廻れ、
- 廻 れ 、 廻 れ 。 時 空 よ 、 廻 れ -
-- 022 --
「何と言うか…素晴らしい馬捌きでござる」
感心しきり、と言った様子で声を発する幸村。
彼の視界には、慣れた者でも厳しいような山道を悠々と進む紅の姿がある。
彼の褒め言葉に彼女は少しばかり照れくさそうに微笑んだ。
「そう言っていただけると光栄です」
「どこかで鍛えられたのか?」
「…父に、教わりました」
少しばかり声のトーンを落としてそう答えるが、彼はその変化には気付かなかったらしい。
良き父上であられるな、とどこか感心した様子でそう頷いた。
「この山を越えれば上田城でござる。そこで一旦馬を休め、お館様の城を目指すのだが…」
「その必要はなさそうだぜ」
「おぉ、佐助。戻ったか」
空から降ってきた声に、幸村は動じる事無くその人物の名を呼ぶ。
スタン、と駆ける馬の前に降り立った佐助。
彼を引いてしまわないよう手綱を引き、馬を止める。
その場で踏鞴を踏んだ虎吉の首を労わるように撫で、紅は彼らの会話に耳を傾けた。
「何も変わりはなかったか?」
「あぁ。ただ、お館様が来るって事以外はな」
「何!?お館様が?」
パッと嬉しそうに表情を輝かせる彼に、紅は思わずクスリと笑った。
その笑いが二人の耳に届く事はなかったらしい。
会話の邪魔にならなかったことにホッと安堵しつつ、事の成り行きを見守った。
「それは丁度良かった!して、お館様はいつ城に到着なさるのだ?」
「旅が順調なら、明日の昼には着くらしいぜ」
「なるほど。それならば、紅殿には今日は城に泊まってもらった方が良さそうだな」
「あの…城下町に宿を借りますから、そこまでお世話していただかなくても…」
城に泊まる、と言う事で話が纏まりそうだったので、急いでそう言葉を挟む。
二人の「何を言っているんだ」とでも言いたげな視線を受け、思わず虎吉と共にたじろいだ。
「こちらが世話になった礼だ。気にせずともよいでござるよ」
「でも…」
「世話になった女子を放り出せばお館様に何を言われるか…ここは、某のために頷いてもらえぬか」
一体何を言われるんだ、と気になるところではある。
しかし、それを聞くのも憚られたので、とりあえず頷いておいた。
「よし、佐助!先に城に戻って準備を整えておくように伝えてくれ!」
「了解!」
馬を見上げていた佐助がその場から一瞬のうちに消え去る。
後に残された黒い羽が空を舞い、そして差し出した紅の掌にひらりと舞い降りた。
「幸村様…本当によろしいのでしょうか…?こんな旅の輩を泊めるなど武田様がお許しにならないのでは…」
「お館様は、女子を放り出すような器の小さい男ではござらん。必ずや歓迎されるであろう」
「…ならば、お世話になります」
そう断言されるならば、これ以上悩む必要はないのだろう。
全く、政宗といい、幸村といい…随分と太っ腹な男達だ。
こんな風に手放しに人を信頼して裏切られたとしても、それを防ぐだけの実力があるのか。
もしくは、彼らの目利きがそれほどまでに素晴らしいのか。
紅にはそれがどちらなのかを判断するのはとても難しい。
「夕暮れまでには山を越えておきたいのだが…」
「心配ご無用。速度を上げてくださっても大丈夫ですよ」
「頼り甲斐のある返事、感謝する」
彼は満足げにそう笑うと、止めていた馬を駆るべくその腹を強く蹴った。
一瞬遅れるも、紅は彼に続くように虎吉を走らせる。
遅れを取ったのは、今まで屈託のない笑顔ばかりを浮かべていた彼が、酷く男を感じさせるそれを浮かべたからだ。
前を走るその赤い背中を見ながら、どうか振り向かないで、と思う。
きっと、自分の頬は朱がさしているだろうから。
夕暮れの中を飛ぶ烏の影を見上げながら、烏が鳴くから帰りましょう、なんて唄があったなと思い出す。
さすが腐っても武田軍武将。
いや、別に腐ってはいないけれど…とにかく、彼に合わせて馬を駆るのは中々の重労働だった。
軽いとは言えない疲労感を身体に覚え、けれどもそれをおくびにも出さず、彼の後に続く。
小屋に入れられた馬がじっと見てくる所為か、紅はどこか居心地が悪そうだ。
それに対して、虎吉の方はそんな視線など歯牙にもかけない様子で悠々としている。
幸村は小屋の奥に居た男性の元へとかけて行き、何か話をつけているようだった。
「紅殿。虎吉はここに預けるとよいでござるよ。虎吉も休ませねばならぬ」
随分と走ったからな、と紅のところに戻ってきて虎吉の頬を撫でる幸村。
振り落とされて尚これだけ可愛がる事ができるとは…よほど、気に入ったらしい。
明日には腰の痛みも忘れてもう一度試しそうな勢いだな…と、紅はどこか笑みを含ませながらそう思った。
「では…よろしくお願いします」
丁寧に頭を下げながら小屋の世話主に手綱を渡す。
どこか寂しげに振り向いた虎吉に、苦笑しつつ肩をポンポンと叩いた。
「ゆっくり休ませてもらいなさい」
安心させるような声色でそう言えば、彼の方も吹っ切れたらしい。
くい、とゆるく引かれた手綱に従い、奥へと歩いていった。
「あ、紅さん」
不意に、馬を預けたばかりの紅は呼び止められる。
くるりとそちらを向けば、壁にもたれた状態で佐助が片手を上げていた。
「呼び捨てでも構いませんよ」
そう言いながら彼の元へと歩み寄る。
「いやー。旦那のお客だからさ、そう言うわけにもいかないって」
「…そう言うもの?」
「そう言うもの。ところで、旦那にはちょっと用事で先に向かってもらったからさ、俺が案内するから」
付いてきて、と言われ、紅は素直に彼の後に従う。
居住のつくりは現代とはかなり違っていて、案内なしに歩くのは厳しそうだ。
一度教えてもらえばある程度は覚えられるだろうけれど…それもごく一部の事。
この広い城内だ、迷えば自分の望む場所にたどり着くなど不可能に近いだろう。
「そう言えばさ、聞き忘れてたんだけど…」
「はい?」
「旅の目的。ただ流れる事…って訳じゃないだろ?」
彼の言っている事は間違いではない。
紅にとってはこの旅は各地を巡る事が目的なのではない。
ただ、それを話してもいいものか―――話すべきなのか。
彼女の脳内で、様々な情報が目まぐるしく動き回る。
結果として、彼女が導き出したのは―――
「人々を…見たかったんです」
紅が選んだのは、目的を話すという道だ。
話すことそのものが強制ではないのだから、適当な事を告げて流しても構わない。
でも、それは彼女自身が許せなかった。
確固たる目的の為に、こうして見知らぬ世界に一人で旅立とうと決めたのだ。
その思いだけは、偽る事は許されないような気がした。
「国に生きる人々と出会い、彼らを見て…そして、決めたかった」
「何を?」
「彼らを守る。そのために刀を握る…そんな、覚悟を」
すでに刀を手にしている自分が、今これを言うのはおかしいだろか。
そうは思ったけれど、あえて訂正する事無く彼女は息をつく。
「戦場に出るのか?」
やはり、彼は出来た忍だ。
言葉の中に隠された答えを探し出した。
「はい」
紅が短く頷けば、佐助は眉を顰めた。
そして、はぁ、と長くはない溜め息のあと、彼はこう続ける。
「…やめた方がいい。あんた、まだ戦を知らないだろ」
その言葉は、深く彼女の中に刻み込まれる。
07.03.09