廻れ、

- 廻 れ 、 廻 れ 。  時 空 よ 、 廻 れ -

-- 026 --

「あ、ぶねー…」

覚悟した衝撃はなかった。
代わりに、普段は滅多に聞くことのない少しばかり焦ったような声。
顔を上げれば、己が突き出した棒を地面に打ち落とすようにその先に降り立った佐助が見えた。

「さ、佐助!」

戦場での活躍を褒め称える時と同じくらいに、感謝した。
間一髪のところで、彼は自身の攻撃の矛先を紅から外してくれたらしい。
佐助が踏みつけたままだった棒を放り出し、幸村は紅を見た。

「氷景!?」
「ったく…無茶すんなぁ、おい」

今にも自身の攻撃を受けそうだった彼女は、その位置よりも数歩後方へと移動していた。
見慣れない忍装束に身を包んだ男性の腕に、背後から腹を抱えられるようにして。
彼女が名を呼んでいるところを見ると、知り合いなのだろう。
何にせよ、佐助と彼のお蔭で、紅に怪我をさせずに済んだらしい。

「流石に女相手のあの一撃はまずいっしょ、旦那」
「す、すまぬ!白熱してきて、つい加減が…!紅殿!け、怪我は!?」
「あ…平気…です」

肩で息をしながら、何とかそう答える。
だが、氷景が腕の力を緩めると同時に、彼女はその場に座り込んでしまった。
そんな彼女に、幸村がより一層慌てる。

「…お前の主、大概の戦闘好きだな」
「ま、そう言うなって!こう見えてもやる時はやるんだぜ。ちょーっと頭に血が上り易いだけさ」

呆れた風な氷景に、佐助は苦笑を浮かべてそう答える。
戦闘好きであることを否定する事は出来ない。
白熱してきて素人への手加減を忘れてしまう辺りに、それが現れていると言えるだろう。

「紅殿!やはりどこか怪我を!?」
「いえ、大丈夫です。久しぶりに鋭い覇気に中てられたものですから…」

そう言って、力なく笑う。
恐かったわけではない、と言えば嘘になるだろう。
だが、そればかりが原因ではないと思った。
何と言うか―――

「楽しかった…みたいです」

ヘラリとそう笑った彼女に、幸村は安堵の息を漏らし、忍二人は顔を見合わせた。



「…お前の主もあんまり変わらないんじゃない?」
「……………だな」

幸村の手を借りて立ち上がる彼女を見ながら、氷景は軽く肩を竦めた。
















用意された布団の上に横たわる。
まだ眠るつもりはないのか、掛け布団の中に潜ることなくその上に、だ。
見慣れない天井を見上げて、紅はふぅ、と息を吐き出した。
まだ風呂を借りたばかりなので髪の毛が湿っている。
その下に手拭いを敷き、彼女は天井に手を翳した。

「久しぶりに…中てられたなぁ…」

あの時は咄嗟に隠したけれど、少し手が震えていた。
歓喜のそれとはまた少し違い、どちらかと言えば恐怖に近かったかもしれない。
あの震えは…そう、初めて本気の父と手合わせした時に感じたものとよく似ていた。


しかし、と紅は思う。
旅が決まる前の小十郎との手合わせの後、政宗と手合わせをしている。
決まってからも、彼は準備の合間を縫って相手をしてくれた。
彼が楽しみたかった、と言うのもあるだろうけれど、どちらかと言えば気晴らしに付き合ってくれていたように思う。
恐らく、彼は幸村と同じか、それ以上の腕前の持ち主だ。
それなのに、幸村の覇気を久しぶりと感じた事が、疑問だった。

「…あぁ、そうか」

考えてみれば、簡単だった。
それを与えられる状況に無かったと言う事は、彼が少なからず手を抜いていたからに他ならない。
幸村は手合わせが白熱してきて、手加減を忘れたと言っていた。
政宗とのそれも、決して白熱しなかったわけではない。
大きな怪我は無いにせよ、青痣や擦り傷程度はあったし、見ていられない、と小十郎に止められた時もあった。
それほどに白熱して尚、政宗は忘れなかったのだろう。

「本当に…優しい人…」

彼を思い出すと、何だか自分も優しい気持ちになれる。
小鳥の囀りであったり、木の葉のざわめきだったり…そんな些細な事すらも愛おしいと思えるほどに。
何より、この想いが幸せだと思えた。

「人を想うって…幸せな事なんだ…」

この先それに悩まされ、涙する事もあるのだろう。
けれども、恋したことを後悔する事だけは無い。
それだけは、断言できると思った。















「姫さん、ちょっといいか」

考え事をしていて、そのまま眠ってしまっていたらしい。
声を掛けられてハッと目を瞬かせると、紅はゆっくりと身体を起こした。
まだ慣れない視界で、氷景が苦笑交じりに片手を上げる。

「氷景…?」
「休んでるとこ、悪いな。これだけはしといた方がいいと思って」

そう言って、彼は紅の右手を取り、着物の袖を捲くる。
そこに現れた日に焼けない白い肌には、痣が薄く残っていた。

「…気付いてたの?」
「一瞬だけ遅れたからな。真田幸村の攻撃が当たったんだろ?」

恐らく、直撃していれば骨折は免れなかっただろう。
それだけでも忍二人には感謝すべき所なのだが、彼はこれにも気付いていたらしい。
凄い洞察力だな、と思いながら、紅は苦笑を浮かべた。

「手合わせを望んだ以上、覚悟の上よ」
「分かってる。だから何も言うつもりはねぇよ。だが…手当てだけはさせてもらうぜ」

そこに文句は言わせない、とばかりに彼は持っていた小さな布に指を突っ込む。
そして中の薬を指の腹に乗せるようにして取り出してきて、痣の上に引き伸ばした。
ひんやりとしたそれに彼女は僅かに眉を寄せる。

「痛むのか?」
「いえ、冷たかっただけよ」
「そうか。しかし…間に合ってよかったな。姫さんに痕でも残した日には、奥州での生活がやばかったぜ」
「そんな大げさな…」

痕くらい気にしないわよ、と告げる彼女に、氷景は溜め息と共に首を振る。
そして、薬の上から何かの葉を貼って包帯を巻きつつ、口を開く。

「俺は姫さんを守るのが仕事だからな」
「…誰からの?」
「さぁ?それは秘密、だな」

そう言って悪戯に笑うが、彼はこうも言った。

「考えりゃ分かるだろ?奥州で俺が従いそうな人間って言えば…一人だ」

裾の始末を終えると、彼はスクッと立ち上がる。
そして今広げたばかりの荷物をさっさと片付け、布団の上に座る彼女を見下ろした。

「んじゃ、ゆっくり休ませてもらえよ」
「氷景はどうしてるの?毎日私に付きっ切りって訳じゃないわよね」
「…まぁな。これでも契約が完全に更新されたわけじゃねぇからさ…やること山積みなんだよ」

忙しいのなんのって、そう言って彼は笑う。
とてもそう思っているようには見えなくて、どこまでが本気なのかわからなくなった。

「…身体、壊さない程度にね…?」
「……………あんた、優しいんだな。忍にもそうやって気遣いが出来る所、結構好きだぜ」

彼はそういい残すと、それ以上紅が口を開く前に消えてしまう。
前のように金木犀の香りを残す事もない彼。
一瞬のうちに一人になった部屋の中で、紅は包帯を巻かれた腕を見下ろした。

「私を守る…か…。そんなに頼りなかったのか…それとも―――」

出来るならば、後者であって欲しい。
口には出さないけれど、紅はそう思った。
そして殆ど乾いた髪を裾近くで軽く結い、ゆっくりと布団の上に身を横たえる。

今日は良い夢が見られそうだ。

07.03.17