廻れ、

- 廻 れ 、 廻 れ 。  時 空 よ 、 廻 れ -

-- 020 --

すぐにでも城に向けて出発しそうな勢いの幸村を諌めたのは、他でもない佐助だ。
彼は幸村の肩をぽんと叩き、口を開く。

「お館様から任された仕事を放り出したままだろ、旦那?」
「う、うむ。そうであったな…」
「俺が相手させてもらうから、さっさと済ませてきてよ」

紅を置いていく事になることを気にしたのだろう。
ちらりと横目で彼女を見た幸村に気付くと、佐助はひらひらと手を振りながらそう言った。
彼が相手をしてくれるならば、と納得したらしい幸村が頷き、そして団子を一つ口に放り込んでから立ち上がる。

「紅殿。某、少し行かねばならぬ場所がある。暫し、佐助と待っていてくれぬか?」
「ええ、もちろん。お仕事の方が大切ですから」

頑張ってきてくださいね、と少し笑みを含ませてそう言えば、彼の頬に朱が走る。
それを隠すように「行って来る!」と彼は足早に去っていった。
何とも初々しい反応に、思わずクスクスと笑えば、幸村に変わって腰を下ろした佐助が彼女を見る。

「初々しいだろ?」
「全くですね」
「でも、あれで戦場に立てば強いんだぜ」
「…そう…なのでしょうね、きっと」

幸村が去った方を見つめ、紅はそう頷く。
今はその片鱗すらも見えないけれど、佐助の言葉は素直に納得できるものだった。
あの微笑ましい限りの空気が、肌を刺すようなそれに変わり、穏やかな眼差しが鋭さを纏う。
それを想像すると、ゾクリと背筋を何かが走った。
刀を交えたいとは思わない。
けれど、その姿を見てみたいとは思う。
それは、現代ではありえないような猛者との出会いを身体が求めているようだった。

「―――で、あんたは何者?」

不意に、佐助の声色が変化する。
いくらか冷たさを帯びた―――いや、どちらかと言うと、感情の消えたそれ。
気付いていないとは思わなかった、けれど、ここで問われるとも思わなかった。

「…ただの流れ者ですよ」
「“ただの”流れ者…ねぇ。流れ者に苗字があるだけでも特異。それに―――」

彼は呟くようにそう言うと、紅の外套の合わせに手を伸ばす。
そして、自分から見て右側を勢いよく捲った。

「ただの流れ者にしちゃ、大層なものをお持ちのようで」

太股を丸々覆ってしまうほど長い外套の中に隠れていたそれ。
紅の左の腰紐に結わえられた刀の存在に、彼の目は細められた。
そこに得物がある事は分かっていたが、精々小太刀程度と予想していたのだ。
予想外の長さのそれに、彼の目は冷める。

「目敏いですね」
「そりゃ、忍だからな。団子に目を奪われる旦那とは一味違うさ」
「なるほど」

それはそうですね、と淡々と答え、紅は彼の手から逃れると外套を整える。
それから、真っ直ぐにその視線を受け止めながら、口角を持ち上げた。

「世はまさに戦国乱世。信用できる腕があるならば、大層な得物を持っていてもおかしくはないでしょう?」
「あぁ、確かにな。だが」

グイッと右腕をとられ、彼の方へと引かれる。
そうして、その掌を見て、続けた。

「これは、武器の扱いに慣れてる人間の手だ。それも…かなりの使い手の」

幼い頃から武術を続けていれば、その手が素人のそれと違ってくるのも無理はない。
一見すると綺麗な手だとも言えるそれは、目利きの出来る者が近くでそれを見れば、どの武器に長けているのかも分かる。

「…よく出来た忍ですね」
「真田幸村に接近する事か…もしくは、お館様に取り入る事か。それとも、他に目的があるのか?」
「仮に間者だったとして、その目的を話すと思いますか?」

問いかければ、彼は肩を竦めた首を振った。
そう、もし彼女が間者であったとすれば、問われて素直に答える筈がない。
と言う事は、この質問そのものが無意味なのだ。

「でも、私はその問いかけに否定の言葉を返します。
私は彼の方々に取り入るつもりもなければ、何かをしようとも考えておりませんから」
「…信じるにはちょーっとばかり疑う要素が多すぎるんじゃない?」
「それも尤もですね。身分を証明するものは―――何一つ持ち合わせておりませんから」

暫しの沈黙を持ってしまったのは、自身の首に付けられたそれの存在を思い出したからだ。
その裏を返せば、身分を証明するものにはなる。
しかし、それは彼女にとって悪い方へと進む結果となる。
この場で伊達の者であるという証を見せれば、間者であると断言するようなものだ。
似たようなものではあるけれど…少なくとも、他国に情報を流すつもりも、他国の情報を漏らすつもりも無い。

「それに…その首飾り」

ピクリ、と紅が反応を見せる。
今は外套の下に隠されているが、恐らく先ほどそれを開いた際に見たのだろう。

「その青い石は、確か奥州の方で採れる鉱石だろ。別名、竜の眼。屋敷一つ位なら簡単に建てられる」

佐助の言葉に、紅は軽くめまいを覚えた。
そんな馬鹿高い石を渡してくれたのか、彼は…。

この状況を悪くするには十分なそれに、紅は溜め息をつかずには居られなかった。
用意してくれたのは嬉しい。
済んだ青色のこれは見ていて心が穏やかになるし、自分も気に入っている。
だが、そこまで有名な物ではなくとも良かったのだ。
もっと質素なものでよかったのに、と思ってしまうのは、わがままだろうか。

「それは初めて知りました」
「みたいだな。その表情は、知ってたって顔じゃないぜ」
「知ってたらその場で返してますよ。そんな、高価なものを…」
「へぇ、誰かに貰ったんだ、それ」

墓穴を掘った。
思わず本音で返事をしていて、気付けばこれだ。
数秒前の自分に戻って注意してやりたいと、己の行動を恨む。
これでは疑いを深めてくれ、と言っているようなものではないか。
頭を抱えたくなる状況に、紅は思わず髪を掻き揚げた。

「―――っく!ははっ!」
「…はい?」

どうしよう、と悩んでいる間、彼から視線を外していた。
そうしていると、突然聞こえてきた笑い声。
それは佐助から発せられるものに他ならず、紅は思わず間の抜けた声を上げて彼を見る。
視界に映ったのは、腰を折って苦しそうに笑っている佐助だった。

「あの…?」
「あー…面白かった。あんた、凄い百面相だぜ。そんなんじゃ、どこの国だって間者としてなんか使わないさ」

感情だだ漏れ、と紅の顔を指差して、彼はそう言った。
頭の整理が追いつかないけれど、これだけは言える。
笑われているのは、自分だ。

「ま、あんたが間者でないって事は、旦那と話してる様子で分かってたけどな」
「な…!そんな時から分かってたなら、何で…!」
「確認だよ、確認」

疑いが晴れたことに喜ぶべきか、彼の言い分に怒るべきか。
自身の対応を図りかね、結局沈黙を貫く事にした。

「最後に確認。あんたは間者じゃないんだろ?」
「もちろんです」
「よし。なら、あんたを信じるよ。あんたが間者だって言うなら、道行く人間全員を疑うはめになりそうだ」
「そんなに簡単に信じていいんですか?」

紅の問いかけに、彼は笑みを深めた。
そして、こう続けるのだ。

「旦那が気に入ったんだろ?じゃあ、間違いないさ。旦那の目は侮れないんだぜ」
「…試したんですね」

先ほどまでとは空気を一変させた彼に、今度はこちらの気持ちが冷めていく。
信じてもらえるならばそれに越した事は無いが…試される、と言うのはあまり気持ちの良いものではない。
どこか呆れのようなものを含ませて溜め息を吐いた彼女に、佐助は喉で笑った。

「お互い変な蟠りはない方がいいだろ?」
「まったく…。こちらの身にもなってもらいたいものですね」

そう言いながら、紅は左腕で前髪を掻き揚げる。
その行動を見た佐助の表情が変化した。
純粋な驚きをその眼に見て、紅は心中だけではなく首を傾げる。

「また何か?」
「…その手首の…」

指差された先にあるのは、幾重にも巻かれた白銀の糸。
先日霞桜氷景と名乗る男によって巻かれ、以降風呂に入ろうが刀を滑らせようが、切れることの無かったものだ。

「それは、氷景の…。そっか、あいつもやっと…」

何なのかよくわからないが、佐助は一人頷いて納得してしまう。
紅の疑問符は、今やその思考の大部分を沈めようと積み重ねられるばかりだ。

07.03.05