廻れ、

- 廻 れ 、 廻 れ 。  時 空 よ 、 廻 れ -

-- 024 --

「それでも…覚悟は必要よね」

彼を守るためならば、敵と言う名の人間を斬る。
そんな覚悟が。
それがなければ、戦場に出たとしても足を引っ張るだけに終わる。
最悪、待ち構えているのは己の死だ。

「今は…まだ、帰りません。色々な人を見て、色々な人と出会って…そして、決めます」

この声は届けたい本人には届かない。
けれど、自分の中で満足できたならば、それでいいと思った。

「それはきっと間違っていない。そうですよね―――氷景さん?」

紅は天井を見上げてそう言った。
カタリ、と板がずれ、そこから影が降り立つ。

「気付いてたのか…意外だな」
「失礼ね。私の自己整理の途中から屋根裏に入ったことくらい、気付いてたわ」

そう言えば、白に近い氷の眼が驚いたように軽く見開かれる。
その時点から気づかれていたと言う事が意外だったようだ。

「…腕…鈍ったかな…」

忍として、侵入した時点から気づかれていたと言うのはいただけない。
主なく放浪していた間に腕が落ちたのだろうか、と心配になる。
これでも里では指折りの腕前だったんだが…彼は、心中で溜め息を吐いた。

「何度か監視されてたのは知っていたわ。別に殺気を飛ばされていたわけではないから気にしなかったけど」
「へぇ、そりゃ凄ぇな。筆頭が気に入るのも無理はない」

筆頭、と言う単語に、紅の肩が揺れる。
今しがた理解したばかりの自分の想いは、まだ自然に隠せるほどに自分の中に溶け込んではいない。
明らかな変化に氷景が心中で首を傾げた。

「ところで…。これは何なの?」

話題を変えるような不自然さはあったけれど、そこを追求する必要はないだろう。
紅が左手を持ち上げ、その裾を巻くって手首を露にしつつそう問いかける。
傍目に見れば、自分が巻いたそのままに残っている白銀の糸に、氷景がそっと目を細めた。

「ふぅん…そう悪くない…かな」

紅の手を取って繁々とそれを眺めた彼は、こう呟いた。
その表情はどこか楽しげで、自分の知らない所で話が進んでいる事に軽い不快感を覚える。
半ば振り払うようにして手を自身へと引き寄せ、彼を睨んだ。

「自己完結して欲しくて聞いているわけじゃないのよ」
「あぁ、悪い」

とても悪いと思っている謝罪には聞こえないが、これが彼の性格のような気がする。
言っても無駄だろう、と判断して、紅はそれに関しての追及は諦めた。
自分が寝転がったままである事に気づくと、彼女は腹筋の力で上体を起こして傍らに立ったままの彼を見上げる。
座るよう視線で促しても、彼はゆっくりと首を振って壁の柱に凭れた。

「で、これは何?」
「契約の印」
「…そもそも、それは何」
「簡単に言えば…主従契約?まぁ、俺の一族に伝わる古い習わしだがな」

そう言って、彼は自身の手首をトントンと叩いた。
まるで、手首を見ろ、とでも言うかのような動作に、自然と視線を落とす。
何の変わりもなく、あの日以来常にそこにある白銀がきらりと光るだけ。

「連なってる部分、若干色が変わってきてるのがわかるか?」
「………」

言われて、じっとそれを見つめる。
だが、これと言った変化は見られない…ように見える。
それが表情に表れたのか、氷景はクスクスと笑って再び口を開いた。

「わからなくても無理はない。だが…他の忍なら、恐らく気づいた筈だ」

他の忍、と言うところで、彼の視線が一瞬だけ襖の方へと向けられた。
それに反応して、紅もそちらを向く。
注意して探らなければわからないけれど、確かに感じた。

「出て来いよ、佐助」

音も気配もなく、ただ襖の開く音だけが耳に届く。
これが、本当の忍か…そう、思った。

「ま、氷景は気付くとは思ってたけどな」
「気付かねぇなら、忍は廃業だな。さっさと田舎に引っ込んで稼いだ金で暮らすさ」

前の佐助の発言からも、二人が知り合いだと言う事はわかっていた。
しかし、いざ二人が揃う場面を見てみると…忍仲間、というだけでは片付けられない気がする。
悪い意味ではなく、良い意味で、だ。

「こいつとは同じ里の出身でさ…年も近いし、兄弟みたいに育ったんだ」
「ま、腐れ縁とも言うけどね」

紅の困惑に気付いたのだろう。
氷景がそう説明して、佐助がそれを茶化すように続ける。
こっちの台詞だ、と吐き出す氷景の表情は、どこか幼くなっているように思えた。

「で、お前は気付いたんだろ?」
「当然。あぁ、紅さん。その糸、陽に翳すと結構違いがわかりやすいぜ」

佐助の助言を受けて紅は開かれたままだった襖の方へと糸を翳してみる。
…が、生憎すでに赤みを帯びた日差しの中では、その色の変化を正しく悟る事は難しそうだ。
夕日と紅とを交互に見た彼もそう思ったのか、苦笑交じりに「明日試してみれば」と告げる。
本当ならばすぐにでも確認したい所だ。
だが、色が変化したからどう、ということを聞いていない以上、焦る事に意味はない。
別段邪魔にもならないので、今は置いておくことにしよう。

「…そう言えば、もう匂い袋を持つのはやめたんですね」
「誰かさんの薬のお蔭で怪我の回復も順調だからな。匂いを残すなんて、馬鹿な忍のやる事だ」
「何、氷景。お前怪我したわけ?」

変な所で抜けてるなぁ、と佐助にからかわれ、氷景がムッと眉間に皺を寄せる。
どちらが兄だとか、弟だとか。
そんな事は本当に些細な事で―――とにかく、彼らは見ていて本当に兄弟のようだった。
兄弟…言葉を変えるならば、親友と言ってもいいかもしれない。

「ねぇ、氷景…さん?」
「氷景でいい。それに、口調もさっきみたいに崩してくれていいから。主人なんだし」
「…一方的に主人って決められてもね…」

先ほどまで口調を崩していたのは、なけなしの敵対心を見せるためだ。
崩していい、と言うのだから、ありがたくそうさせてもらうことにする。

「…じゃあ…氷景。あなた、女性に変装するのって抵抗ないの?」

真剣な表情でそう尋ねる。


ここで全ての説明をするならば、まずは悠希という女性を思い出してもらわなければならない。
紅の親友の彼女ではなく、政宗の城に入ってからと言うもの甲斐甲斐しく世話をしてくれた彼女だ。
恐らくは察していると思うが、彼女の正体が今紅の目の前に居る彼…氷景だったのだ。
何度か気配無く背後を取られる事に不審に思った紅は、あの旅立ちの日、彼女から香る匂いで気付いた。
その時点で紅が知ったのは、彼女が忍であると言うことと、まだ傷の塞がらない怪我を負っているという事。
旅立ち前の彼女の行動は、ここに繋がってくる。
悠希と氷景が同一人物であるとわかったのは、氷景本人と顔を合わせてからだ。
先に去った彼の残り香が、それを気付かせたのである。

「…忍だからな。佐助だって、女にでも化けるさ」
「いや、基本的には避けるけどな」
「………あなたに母親の面影を重ねた自分が悔しいわ…」

何度かそう思ってしまっただけに、遣る瀬無い。
肩を落とした紅に、氷景は「そりゃ光栄」と喉で笑う。
彼からすれば、自分には未知の領域である女性。
自分の立ち振る舞いや会話が母親を思い出させたとあれば、これ以上の成功はないだろう。
結果として彼女を落ち込ませることになっているが…それはそれだ。








不意に、三人がそれぞれにピクリと反応を見せる。
三人とも同じ方を向き、動き出したのはその内の二人。

「っと。今日のところはこれにて退散」
「んじゃ、俺も」

氷景に続くようにして佐助。
そうして、二人は瞬く間にその場から消える。
残された紅が引き止める暇すら与えずに。
半ば呆然としていると、遠かった足音が近づいてきた。

「紅殿!すまなかった、急な用が入ってしまった!」

開け放たれた襖から顔を出したのは、数十分ぶりの幸村だ。
よほど急いできたのか、微かに息が上がっている。

「…紅殿?」
「…忍と付き合って行くのって大変ですね…」
「忍?佐助が何か粗相を?」

それならば申し訳ない、と頭を下げそうな幸村に、紅は慌ててそれを否定する。
彼は十分良くしてくれています、とそう告げれば、彼は安心したように笑った。
そして、彼はじっと紅を見つめる。
その視線に、彼女は首を傾げて「どうかしたか」と問うた。

「どこか、空気が変わったように思う。何か迷いが晴れたような…そんな気がするでござるよ」
「…ええ、そうですね。迷いが一つ、なくなりました」

心が晴れたような気がします、と答える。

「それは良き事にござる。迷いを超えて、人は強くなれるものだ」
「本当に、その通りですね」

沈み行く夕日に顔を照らされながら、紅は小さく微笑んだ。

07.03.13