廻れ、

- 廻 れ 、 廻 れ 。  時 空 よ 、 廻 れ -

-- 021 --

「氷景…と言う方をご存知なのですか?」

悩んでいても仕方がない。
紅は半ば体当たりだなと理解しつつ、佐助にそう問うた。
すると、彼は「あー…」と言葉を選ぶように視線を彷徨わせ、それからポンと彼女の肩を叩く。

「待ってやってくれる?本人から聞いた方がいいと思うし…何より、自分で言いたいだろうからさ」
「はぁ…とにかく、お知り合いなのですね」
「忍仲間」

ここから先は秘密、とばかりに人差し指を唇の前に立てた彼に、なるほど、と思った。
あの完璧なまでの気配の消し方、足の速さ。
目の前に居るのに、その存在が希薄であるかのような錯覚すら感じてしまったのは、忍だからか。
この奇妙な能力を使って尚、捉えかねる彼の気配は、忍ゆえのそれらしい。

「この糸…呪いなどではありませんよね」
「呪い!?違う違う。それは絶対ない。どっちかって言うと…真逆?」

呪いの真逆、と言われてもすぐには浮かばない。
とりあえず、前者が自身にとって悪しきものであるならば、逆と言えば善いものと言う事になる。
彼が言いたいのは、そういう事なのだろう。

「お、漸く旦那のお帰りだ」

手でひさしを作るようにして道の向こうの方を見ていた佐助が、そう声を上げた。
どこか楽しそうなのは、主人の、この距離すらもどかしいとでも言いたげな様子を見たからだろう。
一生懸命…と言っていいのだろうか。
とにかく、急いでこちらに駆けて来るその姿を見れば、自然と頬も緩むと言うものだ。

「遅いぜ、旦那」
「待たせたな!実は、村長に和菓子を貰って…」

そう言って持ち上げられた手荷物を見れば、この村にもう一つある茶屋のそれであることがわかった。
尤も、それがわかったのは佐助だけで、紅は「まだ食べるのか?」とでも言いたげな視線を向けるだけ。

「奥さん、おいくらですか?」
「もうお帰りかい?もう少しゆっくりしていってもいいのに…」
「すみません。先を急ぐ旅ですので…」

本当ならば、少し休憩を挟んだ後は次に移動する予定だったのだ。
けれど、意図せずに彼らに出会ってしまったことで、予想外に時間を食ってしまった。
尤も、それ相応の価値のある時間ではあったし、会えないと思っていた、武田信玄にも会えそうだ。
会ったからどう、と言う事はないけれど、悠希から聞いた事は時間の許す限り確認していきたい。
紅にとっては願ってもない展開だった。











三人揃って茶屋を後にすると、預けてある虎吉の元へと向かう。
すぐに戻るので少しの間だけ預かっていて欲しい。
そう言われて虎吉を預かった店主は、予想よりも遥かに遅くなった紅の来店に少しばかり驚く。
しかし、後ろに見えた人影には更に目が飛び出すほどに驚いた。

「さ、真田様!?何か御用で?」
「いや、用があるのは某ではない」

後ろに居るにも拘らず、先に彼に声を掛ける辺り、彼に対する扱いがよくわかる。
凄い人なんだなぁ、と思いつつも、紅は気分を害する事もなく微笑んで店主に声を掛けた。
馬を引き取りに来た、とそう告げれば、彼は弾かれたように駆けて行く。
程なくして手綱を引いてやってきた時には、どこか元気になった気がする虎吉と一緒だった。

「お帰り、虎吉。ゆっくり休めたみたいね」

彼から手綱を引き取ると、紅は頬を摺り寄せてくる虎吉を撫でる。
店主は幸村と彼女を交互に見ながら口を開いた。

「まさか、真田様のお連れとは露知らず…。道理でいい馬だと思いました」
「確かに…実にいい馬でござるな」

いつの間にか距離を詰めていた幸村が虎吉の肩を叩く。
手に伝わるその感覚で、隠された筋肉を捉える事など容易い。
「ありがとう。助かりました」と、そう言って紅は虎吉を引いて歩き出す。
流石に人通りもある道で馬に乗るつもりはない。

「それは紅殿の馬で?」
「…そうなると思います」

正確に言えば伊達軍の馬だが、譲り受けたと言っても間違いではない。
幸村は虎吉を撫でながら、彼女の言葉に相槌を打った。
一方、撫でられている虎吉の方はと言えば―――。
数時間ぶりの主人との再会が嬉しいのか、長い時間休んでご機嫌なのか。
どちらとも言い難いが、とにかく機嫌が良いらしい。
撫でる幸村を邪険にする事もなく、気まぐれに頬を寄せてみたりする始末だ。

「名前を教えてもらえぬか?」
「虎吉です」

紅がそう答えれば、問いかけてきた幸村ではなく、追従していた佐助から噴出したような声が発せられた。
二人の視線を物ともせず受け止め、彼は肩を震わせる。

「馬に虎とは……また特異な名前を…」
「何を言うか、佐助!素晴らしく強そうな名前ではないか!」

間髪容れずにそう答える幸村。
虎吉の「虎」の文字に対しての想いがそう言わせたのだろう。
彼が敬愛する武田信玄は「甲斐の虎」とも呼ばれている。

「それに、このどことなく肉食獣を思わせる目付き。馬にしておくには勿体無い!」
「幸村様もそう思いますか?私もそう思ってこの名前をつけたんですけど、どうも不評で…」

本人は気に入っているみたいなんですけれどね。
そう言って虎吉の頬を撫でる。
彼に関しての話で盛り上がる二人に、佐助は軽く頭を振りながら肩を竦めた。

「何か…結構似たもん同士…?」

これは、お館様に会ったら大変かもなぁ。
やがて来るであろうその時を思い、佐助は空を仰いだ。
















パカラッ、パカラッと馬を走らせ、峠を越える。
紅は、不意に隣を走る幸村に向かって口を開いた。

「…大丈夫ですか?」

申し訳なさそうな彼女の声色。
その原因は、どこか腰を庇って馬を駆る幸村にあった。


意外にも幸村は「虎吉」と言う名前を喜んだ。
道中彼を褒めたてていた幸村は、乗ってみてもいいだろうか、と紅に尋ねる。
もちろん、奥州での一件を忘れていない紅は止めた。
しかし、彼はそれで引き下がるような男ではない。
危険だから、と言えば、大丈夫だ、と言う何の確証もない答えが返って来る。
すでに彼の中では虎吉に乗ると言う事は決定事項らしい。
まだまだ短い付き合いの中から導き出した彼の性格を思い、紅は溜め息と共に「どうぞ」と頷いた。
隣で佐助が呆れていたと言うのは言うまでもないことだ。

「いいって。旦那の自業自得」

紅の案じる声に答えたのは本人ではなかった。
笑いをかみ殺してそう答える佐助に、幸村はキッと恨めしげな視線を向ける。
しかし、それは事実なので何も言えない。


すでにお分かりかとは思うが、幸村が虎吉を乗りこなす事はなかった。
それまでは上機嫌だった彼。
だが、いざ幸村が鐙に足をかけて跨ろうとするとその態度を一変させた。
今までの穏やかな空気などどこかへ蹴飛ばしてしまい、暴れる暴れる。
紅は慌てて虎吉を止めるべく駆け寄ろうとするが、危ないからと佐助に止められた。
主人が馬に振り落とされそうなのに止めて良いのか?と言いたげな視線を向ければ、彼はこう答えたのだ。

「旦那だって、こう見えても名高い武将。馬に振り落とされるような失敗は―――」

その言葉は、最後までは紡がれなかった。
不自然に途切れてしまったのは、青毛の馬の上で揺られていた赤いそれが、とうとう飛ばされてしまったから。
ブンッと勢いよく宙へと投げ出された彼は、そのまま重力と共に仲良く地面に落ちた。
大丈夫ですか!?と慌てた様子で駆け寄った紅に、受身を取る暇すらなかった、と彼は悔しげに呟く。
やはり、虎吉は紅以外を乗せるつもりはないらしい。
他の女性ならば大丈夫なのかもしれないが…それを試す気にはなれない。

「やはり、止めるべきでした…」
「いや!これは某の失敗であって、紅殿が気にする必要はない!」
「それに旦那はいつでもお館様と殴り合ってるから、怪我には慣れてるし」

その光景を思い出し、佐助はそう続けた。
本人ではないのだから、怪我しても平気だ、と言うつもりはない。
けれど、あの本気の殴り合いを思えば、馬から落ちて地面に腰を打ちつけたくらいは怪我に入らない気がする。
彼の考えは当たっていたようで、幸村がその通りだとばかりに強く頷いた。

07.03.07