低血圧とは無縁と思えるような元気な声に、紅は自然とその表情を緩めた。
「おはようございます、幸村様。勝手に庭先をお借りしてしまいました」
「いや、構わぬ。紅殿も朝の鍛錬をしているのか」
「はい。習慣になっていますので、一日でも欠くとその日が始まらないように感じてしまうんです」
「それは…。某も同感でござる!」
幸村は驚いたように、しかしどこか嬉しそうにそう答えた。
元々そちらの方面に関しては縁の薄そうな彼だ。
恐らく、彼は今まで自分と同じように鍛錬を重ねるような女性とは出会わなかったのだろう。
それ故に紅の行動には少しばかり戸惑い、けれども、こう言う女性も居るのだということが嬉しい。
彼の心境を察するならば、そんな所だ。
朝餉の用意が整った、と伝えに来た彼に連れられて客間を後にする。
そうして何だかんだとしていれば一時間と少しの時間が経過。
太陽もすでに朝日とは言えない頃になって、紅は幸村と共に城下町へと下り立った。
時間としては丁度よい頃合だったのか、客引きの人たちの声などで活気が溢れている。
今まで訪れたどの町よりも大きく、そしてそれに比例するように賑わいもまた凄い。
現代とは違った風景に、紅は無意識の内に子供のようにキョロキョロと周囲を見回してしまった。
「何か良いものでも見つけたでござるか?」
「い、いえ!ただ…こんなに賑わった町中を歩くのは久しぶりなので…」
「旅の生活が長いとそうなってもおかしくはないであろう。京の都はここ以上に賑わうと聞くが…行った事は?」
「残念ながら。でも、これからそちらの方にも向かいたいと思っています」
店に入るでもなく、店先で足を止めるでもなく。
二人は賑わいの中を並んで歩く。
「そう言えば…。紅殿の旅にはどこか目的が?」
「…特にありません。でも、出来れば京、そして四国辺りまでは行きたいと思っているのですが…」
それも叶うかどうか…、と言葉を濁した彼女に、幸村の不思議そうな視線が向けられる。
それに気付いた彼女は、苦笑を浮かべながらこう続けた。
「私には半年しか時間がありませんから…」
「半年…?何か病を?」
「え?いいえ、健康体そのものです。半年後には一度郷に戻る事になっているんです」
実際には郷ではないけれど、この世界で言うならばそれも間違ってはいないだろう。
確かに自分の言い方は、残り時間が短いかのようなそれだったな、と苦笑する。
危うく、変な誤解をさせてしまうところだった。
病弱な身だと思われてしまえば、この先の鍛錬も止められかねない。
良くも悪くも、彼はそう言う真っ直ぐな人間だ。
「所で、今日はどこを案内してくださるのですか?」
「うむ。某が度々世話になっている―――」
そこまで紡いで、彼はハッとした表情を浮かべる。
その後は目に見えて肩を落とす彼に、紅はその行動の意味が理解できずに首を傾げた。
幸村様、と呼べば、彼は肩に重い空気を乗せたまま顔をこちらに向ける。
「も、申し訳ない…」
「いえ、急に謝られても、何のことだかよくわかりませんが…」
「某、腕の良い鍛冶屋を紹介するつもりであったのだが………女子に鍛冶屋など…」
なるほど、と納得する。
自分の最もよく使う店を案内してくれるつもりだったらしい。
恐らくは、昨夜の間に色々と考えてくれたのだろう。
今日はもちろんそのつもりで歩いていて…今更ながらに、案内する相手が女性であることを思い出したと。
つまりはそう言う事らしい。
彼らしいと言えば彼らしい。
何とも微笑ましい彼に、微笑みしか浮かべる事ができない。
女性に慣れていない所為か、その優しさは酷く不器用で、けれども、あたたかい。
きっと町の女性の人気なのだろうなぁ、と思ったところで、彼女はふと気付く。
顔を上げて周囲を見てみれば、どこか棘のある視線が四方から向けられているではないか。
殺気を含むものでなかったために、今の今まで気にしていなかったのだが。
「…まぁ、こんな可愛い人を放っておく手はないよね」
ふむ、と頷く。
どこか隠していて、けれども真っ直ぐに向けられている恨めしそうな視線に、そう呟いた。
今も尚落ち込んでいるらしい彼には聞こえていなかったらしい。
彼の頭に動物の耳があったならば、それはもう頭にめり込む勢いで伏せられている事だろう。
「幸村様、予定通りに参りましょう?」
「しかし…紅殿はそれで構わぬのか…?」
「ええ、もちろん。一度刀の調子を見て欲しかった所です」
腕の良い方に、とそう言って唇の前に人差し指を立てる。
そんな彼女の悪戯めいた動作は、周囲でさり気無く視線を向けてきていた男性の心を掴んだ。
頬を赤らめる者、もはや首だけではなく身体ごと振り向く者。
果てには、幸村に怨念の篭っていそうな視線を向ける者―――様々だ。
女性の視線が減ったのは、十人並みの容姿の主が身を引いたから。
一見幸村を庇ったかのように思えるが、紅自身一度刀を見て欲しいと思っていた事は確かだ。
腕の良い職人を知らないだけに、この大切な刀を預ける事に対して二の足を踏んでいただけの事。
彼の紹介ならば信頼できる職人である事はまず間違いは無く、実を言うと何より嬉しいことだったのだ。
幸村ほど喜怒哀楽が顔に出ない彼女の表情からそれを計る事は、恐らく彼には不可能だろう。
視線を落とすのをやめて隣の彼女を見れば、その足取りが軽い事くらいは気付けるのだが…。
残念ながら、彼がそれを悟る事はなさそうだ。
07.03.20